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エンプティチェア#2-1 【自己表現の苦手さ】 苦手意識の破壊

(2019年某日)

Cl: こんにちは。ちょっと間あいちゃいましたね。今日もよろしくお願いします。

Th: はい、こちらこそよろしくお願いします。前回からどうですか?今日来るとき緊張しました?

Cl: そうですね。まあ緊張は、してないですけど、何か考えてくるというよりはこの場で作っていけたらいいのかな、とも思いましたし。
 だけど、なかなかこの時間を作れなかったっていうことは、身構えてるところもあったんだろうなあって。それは思います。

Th: そうですか。たしかに、今こう緊張していらっしゃるって空気はあんまりないですけど、何かね、挑むみたいなところはあるのかもしれないですね。わかりました。
 どうでしたか?前回のスクリプトとか、ビデオ撮ったのとかを見て、どんなふうに思われました?

Cl: うーん、はははは。そうですね、色々思うことはあって。
 やっぱりこう、自分の話し方とか言葉が冗長というか、余計なことが多い。なんか一言二言三言ぐらい、多いなあとか。こう、自分の世界にがーっと入ってしゃべってるときに「ああ、なんかちょっと周りが見えてないなあ」とか。でも一番思ったのは、なんか余計なことが多いってことですかね。
 なんかこう…多分いつもそうなんですけど、全部言わなきゃみたいに焦っちゃってて。でも全部言うことが必ずしも大事ではないなって。言えば言うほどわかりにくくなるとか。たぶん前回の面接も多少はそういうのがあったけど、日常生活ではもっともっと、そういう焦りとかちゃんと正しく全部伝えなきゃって思いが、何百倍も強く生きてると思うんですよ。だからこの間の面接のスクリプトですら多いなって思うんだから、普段の生活はどんだけ余計なことばっかり言ってるんだって。その時は余計とは思ってないんですけど。なんかやっぱり、本当に大切なこと以外のこと、自分では全部伝えなきゃ伝わらないと思ってるんだけど、そうじゃないんですよね。なんかこうそれをきっと、客観的に見ることができたのはすっごい勉強になった気がします。

Th: うーーーん。なるほど。今までにこうやって、自分の会話とかそういう言葉とかを物理的に客観的な方法で見たことってありますか?

Cl: なくはない、はずなんですよね。ラジオで1時間1人でしゃべってたりとか、ライブのMCとかしゃべってるのを録画したものとかは見たことがあるので。初めてではないんですね。
 たしかに言われてみたら、そのラジオとかライブのMCのときも、もちろんちょっとしゃべりすぎてるときもあるにはあったと思うんですけど、前回の面接のときみたいな、なんかああーーー言葉が多いな多いなっていうふうに、必ずしも思わなかったなってことは、今言われて気づきました。そうですね。うん。

Th: なるほど。うーーーん…じゃあなんかその、自分の中でこう、焦ってあれも言わなきゃこれも言わなきゃってなる時とならない時が、しゃべってる時でもあるっていうことですよね。必ずしもいつもそうなるわけじゃない。

Cl: そうですね。まあそういうことになるんでしょうね、きっと。どんなときに焦ってどんな時に焦らないのかって言うところを考えていけばちょっと、何かヒントになることが出てきたりするんでしょうね。

Th: うーーーーん。まさにそういうところなんでしょうね。どうして焦ってしまうのかとか、どんなときに焦ってしまうのかと、そこに何かのヒントがあったりしそうな気がしますね。
 前回の面接の時に「自己表現が苦手、言えば言うほど違う気がする」っていうことをおっしゃっていたじゃないですか。その、自己表現が苦手っていうのを、その苦手さについて、もう少し詳しくお聞きしたいなと思って。あの、全然理路整然としてなくていいので、どんなときに感じるかとか、どんなふうに苦手さを感じるかとか、そういうことに関して今思い浮かんだことを言ってみてもらっていいですか?

Cl: そうですねー。苦手意識。うーーーんまあ、苦しい感じはあるんですよね。だけどなんだろうな。その、言ってる最中とかやってる最中、あるいは書いてる本当に最中は、苦しいなぁ苦しいなぁと思って言ったり書いたりしてるわけではないんですよね。なんかそういう最中っていうのは、ほんとに無我夢中というか。まあそれを称してさっき私が言った言葉で言う「周りが見えてない」ってことかもしれないんですけど。ガーーッてほんとに、書くことしゃべることに集中してるかんじで、そこに入り込んでしまえばそれに対して苦手意識があるわけではないんですよね。もう夢中なので。
 なんですけど、一番わかりやすいのはその、書いたものとかに対して、なんかこう誤解される反応をされたりすると、「ああ、私の言いたいこと伝わってないなあ」とか「私のさっきのアレじゃわからないのかな」とか。そういうのでものすごい徒労感というか。「ああ、わかってもらえないんだな」っていうふうに、もうぐったりしちゃって、もう書くのやだってなっちゃったりとか。割とブログとかFacebookとかのSNSとかのことを思い浮かべて言ってたんですけど、今さっきのことは。それに比べるとしゃべり言葉の場合は、ダイレクトな反応として、誤解されたらその場で違うって言えばいいし。そうじゃなかったら誤解されてることに気づけないんですよね。まあそれはそれで問題だけども、だからそういう意味では、わかんなかったらわかんないままだから、別にそれはストレスではないので。
 そういう意味では、うーん。やっぱその、反応をみてそれは私が欲しかった反応ではないっていうのが、苦手意識になっている。うーん、そうですね。まぁ動画とかでも、自分の思うように反応が伸びなかったりとか良い反応がなかったりとか…そういう反応を気にしてるんでしょうね。それで…うーんなんか別に、反応を気にしすぎることが良くないと頭ではわかってるんですけど、やっぱりそこにこだわっていて、でなんか、完璧を求めたりとかして、苦手意識って言うふうに変換されてるみたいなのがたぶんあるなあって。で、そういうSNSとかネット上の発信っていうのが1つと。うん、ですね。

 あとはもう1個すごい嫌だなと思うのが、面接の苦手さなんですよね。就職活動とか、大学院の院試とか。そういうときの面接の、惨敗っぷり(笑)うーん、そうですね。そのときの、結果もそうだし向こうのリアクションとか、いろいろ振り返って思うと、やっぱりそれこそほんとに私の中で「あれもこれも伝えなきゃ、ちゃんと全部わかってもらわなきゃ」とかっていう気持ちが強すぎて、ほんとになんか伝わってなかったと思うんですよね。まあでも、当時からそれは指摘されていて。指摘っていうか、一般論の面接法みたいなかんじで「聞かれたことに答えなさい」っていうふうに、すごく言われた。それ以外の聞かれてないことをしゃべるなって。それはたぶん、当時自分でもできてないと思って、すっごい自分なりに気をつけはしたんですよ。「今こう聞かれてるから、これに対して何を答えるべきか」とか。正直1分で答えるのと5分で答えるのでは、言う内容や深さとかも変わってくるじゃないですか。そのへんとかが、時間が決まってない場合とかだったりは、空気読まなきゃいけなくって、今ここでどれぐらい深い話をしたらいいのかとかをブワーって考えちゃって。あとまあ、真の意図は何かとかだったり、聞きたいことにちゃんと答えられてるかっていうのを、たぶんものすーっごい神経質に気にしてたんだと思うんですよね。そういうのでももう、疲れて。結果も出ない。だから、それに関しては、反応とか人の目を気にし過ぎるとかとも通ずると思うんですけど。あとは、その、なんかもう、考えすぎて、疲れちゃった。それで結果もよくないのも相まって、すっごい苦手みたいに…思ってるんでしょうね、きっとね。
 今となったらほんと、色々振り返って、ちょっと引いた目線から客観的に見て。ああ、あのとき「実演でやってみて」って言われて楽しくやって、それってアピールではなくってただその場をなごませるとか、私の緊張をほぐすためだけのもので。もっと言えばただ向こうが笑ってただけかもしんない、面白がってただけかもしんないとかね。あとまあその、大学院の院試で失笑されて落とされたときのあのトラウマ体験みたいなのとか(笑)結果的に、その就活にしてもその大学の院にしても、結局コミュニケーションスタイルとか私の人となりが合ってないので、向こうが求めてる像が。それはもう時が経って客観的に見てもそうなので、いいんですよね。きっと。だけどそのへんが、変にこうこばりついて苦手意識みたいなかんじで残っちゃってるんだろうなって、思います。

 ごめんなさい、またちょっと長くなって。またこうやって冗長なこといっぱい話してるなって後から見て思うかもしれないんだけど。
 もう1個思うのが、後から振り返って苦手だなと思うのと、あとその、やってる最中はしゃべってても書いててもいいんだけど、そこに至るまでのハードルというか。腰が重いんですよね、本当に。いざやり始めたら夢中だからいいんだけど、そこに至るまでのエネルギーというか。着手するまで、だから今日もこうやって時間たっちゃったし。よしやろうかって、パッとこう身軽に動けないんですよね。それも、フットワークの重さみたいなのが、こう苦手意識にどんどん重りを足してるみたいな。
 
なんかそれほんとに苦手意識なのかな?って。こうやってお話ししていると、苦手意識ってこないだ自分では言ったけど、なんかよく見てみると違うものな気がしてきました。それがなんかこう、凝り固まっていろんなものがこばりついて。それを1個1個解いていくことが、もしかしたら必要なんですかね。なんかちょっと色々ありすぎて、めっちゃめんどくさい(笑)ああ。ですねえ。大変だなあ。

Th: うーん。そうですねえ。今なんかもう、私が何をするでもなく、話してる間に色々ねえ。気づくこともあったみたいですけど。うんうんうん。そうなんですねほんと、一口に苦手意識っていう言葉でくくって、そう思い込んでるところはあるのかもしれないですね。その、1個1個、苦手意識とはなんなのか、何と何と何でできていて、それはなんでできたのかとか。で、その正体は何なのかっていうのちょっと見ていくと、うん。
 そうですね、それが一番近道かどうかはわからないけど、なにかこう違うなってことは今日気づいたと思うんですよ。それがまずもう、大きな一歩だと思います、私は。ねえ、ほんとに、こうだって思い込んでるとそれは崩れないけど、いろいろ細かく見ていったり違う見方をしていったりすると、細分化していったりすると、こう重たーいものだったのが、小さなものの集合体みたいにね、見えてくるとね。また、対処の仕方が変わってきますもんね。うん、うん。いいんじゃないかと思います。いいんじゃないかってね、ちょっと言葉としていいか悪いか分かんないんですけど、うーん。
 さっきのお話でいろいろ聞いた中で、こう、「頭ではこれでいいとわかってるんだけど引っかかっちゃって」っていうことがね。1回だけじゃない、2〜3回そういうこともありましたよね。そういうふうによく思うんですか?

Cl: そういうによく思うか…(ハッとして)めっちゃよく思いますね!なんか、そうなんですよ。あの、「理性とか理屈ではこれでいいんだ」とか「そうそうそうこれでいいんだよ、これで私は成長したんだよ」とか。えへへへ、うん、なんかそういうふうに。嘘じゃないんですよ。実際、そうだと思うんだけど。でも、やっぱり、それに感情とか体がついてきてないって言う経験は、今までにもものすごくよくあって。うん、ほんとそう、そうそうそう、そうなんですよ。
 うーん、で、それに対してどうしたらいいのかっていうのも、それこそ理屈ではわかっていて(笑)やっぱりその、ネガティブな感情とか悲しみとか苦しみとかを、これでいいんだとか、そういうふうに正当化する前に、ちゃんと味わって癒してあげないといけないですよね。受け入れてあげないと。そうそうそう、だからそのプロセスをせずに「私はこれで成長したんだ」とかって言っても、ぐわーーーって、うおーーーーーって、なってくるんですよね。そうそう、だからやっぱ、そこを対処してあげないと先には進めないんでしょうね。今回のことも、もしかしたらそうなのかもしれないですね。自分の中で納得してない感情みたいなのがあって。そこをこう癒すみたいなのが。1個1個問題を、さっきおっしゃってたみたいに、こう細分化したのを1個1個、それこそ科学的なアプローチとか認知行動療法とかそういうかんじで、1個1個問題を解決して論理的に答えを導いても…うん、まあ理解は深まるし、やることに意味がないとは思わないんだけど。なんかね、たぶん、そうじゃないっていう気はなんとなく、私もそんな気がするんですよね。たぶん同じように感じてらっしゃるんじゃないかと思うんですけど。うん、そうですね。やっぱり、過去の自分とかを癒してあげたりしないと、そういう今こばりついてるものは消えないような気がしますね。それにどうアプローチしたらいいかとかって、わかんないですけど。うん。なんかでも、大事なのはそこだと思いますね。

Th: そうですね。なんとなくこう、こういうふうに今日問題とか状況が整理されて。どういう方向性でやっていきたいかっていうのに、うん。おそらくそんなにズレはないと思うんですよね。だから、うんうんうん。こんな感じで…どうしようかな、次からなーどうしようかなー。うん。。

「名前を捨てた表現者」と「拠り所のないカウンセラー」の心理面接セッション記録。および生きるうえで大切なことは何かを探求せずにいられない、暑苦しさ注意のつぶやき集。