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放課後、帰りたくなんてなかった

成人してから今年で10年が経つ。
当時の自分が思っていたであろう以上に、あっという間に三十路になっていた。

10年前、私には特別想っていた人がいて、今でもふとした時に当時のことを思い出す。
その人とは、高校生の頃から4年程付き合っていた。

なんでこんなに執着するかのように、何年も都度思い返してしまうのか。
それは未練だとかそういう理由ではないはずで、その時の記憶がただ私の人生の中で一際美しかったからなんだと、最近になって漸く気づいた。

私は、高校時代にあまり良い思い出がない。

ひねくれた性格と高いプライドを持ち合わせたハイブリッドだった上に、遅れてきた厨二病まで患ってしまった私は、なんと言うかもう最強だった。思い出すのもおぞましい。

そんな日々黒歴史を作り続けていた私は、必然的に一人でいることが多かった。
誰とでも話すし、仲良くしてくれる人達もいたけど、どうしても浮いてた。


付き合っていた相手は親が厳しい人だった。
怒ったり暴力を振るったりとかではない。むしろ子供のためをとても思っていて、それによる制限がいろいろあった。

将来のために、とにかく勉強が第一だった。
門限は日が落ちる前まで。携帯電話ではなくテレホンカードを持ち歩いていた。テレビも夕食時以外付いてないって言ってたっけ。


「市電?」
放課後、偶然居合わせたその人になんでか話しかけてしまった。
電車で帰るの、という突然の私の問いに驚きつつも頷いてくれて、そのままなんとなく駅まで一緒だった。

それから、放課後一緒に電車に乗る機会がしばしばあった。
特別なにかを話していたわけではなくて、たまに言葉を交わすくらい。いつしかそれは会話へと発展し、一緒に帰る電車が楽しみになっていた。

同じ駅で降りるようになってから、少しだけ寄り道したりもした。
門限があるから本当にちょっとだけ。商店街のムツゴロウ焼き、自動販売機で買ったココア、公園のブランコ。私にはそのどれもが新鮮で、帰りたくなんてなかった。

日が落ちるのが早くなった季節に告白をして、振られた。
正直なところもうこれ付き合ってるのでは、と自分では思っていたからもう頭の中では「なんで?」って疑問でいっぱいだった。
その後もたまの放課後に一緒に過ごす日は続いた。

暖かくなってきた季節の放課後、休みの日に一緒に出かける誘いをした。
初めて一緒に過ごす休みの日はもう一日中浮かれてて。初めてだというカラオケにも行って、事前の申告通り確かに音痴だったけどそれも可愛かったな。

帰り道、夕焼けのチャイムが鳴るよりも前に、前回振られた時と同じ公園でもう一度告白をした。
また困ったようにごめんと言われたけれど、どうしても納得ができなくて「なんで?」って今度は声に出してしまった。

「うち、親が厳しくて」
うん
「とにかく勉強しなきゃいけなくて」
うん
「携帯だって持ってないし、電話もメールもできない」
今までもそうだったし別にいいよ
「将来結婚する人も親に決められるの」

親が厳しい話は聞いていたけど、門限とか携帯とか、ちょっと過保護なだけだと思ってた。
両親共に良い大学を出ていて、自分の子供たちにも同じように生きてほしいと昔から言われていて。恋愛なんて以ての外だと。なんなら結婚する相手の家系もほとんど決まっているらしかった。

「じゃあ今だけ、結婚するまでの間でいいから、付き合ってほしい」
3回目の告白、しつこかったと思う。いつか別れが来る前提で付き合ってほしいなんて、あまりにも自分のその時の気持ちを優先してしまった。
相手が優しいことを知っていた。最初から永遠を誓わずに一緒にいたいなんて。それでも私は私のエゴを受け入れてくれるであろう、とその優しさに付け込んだ。

空の色がほとんど青くなった頃、私たちは恋人になった。
怒られちゃうから、と言って走って帰っていく後ろ姿に手を振って、しばらく一人でブランコに座った。帰したくなんてなかった。

そこからは関係に恋人という名前が付いただけで、特に変わったことはなかった。
ただ、付き合うことに際して、2つだけルールを決めた。門限はこれまで通り守ることと、親に絶対にばれないように誰にも言わないこと。

家族にも友達にも誰一人として付き合っていることを言わなかった。
ずっと私たちだけの秘密で、それが寂しくも心地良かった。

あっという間に日々は過ぎて、その年の冬にはもう大学受験に向けて勉強を始めていた。
たまの放課後には本屋に行き、休みの日には図書館の自習室に行った。私はまったく勉強をしていなかったので、ただ隣で課題をやったりテスト勉強をしたりしていた。帰り道に買い食いする唐揚げやたこ焼きが特別美味しかった。

そのまま卒業するまでずっとそんな日々を過ごして、あっという間に高校生活は終わった。

相手は志望の大学に受からなかった。
レベルの高い学部ではあったけど、ずっと頑張っているのを見ていたから、受かるもんだと思っていたし、私のせいだと思った。私が一緒にいたから、それまでのように勉強だけに集中ができなかったんだと。

それから浪人中の1年間、ほとんど会うことはなかった。私たちには放課後はもうなくなってしまった。
連絡手段はだいたい月に一度、両親の隙を見て固定電話の子機から掛かってくる電話。偶然その電話を取れれば、子機の充電が持つ15分くらいだけ声が聞けた。
後にそれを話した友人には、伝書鳩の方がまだ有効だぜと言われた、確かに。

翌年無事に志望校へ合格し、私たちは携帯電話を手にした。大学に入学したことで門限もだいぶ遅くなった。

今までに比べると連絡も取りやすく、より一層会いやすくなった。
それまでの連絡の取りづらさや親の監視の目によるいろんな諦めがなくなり、そしてそれがいけなかった。ずっと押し殺し続けていたエゴが、もっとという気持ちが溢れてしまった。
携帯世代の歌姫たちの着うたを聴いては、着信を待ってた。同世代はたぶんみんな会いたくて会えなくて震えてたよね。

すれ違っていた認識はあった。
元々いつかは別れるつもりで付き合っていたのに、このままずっと一緒にいようとして。

恋人になった日から4年後の春、あの日と同じ公園で、私たちは別れた。物分かりの良いフリをして、会えてよかったなんて言った。
空は真っ暗でまだ少し肌寒い日だった。帰り道、車を運転しながら泣いた。


ふとした日の放課後から始まった私のこの4年間は今でもキラキラとしていて。
あっけなく終わってしまった最後だけど、とても大切でなくてはならない時間だった。この恋愛を機に私の中で変わったことが良くも悪くも多くあって、今の私を形作っている。

別れた後も何度か会ったりもしていたが、もうすっかり連絡も取らなくなってしまった。
Always with you!と書かれた手紙、実家に置いてきたっけ。当時は嘘じゃんって思ってたけど、こうして今も思いだしてしまうのだから案外嘘じゃなかったのかもしれない。

今を幸せだと思いながら過ごしてくれているといいな。

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