政治のリセットは難しい ~不信任決議について~
兵庫県の知事がやめろやめない問題でもめています。パワハラとかおねだりとか職権濫用とか法令違反とかいろんなニュースが飛び交っていますが本当のところどうなっているのかは僕には判断がつきかねます。でも、自分に都合のいい解釈に基づいて職員を誹謗したうえに処分してしまえる権力を持つ立場の人間が、これだけボロカスに評価が下がっても職にしがみついていられるということはいったい何なんだろうという疑問は持ちました。
繰り返しになりますが、今回の騒動の真相はぼくにはわかりません。たたきにたたかれまくっている知事の言い分にしても妥当なところはありますし、百条委員会での議員の発言にもおかしなところはあります。どちらかの言い分が100%正しいというようには見えません。本来はジャーナリズムがその検証をするのが望ましいのでしょうが、日本のマスコミは完全にスキャンダリズムをその性質の基本としていますので検証は期待できません。もちろん完全な部外者であるぼくには何がどうなっているのか、ましてや仮に誰かに罪があるとしてもその罰はどのくらいが妥当なのかも全くわかりません。でも、せっかくなのでこのケースをサンプルにして民主主義を適正に作動させるにはどうすればよいのか考えてみました。
民主主義とは多数決です。
兵庫県の人口は5,342,093人です。
知事選時の有権者は4,529,865人。
そのうち実際に投票した人は1,861,775人。
当選した知事の得票数は858,782票です。
その知事に対して全議員86人が辞職しろと言っています。
86人の当選時得票数は合計1,217,504票です。
→現状の制度では858,782人から知事に与えられ権限は、1,217,504人から付託を受けた86人では処分できません。知事と議員では与えられた役割が違うとは言え、なんとなく多数決的におかしい気がします。それならこうするのはどうでしょうか?
・得票数に応じて権力をポイント制にする
知事も議員も選挙に受かったら全権を委任するのではなく、どのくらいの得票を得たのかで発言にウエイトをつけるのはどうでしょうか?議員投票の際に1万票で当選した議員は1万ポイント、2万票で当選した議員は2万ポイントを持つことにして投票結果はそのポイントの合計によって判断するのです。株式会社の総会において持ち株数に応じた議決権が与えられるのと同じですからそれほど面倒なことはないと思います。
そうすると今回のケースでは得票数上位46人のポイント合計で861,005になりますのでその議員が辞職要求をした場合、知事の持つ得票ポイント858,782を上回り辞職処分が決定されます。
しかし、86名の議員の中には無投票で当選した議員9名も含まれています。無投票で当選してしまうとポイントが決められませんので、選挙にあたっては選挙区内に対立候補がいない場合でもその候補者が議員になった際に使えるポイントを決めるための信任投票をする必要があります。
それと、現状の選挙制度は選挙区制なので有権者が少ない選挙区で当選した候補者の得票数が、有権者が多い選挙区で落選した候補者の得票数よりも少ないことがあるというのもなんかおかしいように思います。1万票を取って当選した人もいれば同じ1万票を取ったのに落選している人もいます。選挙区ごとにある程度の利益共有がされているので、選挙区ごとにその声を代表する議員を立ててその声を反映させようということだと思いますが、人口が少ない選挙区ほど少ない得票数で当選できてしまうというのは多数決的にはどう考えてもおかしいです。地方交付税や補助金も純粋に人口に応じて分配したほうが公平です。もちろんマイノリティの基本的人権は十分に保護したうえで「よその都合は知らないけど自分の住んでいるところだけは優遇してほしい」という考え方は改める必要があると思っています。
現状の政治システムは、市民が自分ではない他の誰か(県知事や県議会議員)に政治権力を事実上白紙委任しています。これを(例えば)デジタルによって案件ごとに直接民主制で決定するシステムに変えることは可能でしょうが、多数決が必ずしも正解をもたらすわけではありません。ほとんどの人はそれほど深くいろんな事を考えているわけではないので、深く考える事を仕事にしたい人間に代表になってもらうというやり方のほうが合理的です。民主主義が正しく作動するためにはそれに参加する人間の民度がある程度高いことが要求されますが、今の政治がもうひとつうまく作動していないとすれば、残念ながらそれはそれを実行しているぼくたちひとりひとりの責任です。ぼくはいくら頑張ってもろくなことができません。そもそも頑張るということ自体がきちんとできません。ドラえもんののび太みたいなもんです。
しかし、ドラえもんの作者はのび太についてこんなようなことを言っていました。「のび太は何をしてもだめだけどひとつだけいいところがある。それはときどき反省をすることだ。」
ぼくはこの話を聞いた時に 「ときどき」 という言葉にとても感心しました。論語には「私は一日に何度も自分自身の行動を省みる」とありますが、毎日毎日反省を繰り返して不断の向上心を持ち続けるのは並大抵のことではありません。そんなことをやってみろと言われてもどうせできないから最初からやらないか、やってみても長続きできません。でも「ときどき」なら?ふだんはなにをやっても失敗ばかりのくせにその失敗を他人のせいにして泣きわめいているばっかりですが、たま~に「これじゃいけない!」と思って急に勉強を始めたりしています。それもなかなか長続きはしないのですが、それでも時々反省することがのび太のいいところだと言っているのです。ぼくたちものび太のように、ときどき反省をすることができれば民主主義はもう少しいい感じで作動するのかもしれません。
ちなみに、今回の知事騒動では先日不信任決議が可決しました。今後どうなるのかはわかりませんが、ちょっと心配なのは知事の権限を無効にするのがこれほど難しいならそんなものはテロや暗殺によって強制的に回収しようとする人もいるんじゃないかということです。マスコミはもちろんネットの意見も「こんなやつには何をしてもいいんだ」的な無意識が蠢いている気がしてしかたがありません。今後この知事が発狂するとか自死してしまうとかの結末だって無いとは言えません。ここで試されているのは知事や議員の姿勢と行動だけではなく、ぼくたちひとりひとりの民度なのではないでしょうか?
政治のリセットが難しいのはそのリセットシステムの手順が複雑で難易度が高いというだけではなく、なによりも民度を上げることがすさまじく難しいからなんだと、ぼくは考えています。
202411月追記
上記の知事は再選を果たしました。得票数は1,113,911票です。
2位の方は976,637票、3位の方は258,388票の得票です。
今回の有権者数4463013人×投票率55.65%=投票者数2,482,774人 なので、
投票した人は前回より620,999人増えて
再選を果たした知事の得票数は255,129票増えた という事になります。
つまり、知事の前回得票率は46.12% 今回は44.86%です。
→再選知事は得票数を増やしましたが、得票率は下がっています。
2位+3位の得票数は1位のそれを上回っていますし、現議員の得票総数も知事の得票数より多いです。もしも今回の得票率が50%を超えて、得票数が129万票以上ということになっていたら文句なしに「多数決で勝った」と言えるのでしょうが、今回の結果を見ると、知事選ではなく信任投票だったら負けた可能性が高かったかもしれません。
どちらにしても今回のバタバタの真相は全わかっていませんので、選挙が終わったから幕引きになってしまうのか、真相解明の動きがあるのか、ちょっと気になるところです。