2024/7/30 私と「68年」、そして「JUNKの逆襲」

「68年」、すなわち全共闘世代が運動の退潮後は髪を切って就職して順風満帆な人生を送り、中年になってからかつての武勇伝を酒場などで盛んに語っているうざい連中だ、というのは一般的によく言われる話だが、これは半分当たっているが半分は事実と全く異なっている。笠井潔ら今なお「非転向」のイデオローグが言っているように、「68年」における泡沫の活動家(デモの後ろにくっついていったり集会に参加していただけだった者)にはそのような道がありえたが、中心や前線にいた活動家の中には公安にマークされ就職もままならず、「JUNK」(絓秀実)な労働力商品として凄惨なその後を歩んでいった者も少なくない。

千坂恭二が挙げているエピソードで言えば、とあるビルに入ったら風俗店の事務所で、店員の男がトロツキー(68年において盛んに参照された思想家)を熱心に読んでいたという話があるし、文筆業や編集者といったジャーナリズム、あるいはそうですらない下層労働者=ルンペンプロレタリアートとしてその後を生きた例も膨大にある(最近「桐島聡」を名乗って自首しそのまま死亡した男などがそうだ)。

そもそも日本の「68年」は、学生数の大幅な増加によって大学生がもはや日本社会における「エリート」たりえなくなり、就職不安に晒されたことを契機の一つとしている。大学進学率がわずか一割程度だった60年安保やそれ以前の学生運動との決定的な差異はそこにある。かかる大卒者の就職不安は本邦ではバブル崩壊後到来した就職氷河期において全面化するが、その戦後における端緒は「68年」だったのである。そしてそれゆえ、「68年」とは自らのルンプロ=「JUNK」化への潜在的不安を背景に暴発したプチブル急進主義であったとも言えるだろう。

もうすぐ26になろうとしている今、私はこの歴史を自分の人生に重ねて見てしまう。私は「世間」(これは私が嫌いな言葉の一つだ)で言われるところの「いい大学」に入り辛うじて卒業したが、その後「社会人」となってからの私はまさに「JUNK」な中下層労働者であった。まともに就活ができず、非正規と正規を行ったり来たりしながら働いたと思ったら精神疾患を患い、今では立派な金欠無職である。

私の身近の同窓生でも同じような道を辿っている者はそれなりに多い。大学を中退したり、就職したはよかったもののすぐに辞めて非正規労働者、日雇い労働者になったり、病気になって働けなくなったりした知人、友人は数知れない(註:私は知人、友人が少ないので実際は高が知れている)。

無論、中高時代の友人など(私は大学の附属校出身である)の中には現在順調に「エリート」の道を邁進している者も多い。NHKのアナウンサー、公認会計士、スタートアップ起業家、「普通」のサラリーマン(これは今やエリートである)、ラグビー日本代表……しかし私の周囲にはそれと同じだけの「JUNK」な労働者、そして「非労働者」が大勢いる。現代において高偏差値の大学を出ることは「68年」が証したようにもはや「エリート」であることを意味しない。本邦でそれが通用しえたのはぎりぎりバブル時代までである。今や大学時代から資本主義的自己陶冶に身を投じ、試練を潜り抜けた者だけが、その切符を手に入れることができる。私のようなハナから「JUNK」として生きることを決定づけられていたような人間には土台無理な話である。私は今後どうなっていくのだろうか。「68年」世代の記憶の継承がほとんどなされぬまま到来したポスト資本主義の「現代」において、我々「JUNK」な「クズども」にいかなる道がありうるだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?