日本人とは、どのような特徴があるのか古典『菊と刀』を解説します②
『菊と刀』はアメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトによって戦争中に書かれた日本人に対する研究報告書がもとになっています。
「謙虚なのに尊大」で
「小心者なのに勇敢」で
「卑屈なのに思い上がる」
まるで逆の印象を持たれる日本人。そんな不思議な日本人論の古典である本書を今改めて読み解いてみたいと思います。
1階層的な上下関係の絶対性(応分について)
日本社会では、一族も、社会も、国家もすべて常に上下関係を基準として自分たちの世界を秩序立ててきました。個人は、生まれ、年齢、性別、こういったことで出来上がる自分の階級に従っています。これを作者は「応分」と表現しました。この「応分」が「責任を取らない社会」であったり、「志願と美談」に結びついていると書いています。応分とは何なのでしょう。詳しく見ていきたいと思います。
欧米では「平等」に自らの信を置く人が多い、と作者は書きます。人々は互いに平等である、という教育を受けそれが正義とされています。
日本では秩序と階層的上下関係に信を置く、と書かれています。この階層的上下関係が応分です。この国では不平等であることが過去何世紀にもわたって支配しており、社会の常識であり、通念です。
例えば会話。「食べる」が相手や場合によっては「召し上がる」になったり、「頂く」になったりします。
挨拶でも、会釈から立ち止まっての最敬礼まで様々で、わたしたちはほぼ無意識に、もしくは喜んでこの使い分けをしています。この使い分けは互いの階級だけではなく、年齢、性別、血の濃さなど細かく考慮して実行しています。
2、中国との比較
日本は中国から文字・律令・宗教などありとあらゆるものを導入しました。古来より様々な考え方を取り入れた中に「応分」はあるのでしょうか。
結論からいうと中国では「応分」ではなく、かつては「氏族」に忠誠を示していました。氏族の単位は数万人規模のこともあり、人々は氏の支配下に置かれますが、同じ氏族の者は同胞と呼ばれ、何をするにも助けを得られました。
日本でも同族は大切にしますが、先祖を祀るにしてもせいぜい3代前くらいまで。忠誠の対象となりうるのは中国と比べると甚だしく限定的な「一族」でした。その理由は長男以外は別の分家を興していたからで、この一族という集団内部の応分が日本における応分の基本形でした。
一族の応分とは何かというと、すべての物事を家長と長男が決める、というものでした。決める内容には一族内の婚姻から進学まで幅広く、またこと細かでした。
ほかの家族はその決定に口出しすることは出来ませんでした。その影響は成人した子についても、または死んだ人についてもまたこれから生まれる子どもに対しても及ぼしました。次男以下は分家を興し、女性は婚姻によりべつの家に移動します。女性はいつでも口出しできませんが、姑になとはると特権者階級(家長・長男)に入ることができました。日本において特権者階級はまるで管財人のように振舞いました。そして、何が弟たちにとってよいのか決め、それを強制することにためらいはありませんでした。しかし、弟たちはその中にいさえすれば安全で保障された生活ができました。
この一族でうまれた「応分」は社会生活に応用されました。つまり、自分より上の応分の人間には敬意を払わねばならない。それに合わせて体裁も整えなければならない。個人の意思より特権者の決定のほうが重い。しかし、そうしていれば生活が保障される。そのように社会は運営されました。応分はずいぶん不平等に感じますが、人々は不満を持ち社会を変革させようと思わなかったのはなぜなのでしょう。
その大きな理由のひとつは本来世襲である「応分」の場は金銭もしくは婚姻でジャンプアップできた、ということが考えられます。
ヨーロッパでは階層はそのままで豊かになった中産階級の台頭により不満がうまれ、結果として革命がおこされました。日本では階層の移動ができたから、支配層と中産階級の協力体制が生まれたのでした。
人々は身の置き所が最初から区切られて分をわきまえて生活しました。その中にいるうちは保護される、そのように教育されてきたため、応分が保たれていれば安心して文句は言わない、そんな国民性になったのです。
『菊と刀』を解説します③に続きます。