日本人とは、どのような特徴があるのか古典『菊と刀』を解説します③
『菊と刀』はアメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトによって戦争中に書かれた日本人に対する研究報告書がもとになっています。
「謙虚なのに尊大」で
「小心者なのに勇敢」で
「卑屈なのに思い上がる」
まるで逆の印象を持たれる日本人。そんな不思議な日本人論の古典である本書を今改めて読み解いてみたいと思います。
『菊と刀』を解説します①はこちら
『菊と刀』を解説します②はこちら
1.精神がすべてに勝る源泉である
政治・宗教・産業では身の置き所が最初から区切られ、人々は分をわきまえて生活しました。その中にいる間は人々は保護されていました。今回は精神論と根性論を中心とした考え方についてさらに進めていきたいと思います。
戦時中、日本は精神的な資源をの重要性を力説するという点で完全に首尾一貫していました。通常、トレーニングというものは必要なことを必要なときに自らを必要な分鍛錬すべきものだが、日本では違う、と作者は驚きをもって書きました。日本ではすべての人が常に自らを高みに置くための鍛錬をすべきだと考えています!と。
さて、ここでいう鍛錬とは何でしょう。スポーツ選手なら練習であり、受験生ならば勉強です。鍛錬は過度に自己犠牲を生むほうがよい、とされていました。鍛錬していること自体が幸せなのです。そこには論理も倫理もありません。むしろなくてよいのだとされました。
「死ぬ気でやれ」
「死んだつもりでがんばれ」などの言葉で今にわかりやすく伝わっています。
こういった自己犠牲を尊ぶ精神はどのように生まれてきたのでしょう。
作者はそれを子どもの教育主に学校教育にあるのではないか、と考えました。
2.子どもの教育と日本
アメリカでは子どもが生まれたら授乳期から時間を決めて生活させます。どんなに泣いてもひとりで寝かせ、入浴を手伝うのも幼児期までです。
日本では乳児期、幼児期は比較的自由に過ごさせます。日本人の用心深い生活パターンに押し込む仕事は小学校に入学してから始まります。学校では直接の競争を極力排除されます。皆同じように進級、進学し、成績は学業だけではなく態度で決まり、ほとんど落第はしません。
学校生活で子どもたちは目上の人間や理不尽に従うことを学びます。学校では成長に従い、子どもに対して「もし〇〇したら、みんなに笑われるよ」という教育を行いました。
子どもはきまり悪い思いをし、一人前に振舞おうとします。
ここでいう、恥ずかしいことはたいてい「エチケット」と称するものです。こうしたことを通して子どもたちは周囲、世間、家族ひいては国家が個人に優先されるものだと学びました。年齢があがるとともに、従わなければいけないエチケットは増えました。また子どもが失敗すると学校からも、自分を守ってくれるはずの家族からも、のけ者とされました。
外の集団で認知されないと、自分が守られるべき家族からの支持も得られない、と学んだ子どもは次第にどうしたら世間から承認されるのか考え、それを実行するようになります。
この徹底ぶりは(日本ではよくある話ですが)社会学的にみると世界に類をみません。通常家族というものは、外から批判にさらされていると守ります。所属している集団から守られている安心感があるからこそ、外の世界に立ち向かえるのだと、社会学者のジェフリーゴーラーも書いています。
成長するに従って女子は自重に自重を重ねないと責められてしまい、男子は特に家の名誉を守れないと責められるようになります。なんの競争もない幼児時代から受験期になり急に熾烈な競争にさらされるため、子どもたちは未知の争いに頭がいっぱいになりました。
ストレスでいっぱいの子どもたちはいじめでストレスを解消するようになりました。いじめられた下級生は自分が上級生になったときにさらに下級生をいじめるようになり、他人に屈辱を与えることを覚えました。集団内でのいじめは精神を鍛える、と称しある程度容認されていました。
若者になった子どもたちは自尊心に対して大真面目なので、こういった状況におかれると他者に対していともたやすく残虐になりました。嘲笑に耐えられず拒絶されたという気持ちが残り、次は自分が容赦なくいじめる側に回るのでした。
成長した女性は名誉を押し付けられない代わりに「すべてに男が優先される」ことを学びました。親の言うことも男性より聞かなければならない、先に述べた通り、婚姻や就職も家長に決められました。
これらは無言の圧力で強要されました。
この幼児から成長するに従った自由→精神の二面性は「神から奴隷への変遷」ともいえ、極端な分、自らの中で消化できず苦悩する人は多くいました。この苦悩は今に続き、日本の問題点をあらわにしています。それは以下のようなものに集約されます。
①生活を厳しく律することに人生を賭ける人(人生に向かい合い、挑戦することを恐れる)
②心の中に鬱積している自分に恐れる人(無意味でも決められたことを機械的にこなす)
③幼児期を引きずり依存を強める人(失敗をおかせば権力に楯突いたと感じ、予想外なことは恐怖の原因となる。
これらの人々は慎重だが、自分自身にも他人にも過度な要求を突きつけがちで過大で物事を徹底的な自己責任と解釈するのでした。
『菊と刀』を解説します④に続きます。