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日本人とは、どのような特徴があるのか古典『菊と刀』を解説します④

『菊と刀』はアメリカの文化人類学者であるルース・ベネディクトによって戦争中に書かれた日本人に対する研究報告書がもとになっています。

「謙虚なのに尊大」で

「小心者なのに勇敢」で

「卑屈なのに思い上がる」

まるで逆の印象を持たれる日本人。そんな不思議な日本人論の古典である本書を今改めて読み解いてみたいと思います。

『菊と刀』を解説します①はこちら

『菊と刀』を解説します②はこちら

『菊と刀』を解説します③はこちら

1.世界にさらされる自画像の重視(世間に生きる人々)

政治・宗教・産業では身の置き所が最初から区切られ、人々は分をわきまえて生活しました。わきまえている間、人々は保護されていました。精神的な資源の重要性を徹底し、慎重だが自分自身にも他人にも過大な要求を突きつけがちな人々の姿を見てきました。

今回はそのすえに行き着いた自意識について考えます。

作者は日本人が大切にするいくつかのキーワードから考えました。それが「忠」「孝」「恩」「義理」です。

このうち「忠」「孝」はどこから出てきた言葉かというと、儒教の教えです。仁義八行といい、「仁、義、礼、智、忠、信、孝、悌」のことをいいます。

江戸時代後期、滝沢馬琴による『南総里見八犬伝』という大長編伝奇小説で仁義八行は一大ブームになり一般的に定着した理念でした。28年で108冊というベストセラー小説は社会で人が持つべき徳は仁義八行である!と一般に浸透させました。八行という通り、八個ある徳目。そのうち「孝」と「忠」だけが残ったのは何故なのか、見ていきます。ここにも明治政府による国家政策がかかわっていました。

ところで、儒教の生みの親、中国ではどうでしょうか。中国では仁義八行のうち「仁」を最上位としています。忠義を持つのも孝を持って従うのも、相手が仁をもって接しているからです。仁をもって為政者が接しないならば、蜂起やむなし。それは明治政府としては困ります。なので、明治政府は「仁」を最上位に据えるという考えを意図的に排除してみました。すると結果的に「孝」も「忠」も無制限で無条件のものとなりました。つまり「仁」で治めていなくとも「孝」や「忠」が発揮される、ということです。そして、「恩」を入れることで子や子孫、部下などが上位者に対しての返すべき義務を確立しました。

2.恩と孝と忠

「恩」「孝」「忠」を通して人々はたとえ何もしてもらってなくとも「目上の人に恩返し」をしないとやましい気持ちになり、やましくならないように忖度するようになりました。そして、その義務感は法の枠内で生活しつつ、自分に対する要求を躱す便法、無責任さを手に入れることになりました。

「恩」は大変幅広い概念で,基本的に下位の者(弟妹や、部下)が上位者に向ける事実上の義務ととらえています。「恩」には「恩人」「恩返し」「恩に着る」など、上下関係を感じる言葉が多いです。恩は返す量には制限はありません。『鶴の恩返し』に制限がなかったように。

「孝」は基本的に血族内で使われます。特に先祖や親(生きている)に限定した使い方をします。子は家を継ぐもの。子から親への孝は無制限で、親のために犠牲を強いたり、犠牲を払えば払うほど「孝」である、とされました。親の気持ちを慮って、志願した犠牲、それこそが美談として語られました。

国と天皇に対する国民の義務が「忠」でした。そこに一切の批判は許されませんでした。そして、「孝」以上に犠牲を払うこと、その犠牲が大きければ大きいほどよいとされました。「忠」の対象を個人に還元し、国と天皇にむけるべく手立てを講じたのは明治政府でした。国民は天皇を仰ぎ見て、自らの行動をもって「御心を安んじ奉り」ました。天皇から国民に直接言葉を下すことはなく、仲介者が「陛下に代わって」言います。それを「使命」といいます。それに従い人々は「忠」を伴う行動を起こしました。戦時中は納税から死まですべて忠の名のもとに正当化されました。


3.義理と誠

「恩」「孝」「忠」を発揮するのに「義理」を通して、名誉を守ることが大変な誉れとなりました。ここでいう「義理」は家名・所属組織を守るため財産、生命を投げ打つことです。逆説的ではありますが、「名誉が傷つけられたとき」にすべてを投げ打ってそれを守ることを求められました。

すると、人々は侮辱や中傷に対して神経質になり、より一層分をわきまえた生活をし、自制につとめました。しかし、失敗する場合もあります。その時は、名誉が傷つかないように隠して、自分が一貫して成功していると言い続けることで安心し、自尊心を保てるようになりました。

この「保身の義理がある」倫理を持つ社会は競争を受け入れる余地が限られて階層を持って競争と変えることになりました。

これらからいえることは、人の行動に読み取れるあらゆる示唆を注意深く観察し、常に自分は周囲の人にチェックされているという強い感覚を持っているのが日本人です。そこに「使命」が入るとなお燃えて自らでは何も考えず、他人の判定こそが自分の行動指針となりました。


4.さいごに

戦後、民主主義が導入されましたが、処世と変わり身は切っても切れない関係で、過去に失敗したことは切り捨て御免、としました。戦後、人々の間で精神論や、階層的な上下関係などの役割を疑問視し、自由が新たに発達することに対し期待が寄せられました。不安を相手に依存し、無気力でいるような内向きの解消を今もしています。この本は戦争中に書かれたものではありますが、現在の日本人の姿をよく表しているのではないでしょうか。<了>


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