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ざっくり魯迅~魯迅を楽しむ基礎知識その③~

コチラの記事の続きです。
その①→https://note.com/emofac_kubohiro/n/ncad0629d060f
その②→https://note.com/emofac_kubohiro/n/n99247d8e59ac

魯迅、とうとう作家活動を始めました。

魯迅の弟、周作人の誘いで北京にいた魯迅。そのほかにも文学科にはさまざまな自由で進歩的な考えをもった教授があつまりました。彼らが中心になって1915年に雑誌を創刊します。それは翌年『新青年』と改称して、それ以降、儒教体制や、旧道徳の批判をする啓蒙思想文学の代表になりました。
 『新青年』の新しさは文語体文学ではなく、これまで邪道とされた口語体文学であったこと。中国では、口語のことを白話(はくわ)と呼びますが、胡適らによって白話文学の推進がされたんです(白話運動)。
 そこでは日本の白樺派の人道主義・個人主義・新理想主義を紹介し、外国文学の翻訳を行うなどの活動がされていました。
 魯迅は最初はこうした白話運動に始まる文学革命には期待が薄いとみてました。まあなんていうか東京で失敗してるしね。徐々に呼応するようになります。
 魯迅がおこした最初の革命運動は、処女作を白話文学として『新青年』に発表したことでした。これが1918年発表の『狂人日記』。『狂人日記』は、狂人が書いた日記という体裁をかり、古来の儒教道徳、封建体制を鋭く批判したもので、知識人や学生に広く読まれるようになった。中国の近代文学の幕開けといわれる作品のひとつです。
 その後、1919年には『孔乙巳(コンイーツー)』、1921年には『阿Q正伝』を著し、旧体制下における人々の苦悩を描いて、当時の中国の腐敗した社会体制を告発します。
このころ、日本は中華民国(袁世凱時代)に対して二十一か条の要求っていうのを締結しまして、これがけっこうヒドイ不平等条約(例えば、満州の租借権を99年延長ね、とか。しかも、その内容を列強が認めるだろう内容(じじつこの部分に関してはイギリスに許可をとっていた)とこっそり隠した保護国化する内容の二つを用意しておくといった内容でした。日本の「列強しぐさ」)で、結局こっそり隠していた分については英仏の許可が出ずに断念したんだけれども、そのごたごたで北京を拠点として学生中心の反日運動が勃発します。これが五・四運動1919.5.4)ですが、この運動と白話運動による文学革命とは合体して、次第に反帝国主義・反封建主義・軍閥の打倒として拡大していきました。
政府は事態収拾に苦悩し、ヴェルサイユ条約調印拒否を決めて、運動に参加して逮捕された学生を釈放させたことで、運動は徐々に鎮められていった。そんなこんなで1922年7月、『新青年』は廃刊となったのでした。
 魯迅は弟ともめて不仲になったので、それ以降北京から離れて活動しますその後蒋介石による上海クーデターの弾圧に反対した魯迅は大学の教員をやめて上海に留まり文学による革命を終わらせまいと、「中国左翼作家連盟」を結成して民族統一を主張しながら、執筆活動を続けました。
 中国における魯迅の文学から生まれた影響力は文学のみならず、政治・社会にまで及びました。妻許広平が、魯迅が亡くなったときに読んだ弔辞を紹介します。

悲しみがあたりに立ちこめています。
私たちはあなたの死に対して、言う言葉もありません。
あなたはかつて私に言いました。
「私は"牛"のようなもの。食べるのは草で、しぼり出すのは乳、血」と。
あなたは、休息とはどんなものか、娯楽とはどんなものか、知らなかった。
仕事、仕事!
死の前にもなお筆をとり、
そうして今は・・・・・・
私たちはみな、心をひきしめてあなたのあとに続きます。
(第一学習社「新総合国語便覧」より抜粋)

 さて、魯迅は文学で何をしようとしていたのでしょうか。

わたしはこういうことかな、と思いました。魯迅が、というより『新青年』からの流れで、やってるうちにこうなった。
というかなんていうかそんな感じでは?と思うものの、彼はなにがあっても人々に気づきをあたえたかった…のだと思う。
医学を志した魯迅が仙台でつかんだものは「大衆の無知からの脱却」でした。要するに精神を変えたい、という気持ちが大変強かったのです。当時、中国では識字率も非常に低く、農村では魯迅の書いた文章を読めるものが少なかったのです。(これは日本でも大差はない。野口英世の母を考えれば、自分の名前だけは書ける、という人も多かった)そこで、魯迅は美術に注目した。美術なら、字が読めなくてもわかるではないか!
「絵画は世界に通用する言語だと誰もが認めるはずだ。この言語をうまく利用して、我々の思想を伝えなければならない」油絵や水彩画、彫刻などと違い、版画は複製が容易で、安価に大量生産できることもポイントでした。特に北斎とか広重が好きだったそう。

私が読んだ『阿Q正伝』
さて、中国に帰国した魯迅は北京で学校の先生をしながら文学作品を書いていいきます。阿Q正伝を書いたのは1921年。この頃対華21か条要求という中国への絶対的支配を要求する日本。皇帝になるからその要求を呑もうとする袁世凱、それに対する反発…と、権力失墜した袁世凱の病死なんかでもう中華民国ズタボロで、統一政府がない、という状態。
そんな中、魯迅は文筆活動を始め、阿Q正伝は新聞連載小説でした。
このお話はひとことでいうと国民の無知と無自覚を徹底的に批判した小説です。

舞台は辛亥革命の少し前…
本名もよくわからない阿Qと呼ばれる男がいた。学はなく、家も金も家族もいない、日雇い仕事をし、寺の堂で寝泊まりしている男だ。皆、阿Qを馬鹿にしていた。しかし、阿Qは人一倍自尊心が強く、馬鹿にされた相手に食ってかかるが、必ず返り討ちにあってしまうが、自分の頭の中で勝利すれば気が済んでしまうところがあった。
ある日革命軍がやってくる。
金持ちたちは自分の財産がどうなるかとおろおろしている。阿Qは革命軍に入れば皆の鼻を明かせると革命軍のふりをして、しばらくいい顔をするが、実際には阿Qなぞ、誰も革命軍にも入れてくれなかった。
その後、革命軍の一人として阿Qは捕まった。しかし、彼のために弁明もしてくれる者はおらず、字も書けないために気が付いたら処刑場へ向かっていた。そして「助けて」といおうと思ったときには銃殺されていた。群衆は銃殺より首切りがいいなと話し合った。

みんなクズじゃん、と思うわけです。どの登場人物も本質的に国の将来や、自分がどう生きるべきかまったく、まったく!!考えてないんだよ。いやいや、みんな!しっかり~~って言いたくなる…
もう、どいつもこいつもゆさぶってあげたい!!
題名は知ってるけど、読んだことない本のランキング上位だと思われる『阿Q正伝』ぜひ読んでみてください~~


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