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全能感、という錯覚は恐ろしい。まさに、麻薬の様に己の心の隙間に自分に都合よく入ってくる。だれかに手を差し伸べることの積み重ねは、この全能感を生みやすい様に感じる。いかに支配されずに己を保つか。錯覚で得られる快感が悪とは思わないけれど、錯覚は、錯覚に過ぎない。ふと思ったこと。
公共の電波のパーテーションを開けて見えたもの(後編)
今回は、実際に私が発信したいこと、について書こうと思います。
私が住う自治体では、来年の4月からパートナーシップ制度が施行される予定となっています。
婚姻とは異なりますが、住う自治体内では該当する2人パートナーとして認められる訳です。
しかしながら、もしも転居をし、パートナーシップ制度が施行されていない自治体に住むことになった場合、その効力は失われてしまう、という摩訶不思議な制度だったりもしま
「公共の電波のパーテーションを開けて見えたこと(前編)」
「公共の電波。」この言葉を聞いて、自分は基本的に見聞きする側、そういう概念のみを持っている人が多数だと思います。
私もその1人でした。自分と公共の電波
の間がパーテーションで仕切られている様な。
一方、SNSが普及したこの時世では、匿名性を高くできるが故の、個人の意見や見解が跋扈しています。発信の場としてなのか、解放区としてなのか、捌け口なのか。まるで流れる先の海を持たぬ川が、幾つも幾つも流れて
「愛と法」を見て 〜愛編〜
映画「愛と法」を見て感じたことの続きです。愛、に重心を置いた視点ですが、愛と法は分断されずに、接続されている、という観点から書きました。
この映画では、直接、同性カップルであるお2人からの同性婚への言及や見解が語られる場面はほぼありません。一緒にご飯を食べたり、洗濯をしたり、ゴロゴロしたり。映し出されていたのは日常です。
直接的なメッセージがなかったからこそ、2人の行動や姿から強く伝わるものが
わたしをことばにする。〜帰り道編〜
2019年9月2日にamuさんで開催された、「わたしをことばにする研究所」のプレワークショップに、私は恋人のムンチャン(仮名)と共に参加しました。
会も終わり、家への帰り道。その道中で私達はワークショップで感じたこと、についての率直な意見交換をしました。違和感、も含め。
まず、ムンチャンと私は、ことばにする→発語、を前提というか、覚悟の上でいました。なので、結果として、ことば→文字、であらわす
わたしの棚卸し〜恋愛にまつわる幸せ編〜
今回は恋愛観というか、誰かを信頼したり信じること、について、なんとなく。
私は基本的に私自身に好意を持つ人全般を、最も信じられない人、の分類、として生きてきた節がありました。その根底にあるのは、言うまでもなく自己肯定の低さ、にあった様に感じます。更に、それが故に、人を好きになることに対して能動的になれない、というか、諦念に近い感情を持っていた様に思います。恋愛、という真剣勝負のフィールドの蚊帳の
わたしの棚卸し〜しんどい編〜
今回の始まりは、少し明るくないお話から。
私の右手の甲には、6センチ位の傷痕、が、あります。
遡る事20年以上前に発生した傷ですが、未だにわかりやすく残っています。 まず、なぜこの傷ができたか、について、お話します。
当時、中学生だった私は、当時、自分の存在が嫌で嫌で仕方がありませんでした。自分の見た目、内向き一方な性格、セクシャリティの迷い…といった内面、外見、何もかもが嫌でした。そして、外
当事者、というしがらみ
カミングアウト。
セクシャリティのみならず、障害、病気、出生などを告白したり、表明することには、勇気というか、ある意味では扉を開けることなのかもしれません。
けれど、日常の中では、誰もが大小なく、カミングアウトをしながら生きているんじゃないかな、と思います。(広義でカミングアウトを捉えた場合の話です)
どの扉を開けるか、その違いだけ、の様に私は思っています。
人それぞれ、扉の色も形も数も違う。
け
わたしをことばにする。〜トウモロコシから始まる、わたし、とは?〜
2019年9月2日のお昼頃。私は、トウモロコシの調理をしていました。ヒゲを取り、皮を薄皮残り1枚まで剥いて開いた実に塩水を付け、再び皮で包む。そして、ラップでくるんで電子レンジへ。
そんな最中にぼんやり考えていたこと、というと、トウモロコシには幾重もの皮の中に無数の実があり、その実の奥には芯がある。
「あれっ、トウモロコシって、まるでわたしならず、人の姿を体現しているみたいだな」ということ。
笑いの巧妙〜自分を笑う醍醐味
ユーモア。笑い。
私にとっては、常に持っていたいものの1つです。
嘲笑でもない、だれかを蔑んで笑う訳でもない。
自分で自分を笑える様になることは、自分自身と向き合いながらも、自己を解放したり、心の肩こりを和らげたり、最終的には自分を肯定する為の1つの有効な感覚だと思っています。
自分で自分を笑う。私にとっては、究極の自己肯定の様に感じます。
ただ、自嘲とユーモアは、大きく違います。
「私は〜
弱ってることも彷徨ってることも自覚している気持ちをひたすら出さまいとしたり、出せる場がないのは正直つらいな、と思う深夜。1人になって、やっとため息ひとつ。私は誰なんだろう??
Small Like Project に寄せて
「小さな好き」を
ふんわりと
届け、共有したい。
そんな思いから彼女と始めた
「Small Like Project」
とはいえ、
2人よがりにはなりたくない。
けれど、出発点は
「深くて大きな愛」
この起点があるからこそ、
生まれたり、繋がっていくのが
「小さな好き」だと信じてる。
#smalllikeproject #小さな好き