「公共の電波のパーテーションを開けて見えたこと(前編)」
「公共の電波。」この言葉を聞いて、自分は基本的に見聞きする側、そういう概念のみを持っている人が多数だと思います。
私もその1人でした。自分と公共の電波
の間がパーテーションで仕切られている様な。
一方、SNSが普及したこの時世では、匿名性を高くできるが故の、個人の意見や見解が跋扈しています。発信の場としてなのか、解放区としてなのか、捌け口なのか。まるで流れる先の海を持たぬ川が、幾つも幾つも流れては滞留している様に私には感じます。
流れる先の海を目指しているはずなのに、です。