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そこにあると思わないと見つけられない
同じ景色を見ていると思っても
必ずしも同じようには見えていない。
同じ話を聞いても捉え方は
人それぞれ違うので
同じように聞いていないのは
わかっていたのですが
見えているものも
実は人それぞれ違うということは
気づいてなかったんです。
知覚(視覚、聴覚、触覚、味覚)も
入ってきた情報を脳で処理するので
人それぞれ違うし、
同じ人でも心理状態によって
変化するようです。
例えば、我が家では
昔から子供達が探し物をしていて
自分で見つけられないと私を呼ぶので、
駆けつけると探すまでもなく、
すぐ見える所に探し物が置いてあるということが
よくありました。それで、
私:「あるやん、ここに」
子供:「気がつかんかった」
となります。
これは視力の問題ではありません。
では、なぜこんなことになるのでしょう?
(研究したわけではありませんので、
私の勝手な推測です)
子供達が見つけられないのは
彼らは探し物が部屋に
“ある”と思っていないので
見つけられない。
(“ない”と思い込んでる)
一方で私は、
“絶対あるはずだ”
と思って探すので見つけられる。
この心構えの違いが
現実に存在している物を
見えたり、見えなくさせたりしている
と思うのです。
そこにあると思って探さなければ
見つけられない。
同じことが
からだの緊張についても言えます。
日常生活で知らずに少しずつ緊張はたまり
慢性緊張となります。
これは、“力を入れる”という努力はしますが、
入れた“力を弛める”という努力はしないからです。
もちろん重力に逆らって
立ったり座ったりするので
全部脱力するのは無理ですが、
なぜか必要以上に力を入れてしまいます。
例えば私の場合、
やかんからお湯をポットに入れる時
なぜか腕以外に肩まで上げていました。
ある時、「肩をこんな上げる必要ない」と気づいて
慌てて肩を下げました。でも、
ちゃんとお湯は入れられました。
慢性緊張の恐ろしいところは
その状態がデフォルトになると
力を入れ過ぎていることにも気づけず
マヒしてしまうところです。
肩がガチガチでも痛くないという人多いです。
でも、閾値を超えると
ぎっくり腰や四十肩になって
突然からだが動かない!!
ということになります。
以前、“24時間戦えません”という記事で
睡眠中も背中に力を入れていたために
腰痛になっていたと書きました。
あの時気づかなかったら
きっと、何かで忙しくなった時に
ぎっくり腰になっていたと思います。
今、この記事を読んでくださっている瞬間に
少し自分のからだに注意を向けてみてください。
どこか、不要な力が入っていませんか?
“ある”と思って探したら
きっと見つかると思いますよ。