12.中心と放射状線(2)- ii
(絵がひっくり返っているのは、意図的に、です。本文末尾を参照)
9,10,11、より続いて、
今回は、「中心と放射状線」のいろいろです。
さくさくっと、簡単に、いくつか見てまいります。
1.ギュスターヴ・モロー<出現>
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世紀末芸術、ギュスターヴ・モローの作品です。
「中心」はどこでしょう。
「放射状線」はどこでしょう。
(2)中心と放射状線
文字通り、一目瞭然となっています。
画面真ん中より少し右あたりの空中に浮いている「生首」が中心モチーフであることは、間違いありません。
また、その周りに、文字通り光を「放射」している光線が描かれています。またサロメも生首に向かって左腕を伸ばしています。
これが「放射状線」になります。
この光線は、かなり白味の強い黄色で、明度が高く、生首本体よりもずっと面積が大きく描かれています。
刷毛ではらったような筆の動きの痕跡が残されていて、光線の外へ向かう方向性が強調されています。
そうした工夫によって、ここだけが浮き上がったように(、というか生首は実際に空中に浮き上がっているように描かれているわけなのですが、画面をぱっと見た時にも周囲になじまず浮いて見えて、という意味で)、非常に際立って見えます。
この「放射状線」は強度が強く、ほとんど漫画の「集中線」のようです。
「放射状線」が観者の視線を導く「中心」は、必ずしも画面の中央に位置していたり、大きく描かれたりしているわけではありません。
かなり小さい中心モチーフであっても、
このように「放射状線」が効果的に使われている場合、
その「中心」となるモチーフは非常に求心力の高いモチーフになり得ます。
(3)物語
サロメはヘロデ王に、踊りの褒美として洗礼者聖ヨハネの首が欲しいと申し出ます。斬首された洗礼者聖ヨハネの「生首」が、サロメの目の前にまるで「幻視」のようにして出現しています(絵のタイトルは「出現」です)。
画面の左側の奥の方で玉座に座るヘロデ王も、宮殿の侍従たちも、この奇跡的出現に気付いていないように見えます。サロメだけに見えている幻なのでしょうか。
しかし、生首からは本物の血がしたたり落ちているようです。床には大きなどす黒い血の池が出来ています。
2.ジョット<精霊降臨>
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「中心」はどこでしょう。
「放射状線」はどこでしょう。
(2)中心と放射状線
「放射状線」は、天井から出ているたくさんの赤い筋です。長さがいろいろになっているのが見えると思います。
それから、数名が赤い筋の出所付近を見上げています。彼らの視線も「放射状線」です。
では、「中心」はどこでしょう?。
実は、「中心」はありません。
否、あるのですが、見えません。
敢えて言えば、放射状線の赤い筋の光線の出所にあたる場所(天井真ん中付近)ですけれども、だからと言って「天井の真ん中にある電球が光っている(電気のある時代ではありませんけれども)」という描写でないことは明らかです。
記号論的言い方をすれば、シニフィエ(指示されるもの)なきシニフィアン(指示記号)、といったところでしょうか。
(3)物語と「構図」の工夫
これはキリスト伝の「精霊降臨」という場面です。
キリストの昇天10日後に起こった奇跡です。
キリストの弟子たちは、キリストの昇天を目撃した後、裏切り者のイスカリオテのユダの代わりにマティアを選出し、昇天から10日後のユダヤの五旬節の祭礼の日に、集まっていました。すると、
「突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同が座っていた家いっぱいに響き渡った。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は精霊に満たされ、御霊(みたま)が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。」(『使徒行伝』2:1-4)
つまり、精霊(何か奇跡的な見えない力)が天上界から降ってきた、という場面なのです。
よく見ると、頭上に「舌のような炎」が描かれているのが判ると思います。
(★、筆者によるトリミング加工あり)
さて、物語を踏まえた上で、「構図」の工夫について考えてみます。
キリストが人の姿で現れたわけではありませんから、本来的には、絵画化というのは非常に困難な場面です。
「舌のような炎」「精霊」としか呼びえない、何かよくわからない不可知の力、神聖なあまり可視化・絵画化され得ないもの、不可視の存在が、見えないけれども、見えないままで、しかしそれを感知していることを表現したい。
そんなとき、「中心と放射状線」ほど理に適った表現方法はありません。
今回の場合「放射状線」は、不可視・不可侵の中心を「指し示す」べく用いられています。「放射状線」だけを描いて、不可視の中心が暗示されています。
「放射状線」によって、その存在は、暗示というには憚られるほど、この上なくはっきりと、示されているわけです。
3.レオナルド<最後の晩餐>
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言わずと知れた、レオナルド・ダ・ヴィンチ作<最後の晩餐>です。
「中心」はどこでしょう。
「放射状線」はどこでしょう。
(2)中心と放射状線
中心は、真ん中に座っているキリストです。
放射状線は、部屋の奥行を示す建造物の斜めの線です。
それからテーブルにいる弟子たちのうちの何人かが、身振りや視線などでキリストへの方向線を作り出しています。
それらも「放射状線」の一部です。
まず、下の図版の左側、白線が奥行を示す建造物の斜めの線です。
画面の中で意外に大きな割合を占めている部分ですので、中心モチーフへ視線を引き付ける求心力が高いです。
これらの線がなかったときを想像してみて下さい。
観者の目を中心へ中心へと引っ張る力が、かなり弱まると思います。
(左:★、筆者による線の加筆あり。右:オリジナル。)
次に、視線とポーズです。
(左:★、筆者による線の加筆あり。右:オリジナル。)
上の図版の左側写真では、黄色矢印の実線が「手のポーズ」の方向、黄色矢印の点線が「視線」の方向を表しています。
当然ながら、すべてがキリスト(特にキリストの顔)に向かっています。
ほかにも、明るい外が見える窓を背景にして、キリストだけがシルエットが美しく浮かび上がるようになっている点も、キリストを際立たせる工夫です。
(3)一点透視図法の奥行線
一点透視図法を用いると、消失点に向かう奥行を表す線が、画面上ではまるで「中心」へ向かう「放射状線」のような線を構成します。
その効果を狙って、画家レオナルドは、キリストのこめかみの部分に消失点を設定しています。
(こめかみ部に穴が開けられた痕跡があることが判っています。斜めの奥行線を描くために用いた穴です。消失点としてくぎを打ち、そこに紐をひっかけて引っ張ると奥行きを示す直線が作れます。)
この一点透視図法の奥行の線によって、観者の目は中央のキリストへ向かって、引き付けられるように向かいます。
試しに、逆さまにして図版を載せてみます。
(★、筆者によって意図的に上下逆さまになっています。)
逆さまにすると、歴史的・教義的知識、話の内容、物語性、抒情性などがそぎ落とされて、ただただ純粋に、形象のみを見ることができます。
弟子たちの視線やポーズのみならず、
建物の奥行を示す斜線こそが、
キリストに向かって観者の視線を集中させるのに非常に「効いている」と、感じることが出来るのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。