刑務所
自分というものに対しての評価が付けられる学校の仕組みって本当におかしいなと思う。私たちは常に評価をつけられる。成績ではなく、自分自身に対して。それがのちの受験に繋がるからいい子にしなくてはいけない。違和感を感じながら、おかしいとハッキリ言えるようになるまで実に何年もかかった。でもあの時の評価は人の人生を狂わせるほどのトラウマを作りかねないし、のちの人生にも関わる。自分にもし子供が居たら、絶対に評価を赤の他人に着けられたくないと思う。感情のある、人間に。
中1の時、親と教師の面談で、私が授業中に歌いだすと、教師が言った。親は当然怒った。でも私には心当たりがなかった。何回否定しても親は教師を信じた。今でもたまに言われるけど正直トラウマになるほど嫌だし気分が悪くなる。喉の奥から全ての感情が、涙が、こみ上げてくる気分。ここでも言うけど、私は歌っていない。あの体育教師は人の嫌がることばかり言ってきた。中1なんてオシャレしたい盛りだ。ツインテールをしていた私にジャージャービンクス、なんてスターウォーズのキャラクターに似てるとかいってあだ名をつけてきたし、他の男子生徒の事をプールにふざけて落として怪我をさせたのも見た。体育も苦手意識を持った。私が体育の学校に通って教員免許を取得しようとしているのは自分と同じ気持ちを誰にももう持たせたくないから。あいつがきっかけでここにいるなんて思いたくないけど、いい反面教師だ。そういえば何度も協調性に欠けてるって言われたな。言っとくけど10代が終わりそうな今だって協調性なんて持ってないしいらないと思っている。順応するためには必要だけど、人の意見も尊重できるんだからそんな狭い言葉のくくりなんて本当に必要ない。そんな言葉に苦しめられてた自分がバカみたいだ。
中2の時は授業を抜け出してばかりでくそだったなと思う。でも周りからの誹謗中傷に耐えられなかった。抜け出さないでくださいって親に教師は言ってたな。正しいけど、その根本を変えてくださいって思ってたよ、子供ながらに。でも中2の時の先生は好きだった。中3の時はあんなに素敵な先生は見たことないくらい素敵だった。1度死ぬほど怒られたけど、それ以外もきっとなんか言われたけどいいことしか思い出せない。あの先生は人として本当に素敵で、自分がなりたい教師はあれだと断言できる。私の事を、子供としてじゃなくて1人の人間として見てくれた。これは5年たった今でも忘れられないし一生感謝する。
よく考えれば高校生活でも教師に沢山支えられた。大学受験の時に、この大学は無理だと何人にも言われた。全く授業もうけたことないやつらに。この人たちは努力してきたのだろうけど、人の事を考える努力はしたことないんだろうなと思った。でも私の事を知っている先生は決して否定してこなかった。上をめざせといわれたけど、私が選んだ決断に否定はされなかった。すごく感謝している。
これだけ書くと、中1の時の教師の悪口みたいになるが、部活をやっていると内申上がるとか、受験では教師からの推薦状が必要だとか、授業態度が悪いと成績下がるとか、授業中飲み物飲んだら成績下げるとか、もうやめないか?って言いたい。人の書いた感情が交わった推薦状なんて必要か?部活って何のためにやっている?人の態度なんてそれぞれじゃないか?と私は思うのだ。アメリカでは成績がすべてテスト結果で付けられる。ノンネイティブの私にはきつかったが、それが公平だし当たり前なのだと思った。生きやすかった。お菓子も飲み物も飲んでいい。部活なんて自由だ。寝たらもちろんだめだけど、そんなのテストが良ければすべてよし。行きたくないと思うことがなかった。しかもホームスクールというオプション付き。今思えばいじめられて、周りに誰もいないのによく日本で学校に行っていたと思う。
アメリカに行った後、私は気が楽になった。日本での成績は最悪だしいつも寝てたけど、成績を取るために先生に媚びうる必要もない。何を言われても飲み物を勝手に飲んでいた。テストもちょっと頑張るようになった。人から受けていた、マイナスの評価を気にしないようにした。何を言われても平気なふりをした。だって私は自立してるもの。そんなのいらないと思った。おかげで私はもうマイナスの評価を受けなくなった。でもまだ誰かが何かを言うと構えてしまう節がある。トラウマって怖い。
最近見た目とか、性別とか、そんなのでよく問題になっている。所詮他人からの評価だ。でも人から言われることによって気づいてしまって、気になって自信を無くす。中学の時に誰かに言われた言葉が忘れられなくて苦しむ人も沢山いる。あんな小さいコミュニティーの中で言われた事なのに、忘れられない。人の人生を狂わせてしまう。否定されるとその言葉が悪魔のように思える。自信なんてそぎ取られる。だけど、もうやめないか?もうちょっと楽に生きないか??人に評価をつけることも、人を否定することも、それを人に強烈な言葉として放つのも、辞めないか? 評価まみれの世の中を、消し去らないか?
学校っていうのは、人々に1番身近な刑務所なのかもしれない。