モラハラ抜け
ここ2ヶ月を振り返ると、モラハラから抜け、また新たなモラハラに会い、そして無理やり抜け切った2ヶ月だった。
5月頭から大学での講義で受けていた教授がモラハラ教授だった。
私の通う大学院で、そういった教授に出会ったのは初めてだった。
彼はこの業界では最近革新的な論文を出版し続けている人で私と同年代の人だ。
社会人学生の私からすれば、同年代なので仲良くなることもできたのかもしれないが、
彼の講義を最初に聞いた時から何か違和感があった。
「昔学生には体罰を加えていたこともあった」ような話を聞かされたとき、
それってどうなん?時代がそれを許した?環境が許した?まさか?
と、とても不思議に思っていた。
初めからあった違和感、初めから持っていた嫌悪感を「たった2ヶ月間の短期講座なので、7週間だけ我慢すればそれでいい」と思っていた。
何より、論文執筆に生徒を鼓舞するタイプの教授だと聞いていたので期待をしていたのは間違いない。
的確なアドバイスをたくさんもらえるのだろうと思っていた。
私の受けている大学院では毎回論文の提出と試験が必須となっている。
今回の論文のテーマは私だけが自動的に教授に選ばれた。
それでも構わない、自分にはやったことのない研究だから、とまじめに取り組んでいた。
初めて行う量的研究には統計学の知識が必要なのに
私は何の学習経験もないことが不安だった。
私の集めたデータを、どこでどうしたかを知らされることもなく、
「こうやってデータを処理整理しろ」とだけ、毎回エクセルのファイルを送られてすごす期間が5週間ほど経過した。
(これ、何をやっているんだろう)
何度質問しても、その質問に対する的確な答えは返ってこない。
何度メールを送っても、「この論文を読んで参考にしなさい」としか返ってこなかった。
途中、教授の研究を「手伝う」生徒が現れた。
彼女たちは私より15歳くらい若い生徒だった。
他の生徒はそれを知らされず、彼女たちは内密に「今回教授の研究を手伝ったから共作著書を出版する」という口約束を結んでいた。
一人は頭のいい生徒で、どんどん論文を書けとおされて授業の4週目には論文を書き終えていた。
もう一人は初心者だったので、「先生に論文を書いてもらった」と私に言った。
他の生徒たちは、自分たちで研究テーマを選び、自分たちで論文を書いていた。
私は「研究テーマ選ばれ」たものの、「自分で書け」と言われた口だった。
質問を繰り返しているうちに教授はこんな言葉を繰り返していた。
「君は一体いつまで何がわかっていないんだ」
「どうしてわからないんだ」
「何がそんなにわからないんだ」
「統計学?そんなもの、今知る必要はない。君はそんなものの勉強をするために夜中にYouTubeを見て時間の無駄だ」
それでも、私は
「自分の理解できてないことは論文には書けない」と言ったら
「結局君の書いた論文だって僕が直し、それを出版するんだ。何をそんなに心配しているんだ?」と吐いた。
なんだって???
私はそんな約束をしたことはない。
いつ、誰が、私の論文を書き直すって?
それが私の論文なのか?
「私は、自分の理解していないことは書けません」
「じゃあわかるところだけを書いたらいい。サンプルになる、見本になる論文も渡しただろう。」
「あれは、一体誰の論文なんですか?」
「あれは僕のだ・・・というか、僕の生徒ので、僕が一緒に書いている。」
・・・・なるほど。
そうやって基礎的なことだけを書いた生徒のやつを添削し、もしくは誰かに添削させて自分の執筆論文を増やしているのか。
「あれは誰にも見せてはいけない」と言われた意味がやっとわかった。
自分が言うのも何だが、出来の悪い読みにくい論文だった。
異様に参考文献の紹介が長ったらしい。あれを、いったいどう料理するのか知らないけれど、とりあえずあれを模作しろということなのかと思った。
「あれを見たらだいたいのことは書けるだろう」
出版もされていない、査読もされていない、誰かの「不完全な」論文を参考にしろと。
そのうち、私のデータについて何の解説もなくなった。
統計学の勉強をした理由は、データが何に使われて、何を示しているのかわからなかったからだ。
5月末までに送った実験データは6月なかばに以外な形で私の元に返ってくる。
授業の中で、私のデータを参考にし、
統計学を使った量的研究に使えるサイトの紹介を始めた。
「これはぬんの研究だ。こうやって使うんだ」
私も知らないことを、私の目の前で、他の生徒に自然と話だした。
そのデータの示す意味など、私がずっと知りたかったことを。
それ、私の研究データ、ですけど。
完全にキレた。こいつは、何もわかっていない。
何が私を苦しめているのかわかっていない。
5月末に送った実験データを2週間も保留し、何の説明もなしに私に論文を書けと言って
結果授業中に私のデータを勝手に使った。
そして周りの生徒は思っただろう。「この子、こんなことやってるんだ・・!」
私は焦った。
私は、何もわかっていないのだ。
それでも論文を書いて出せ、と言われる。
わからないものは書けない。あの授業だって、何を言っているのか全くわからなかった。
おしえてほしい、それでないと論文は書けない。
そうやって私が何度も質問を繰り返すので、ついに教授は
「君は、自分が論文を書けない理由を、僕のせいにしているのか?」
その瞬間、自分の頭の中で
「あ、こいつとはもうまともに話はできない」と思った。
先生と生徒という力関係の中で、
下の人間が「できない」というのを「自分のせいか」と聞くのは
もうその人間を育てる気がないし、モラハラに近い。
なぜならそれは、「はい、その通りです、あなたのせいです」と言える可能性が限りなく少ないからだ。
私は今まで
あらゆる自分へのハラスメントに対して「逃げる」という道を選んでいる。
毒親、セクハラ、モラハラ、全て戦い切って、逃げている。
その日は授業を早退した。
あながち教授も焦ったのだろう。
早退した日から遡るように私の質問メールに返信をしてきて、その後フォローのように連続して送ってきた教授のメールは1週間無視した。
もう学校にはいかない、単位もいらない、と思った。
教授の研究を手伝ったうちの一人は私に言った。
「私は書いてもらってます。あなたも、使えるものは使ったほうがいい」
「私たちには出版できる論文が必要でしょ」
「あの人の名前が載って、それでいいじゃないですか」
齢20そこそこの子供には考えることもないのだろう。
私はもう40だ。「私は、人を選ぶよ」とだけ答えた。
結局、他のクラスメイトに(何も知らないコ)に慰められ、
試験を受け、論文は自分で仕上げた。
実験結果は教授の支持する主張と何ら変わりない、何も面白くない結果だった。
最後の授業で私が自分の研究論文に関して発表した時教授は
「君の研究は素晴らしい、出版できる。
僕が教えたことを全てきちんと書いてある。よくまとまっている。
もちろん、僕が共作者になることもできるよ。」
私の中の、最初から彼に抱いていた嫌悪感が蘇った。
「あいつの名前を、私の論文の中で、私と並べて載せるのか?」
ことの顛末を何も知らない、私を慰めてくれたクラスメイトの一人は言った。
「いいね、教授にああやって誘われて。私もあなたみたいな研究ができるか?って教授に聞いたら、君にはサンプルがないだろうって言われたよ。
あなた以外の他の二人にだって、サンプルなんかないのに、それでも共作の機会をもらえてるなんて。何なんだろうね。悔しい」
差別だよなぁ。
シンプルに、そう思った。
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5月初旬、
モラハラ被害に遭った自分との関係を切った後すぐにこの講座が始まった。
この2ヶ月、モラハラに向き合って、逃げて、また逃げたような気がする。
論文を提出した後、どっと疲れた。
何もしたくなくなり、そして、過去の人間のことばかり思い出した。
心が、痛いと叫んでいるような気がした。
もう逃げてほしい、と言っているような気がした。
もう、逃げた。
私は自分で逃げ切ったよ、と
自分で自分の腕をさすった。
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