幸せを選ぶことを許す

おはこんばんちは。
まだ寒いね。
ファンヒーター様様。


今日は、「幸せを選ぶことを許す」。
先日ラジオで聴いた話、人は不安より不幸を選んでしまう、らしい。
不安を選ぶくらいなら不幸な状態に自分の身を置いておく方がマシ、と思うものだそう。
うん、、確かに。。

不安って得体が知れないもの。
この先どうなるかわからない。
形がない。名前もない。
捉えようがないけど、ある。
言葉にするのも難しい。
ただなんとなく想像だけが膨らむ。
良い想像ではなく悪い想像が。
不安って、そういう自分の思考に耐えられないってことかなと思う。
幸せでも不幸でもどっちでもいいから、地に足をつけたい。
名前がついた状態に身を置きたい。

それって、
不調で病院に行って、あらゆる検査をしたのに原因はわからぬまま、
何年もかけて病院も点々として、ようやく病名がわかってホッとした、
っていうような、時々聞くエピソードも同じかなぁ。
病気に意識を向けて病名を必死で見つけて、ほーら病気だったって安心する。
それって、
好きな人に告白をして、ずっと返事がもらえない生殺しの状況に耐えられず、
もういっそ早く断って!、むしろ断って欲しい!、って思うような感じかなぁ。
断ってもらえた方が次に進める。
そして、断られたらかわいそうな私になれる。

不安ってたいてい何が不安かもわからない状態、ってラジオでも言ってた。
人間、不安な状態には長くいられないようになってるのかもしれない。

今が不安、っていうことだけじゃない。
今の安定した状態から飛び出す不安、っていうのもある。
むしろその方が、私にとっても考えさせられるところ。
人間は変化を怖れる。
変化は、不安。
これまで、私は変化に強いと思っていた。
今思うと、そういう自己コントロールに努めてた。
転職したりね。
環境を変える時に、自分の適応力を信じて、大丈夫大丈夫って言い聞かせてた。
てっきり変化に強いと思ってたし、一理あるとも思いたいんだけど…
いや、やっぱり、
私は非常に硬くなで、頑固で、マイペースで、考えを曲げられない。
だんだん気づいてきた。
きっと私が変化に強いと思っている部分はごく一部分。
職場の変化や住環境は、一定程度変化が好きだと思う。
変化の直前や変化直後の不安は、しばらく耐えつつも慣れていくことや
その中でも楽しみを見つけていくこと、そしてきっと馴染むことを信じてる。
信じられるほどの自信を今持っているからかな。
自己コントロールのたまもの。
でも、それ以外の、これまで努力してきていない項目については、
頑なに変化を拒んでる。
我ながら、そう思う。思うようになった。
ゆっくりしか変化できない。
時間の経過や年齢に伴って、自然に心境が変化するのを待ってる。
例えば、親の呪縛。
呪縛と言えば呪縛だし、私の生涯最大の幸運と言えば幸運でもある。
あまりに良くしてもらってるから、依存心が強くて、離れるのは怖いよ。
離れるって縁を切るとかそういうことではもちろんなく。
離れるという変化。
物理的にも距離的にも今よりもっと離れられるけど、
実際のところ精神的には離れられないだろうと思うから。
離れるという変化は、不安定になりそうで不安で、今のままでいたいと思う。
決して、今、不安より不幸を選んでる、わけではない。
不幸なわけではない。
でも、だけど、私が変わらないことは不幸だとも言える。
だって、私が変わらなくても世の中は変わっていく。
親も老いるし、周りは変わる。
私も徐々に変わってきているのに、なんとなく気付いてはいるのに、
相変わらず硬くなに変わることを拒んでるとも言える。

無理して変わることはできない。
無理して変わるものでもない。
でももっと素直に伸び伸びと生きていきたい。
転職の時と同じように、不安はいつか過ぎ去るし、不安な間も楽しめばいい。
不安を拒否して、道を閉ざすのはもったいない。
不安の先がどこにつながるかはわからない。
でも、不安の霧を抜けて前に進まないと私の道がひらけないのは確か。
ひらけた道が幸せか不幸せかはわからない。
でも、どんな状況でも幸せにはなれるし、どんな状況でも不幸せにもなる。
幸せは私が決めること。
どんな状況でも幸せでいればいいんだから。

ドラえもんの歌にある、“何のために生きるのか”。
何のためもなくていい。
過去は過去。
未来を想像し過ぎず、
今を一生懸命幸せでいよう。


今日も、自分を信じて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?