「ニコニコして怒らない女」をずっとやってきたわたしの話
怒るのって、疲れる。
だからわたしはなるべく怒りたくない。たぶんみんなそうでしょ。
だって怒らなくても、人は話し合えばいいのだし、「怒る」以外の方法で物事が解決したり改善するなら、そっちのほうがいいに決まってる。わざわざ疲れることをやるこ必要はない。
そう、たとえば、めちゃくちゃ理不尽なことを言われたとしても。
内心では「は?」ってなってるし、
「ふざけんなよてめぇ」ってなってるし、
一瞬、表情が硬くなったりはするんだけど、
そのあと、高速でいろんなことを考える。
ってことで、結果的にはニコニコしながら、その場をのりきる。
「わかりました😊」って返しておけば、誰もわたしが心の中でそいつに毒づいているとは思わないだろうし。
平和は尊い。平和がいちばん。
そういうかんじで生きてきたから、気づいたらあんまりわかりやすく怒らなくなっていた。
その場では何とも感じていないふりをしている。でもそれは、「怒りの矛先を向けるべき相手」に「直接、不満を言うことを避けた」だけであって、違う場所で、しっかりめっちゃ怒っている。
相手を変えるより、自分が変わる方がらくだよ、ってよく言われる。
だから、自分が我慢すればまるくおさまる。こんなふうに考える人、わたし以外にもいるんじゃないか。
自分が我慢して、変わらず機嫌よくしていれば。
自分が我慢して、何も感じていないふりをしていれば。
自分が我慢して、したくもないセックスに応じていれば。
世界は平和だ。
そして違う場所で、「ちょっと聞いてよ」となる。
直接、張本人に向けられない怒りを、別の場所で、別の人に処理してもらって、発散して昇華させるもよし、言語化して腑に落ちるのもよし、転化させてなにか有用なものに変えるもよし。
「変わらないもの」と向き合うために、怒りの使いどころを変える。
わたしはずっと、そうしてきた。
詳細には触れないけど、先日、ちょっとした出来事があって。
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しあわせに生きて、しあわせに死ぬまで
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