産むと決めた日
とある深夜。一人暮らしの狭い部屋でいつも通り夜更かしをしながらまったりしてた身体に、急に胸焼けが押し寄せた。あわてて流し台へ顔を突っ込み、通り過ぎるのを待つ。あれ、これって、もしかして・・・頭にふとよぎったのは、ドラマのヒロインが妊娠に気がつく、よくあるシチュエーションだった。
(まさか、そんなはずは。)
居ても立ってもいられなくなった私は、家のすぐ近くにあった真夜中でも営業しているドン・キホーテに駆け込み、妊娠検査薬を購入して自宅に戻った。すぐさま検査・・・予感は的中、判定枠の中に1本の線がくっきりと表示された。それを凝視したまま、まるで時が止まるような感覚に陥った。
当時19歳。学生で東京に一人暮らしをしていた頃で、横浜に住む彼氏とは付き合って1年と少し過ぎたくらいだった。学校を卒業して、就職して、これから先やりたいことがたくさんあった。将来のイメージでは、結婚は28歳くらいで、出産も30歳手前くらいでできたらいいと、呑気に考えていた。
まさか、思いもよらないこんなタイミングで、赤ちゃんを授かってしまうなんて・・・。まだこの時は何も判断できず、ひとまず彼に連絡をした。
(母親にはいつ話そう。)
話すタイミングを持つことができず、数日後に控えていたのは、成人式。まだ重い口を開くことができぬまま、故郷へと帰った。
本当に母親とはすごいもので、浮かない顔をして帰ってきた私を見た瞬間、
「何かあったの?」と一声。
バレてしまったという罪悪感と、言うきっかけができたことの安堵感に包まれ、ことの顛末をすべて打ち明けた。母は驚いていたものの、割と冷静に受け止めてくれた気がする。まず産婦人科に行って検査をしようと、私を連れて行ってくれた。
いろいろ診察をして、最後にエコー検査。画面に映ったのは、まだ人間と呼ぶには頼りなさすぎる、クリオネのような形をした小さな命だった。それを見た瞬間、雷に打たれたかのようなスピードで感情が押し寄せてきた。
「この子を産んで、目の前で顔が見たい」
その一心で、19歳の私はすべて受け入れる決意をした。
私の将来を案ずる母からは、反対を受けた。「こんな早くに出産するなんて、これまでの人生が全て台無しになってしまう」と。しかし、何度言われても、「産む」という決意は揺らがなかった。
徐々に膨らみゆく下腹部だったが、まだ帯を巻くことができた。母から受け継いだ青い振袖を着て、私は成人式に出席した。
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あれから20年、その時産んだ娘が20歳の年を迎えた。成人式の前撮りで着た衣装は、私も袖を通した、あの青い振袖。母娘3代をリレーした、思い出に残る振袖だ。
20年前。産む決心をした私は、学校を辞め、就職よりも先に体当たりで子育てをした。自分がまだ親になりきれず、辛い時も多かった。やり残した後悔に潰されそうになったり、子育て優先でストレスを溜めて苦しむ日々もあった。
でもあの時、あの選択をしたから、今こうして家族集まって笑顔でいられるんだと、後悔はひとつもない。そして20年を過ごしてきて思うのは、やれなかったことは、いつからでもやればできるし、今だからできることを前よりもっとやればいいだけ。生きていれば、なんでもできるということだ。
あの日、私のところにやってきてくれた娘に感謝している。ひとりでは体験することができなかった経験がたくさんできたし、何物にも代えがたい家族を作ることが出来たから。そして大人になった娘には、これからも彼女の思うがままの人生を歩んでほしいと心から願っている。
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