見出し画像

論文をスマホで書く生徒、紙で直す教員


「生徒主体」…その「生徒」はペーパーネイティブか?デジタルネイティブか?



昨年の冬休み、日本史の宿題として、高校2年生に「1万字論文」を出した。


これは、「その先必要になってくるであろう力」を見据えて、生徒たち自身が話し合いで決めた課題だ。


データでの提出であったが、

3学期の初回授業で、生徒がある悩みを口にした。


「先生〜、スマホで論文打ってたら、親とかばーちゃんに

『遊んでばっかりいないで勉強しなさい』って言われたんですよ〜」

とのこと。


なるほどなぁと思った。



世代間格差 


無論、「ばーちゃん」の世代には、論文といえば手書きであった。

「親」の世代でようやくワープロ、そしてパソコンが浸透したはずだ。

それが、居間でスマホをいじっているだけで「論文が書ける」なんて、思いも寄らないのも無理はない。


この世代間格差、そして「止められない変容」の波は、間違いなく教育現場にも押し寄せたのだ。



教員と生徒


さて、話を戻そう。


この生徒の経験談は、今年度の学年全体での卒業論文指導にも役立った。


つまり、生徒は「スマホで論文を打つ方が楽である」という可能性を当初から想定して、運営できたことだ。

実際、自分のパソコンを持っていない生徒にとっては、スマホにWordをインストールしたほうが楽なのだ。

ただし、これを添削する教員は、紙に印刷をして赤でペン入れをする方が慣れている。


一方、生徒の「スマホ完結型論文執筆」には、Wordの共同編集で「コメントをつける」方が合うだろう。



このペーパーネイティブとデジタルネイティブの「感覚の違い」を、しっかりと認識した上で、

両者にとって「生きやすい」最大値を模索することが、ここ数十年は必要となりそうだ。



紙の書物は絶滅しない。

しかし、「手書きの文化」はすでに絶滅危惧種予備軍にいるのである。



MAAM.

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?