雨を降らそう、喧嘩をしよう。
先日、とある面接において
「どんな教員で居続けたいか」と問われる場面があった。
「学び続ける教員でいたい、それが教員になったきっかけでもある」
「人との関わりの中から学ぶものも多くあると気づいた」と答えた。
すると、今年度の「人との関わり」は特殊であったと思うが、
どのように関わったのか、と問われた。
そこで、
「今年は、全員が『何が正しい選択か』という倫理的課題に直面し続けた特異な年」であったことから、
「その選択の合意形成において、その人の『正義感や価値観』が露出し、多くの場面でその対立が起こった」ことを述べた。
しかし、その対立は、決して全てがネガティブなものではなかったと感じている。
むしろ、この対立をきちんと体験できたことは、少なくとも自分にとってプラスであった。
『わかりあえないことから』の著者、平田オリザ氏も、赤穂浪士を例に挙げ、
「対話は非常事態に起こる」ことを指摘している。
その面接では、平田氏の指摘を参考にしつつ、
「非常事態において、価値観のぶつかり合う『対話』を体験したことで、
学生時代にはその学びの場は『知』におけるものだと考えていたが、
それだけではなく、『人との関わり』からも得られるものであると感じた」と締めくくった。
結果、その場はいい感じで締まったのである。
ありがとうオリザさん。
というのは冗談だが、もっと大人はぶつかり合っていい、ぶつかった方が、
どんな結論になっても、その選択自体には納得できなくても、
その先を全力で見据えていけると感じたのであった。
雨降って、地固まる。
雨が降らなければ、ただ干からびていくのみである。
MAAM.
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