マザーズリュックに推しキーホルダー

私は娘と公園に行くのが日課だ。

さすがに天気の悪い日は行かないが、晴れてる日はほぼ毎日と言っていいほど公園に行く。

私もさほど行きたいと思って連れていってる訳では無いが、晴れている日に室内に閉じこもっていたところでどこかもったいない気持ちになるし、何より公園に着いてベビーカーのベルトを外した瞬間に勢いよく飛び出し駆け回る娘の姿を見守るのが今の私の努めなのだろうなぁと思うから。

まぁ公園にしろ、児童館にしろ、子どもが沢山集まるところにはもちろん私と同じように子どもを遊ばせに来ているママさんがいて。

日替わりでいろんな公園に足を伸ばすので、特定の公園で会う仲良しさんはいないのだが、その場その場でママさんとお話することももちろんある。

特に私は話しかけよう!!と意識している訳ではないが、話しかける時も話しかけられる時も会話きっかけはほぼ9割型子どもだ。
「何歳ですか~?」
「○歳○ヶ月です~」
「そうなんですね~!少しうちよりお兄ちゃんかな?おしゃべり上手ですね~!」

あたりがまぁ定番の始まり方。

そして
「陽当たると暑いけど日陰は寒いですね~」
とか
「ココ最近雨ばかりで嫌でしたね~」
「今の時期着せるもの悩みますよね~」

とか
そんな当たり障りのない会話をする。

見知らぬ人とこんな会話をするのは別に苦じゃない。

かといって「すごく楽しい」
わけでもないのだが。

この会話自体も母親であることの一部というか、同じ場にいて子どもを遊ばせる者同士が波風立てずうまくやろうぜ!というコミュニケーションに過ぎない。

そこから
「おうち近いですね!じゃあ今度お茶しましょ~!」
「LINE交換しませんか?」

なんてことは断じてない。

言ったことももちろん無ければ言われたことも無い。

ここまでが前置き。

2歳の娘は来年春から幼稚園に通う。

現在はプレ幼稚園として1ヶ月に2回ほどわたしとともに幼稚園に通っているのだが、そこで先日あった出来事。

1時間ほどのプレ幼稚園のスケジュールが終わり、娘を園庭で遊ばせていた。

園庭には同じように子どもを遊ばせるママさんがたくさん。

プレ幼稚園は既に数回行われているので気の合う同士おしゃべりの花が咲いているママさんたちもちらほら。

私はと言うと、会えば声をかけあっておしゃべりするほどの仲の人は特にできていない。いわばぼっちだ。

当たり前だ。ここには自分のお友達を作りに来てる訳では無いし、それを別に恥ずべきこととも思っていない。
ぼっち上等である。

そろそろお昼。
遊びに夢中になってる娘をスムーズに帰らせるためにどうやって気を引くか…などと考えてる時、一人のママさんに突然話しかけられた。

「すみません…
そのキーホルダーって

ガガガSPのですよね??」

「!!!!!!!!!!!!!」

そうである。
バンド名を出すかどうかは悩んだが、隠しても別に意味は無いので出させていただく。
私は昔からガガガSPというバンドが好きなのである。

そのライブグッズであるキーホルダーをいつも使っているリュックに特に意味はなくちょいっとつけていた。

まさかそれが人様の目に止まるなんて。

ここはライブハウスでもフェス会場でもない。

幼稚園の園庭だ。

幼稚園の園庭で、
まさか私の好きなバンドの名前が出るなんて!!!!

私は興奮と感動に包まれたまま、
彼女に返事をした。

裏返った声で、「あっ!これ!そうだ私こんなん付けてたっ笑 やーなんかすごい恥ずかしっ! そうなんです昔から好きで…エッ!?ご存知でしたかっ!?」
っとニヤニヤマスク越しに笑い顔を浮かべて。

そこから5分程度彼女と談笑をした。

ガガガSPが好きなこと。
でも神戸のバンドだからなかなか東北にはライブに来られないこと。
ライブやフェス大好きだけど子育てしてる今はなかなか行けない、ということ。

彼女もまた
昔はライブハウスによく行ったこと
前からリュックにぶらさがるそのキーホルダーを見て気になっていたこと

などを話してくれた。

その後子どもについてとりとめのない雑談をして、娘が砂遊びに飽きすべり台にダッシュしてしまったので名前を聞くこともなく別れてしまったのだけど。

家に帰っても、そのことを反芻していた。
「嬉しい」というか、なんというか。
思い出すとついニヤニヤしてしまうなんとも言えない感情が私の中にあった。

母親になってから初めての事だったように思う。
見知らぬママとの会話が子どもきっかけでなく「私」きっかけだった。

たったそれだけのことで。こんなにも高揚感があるなんて。
自分でもびっくりだった。

専業主婦として子育てをして2年半と少し。
一日の大半を「母親」として過ごす。
子どもが起きてる時はもちろん四六時中。
子どもが寝ていてやっと一息つけても、もし泣き声が聞こえればまた「母親」に戻る。

産前の自分が恋しくて恋しくて恋しくて、
Googleフォトが見せてくる数年前の写真を見てため息をつく。

ライブもフェスもほとんど足を運べなくなり、
それどころか好きなバンドの新譜も追えない。
一息つけてもYouTubeを見ようという気力がない。
CDを買おうという意欲すら奪われる。
生活における「音楽」の優先度がどんどん下がっていく。

いや、音楽どころか。服もメイクも髪型も。

どんどんどんどん生活に疲れて自分の楽しみが後回しになる。

なかなか「産前の自分」と「母親な自分」が上手くシンクロできなくてアンバランスになる気持ち。

まぁしょうがないみんなそんなもんだろう。といわゆる一種の諦めを噛み締めて生きていた今日この頃。

この日の出来事で、フッと何かが払拭できた気がした。



当たり前のことなんだけど、街で見かける子連れのママはみんな子供がいない時代があったわけで。
生まれた時からママなわけじゃない。

あの日のママさんのように、
推しと思われるキーホルダーを下げるママさんをみたら
次回は私から話しかけてみようと思った。