ルイーズの店(2020ヴァージョン)
セカイが滅びてしまったので、食料品を手に入れるにはルイーズの店に行くしかない。ほかに選択の余地はない。ルイーズの店は輸入缶詰の専門店で、まだけっこう備蓄があるのだ。
ルイーズの店は女の子がひとりでやっている。ほんとうの店名はべつにあり、ファサードに気取った横文字で書かれてもいるけど、セカイが滅びた今となってはそんなこともうどうでもいいだろう。呼びたいように呼ばせてくれ。
ルイーズってのはぼくがつけた綽名だ。これだって、別にほんとうの名前があるはずだけど、残念ながらぼくは知らない。
ルイーズは、ぼくが知っているあらゆる女性のなかで、もっともルイーズ・ブルックスに似ている。ボブヘアで、小柄で、とても可愛い。たんにキュートってだけじゃなく、上目づかいにこちらを見ながら微笑むさまなど、妖艶とか小悪魔的なんて形容を捧げてもよろしい。だからもちろんぼくは彼女が大好きで、半年まえから通い詰めてたんだけど、本名すら教えてもらえぬうちに、セカイが滅亡しちゃったしだいである。
テレビもネットも繋がらなくなってるもんで定かじゃないが、状況はそうとうにシビアかつヘビーなようだ。ぼくの居住している区域でも、ルイーズとぼくを除いたすべての人が、言いにくい話ではあるが、つまりはその、天に召されてしまったらしい。さもなくば、棚にびっしりと高級缶詰を揃えたルイーズの店が、平穏無事なはずがない。血相を変えた善男善女が、手に手にバットやら何やら、とにかくその種の獲物を持って、殺到するにちがいないからだ。そんなだったら、ぼくだってさすがにこんな悠長に構えてられない。
その日店に行くと、ルイーズはいつもとかわりなく、カウンターのむこうで頬杖をついて退屈そうにしていた。彼女の様子を見ていると、じつはすべてはぼくの妄想でしかなくて、「神、空にしろしめす。なべて世は事もなし」じゃないんだろうかと思えてくる。そうならばどんなにいいかと思うのだが、じっさい今、ここにくる途中でも、ぼくは路上のあちこちに転がる亡骸を目にしてきたのだ。
「やあどうも。おはよう」
「いらっしゃい」
「いい天気だね」
「そうなの?」
「ああ、うーん。少なくとも悪い天気じゃなかったよ。気分はどう?」
「そうね、まるで世界が滅亡しちゃったみたいな気分」
「同感だな。さて、品物を選ばせてもらっていいかな」
「ええ、どうぞ」
「………………」
「………………」
「えーと、じゃあ、これとこれとこれで」
「はい。オイルサーデンとキャビア、あとアスパラガスね」
「値段はいつもどおりでいいの? インフレになってない?」
「そうね。乳母車いっぱいのマルク札を……といいたいけれど、まあいつもどおりでいいわ。大儲けして、派手なドレスとか買っても、もう着ていく場所がなさそうだから」
「そもそも売ってないしなあ。いや、手には入るかもしれないけど、見せびらかす相手がなきゃね」
「そういうことね」
「えらくあっさり頷いたね。ぼくじゃだめかな?」
「え? なにが?」
「だからその、おしゃれなドレスをみせびらかす相手さ」
「ごめんなさい。なんの話だったかしら」
「……いや……いいよ。訊いたワタシがバカでした。じゃあこれ、代金ね」
「はい。1万円入りまーす」
「儲ける気はなくても、お金はちゃんと取るんだね」
「それはそうよ。商売だもの」
「こんな時だからこそ、秩序を守らなきゃってわけだ」
「そういうことね」
彼女はちん、と音を立ててレジを打ち、「毎度どうも」と言って、ぼくの手を両手で包み込むようにお釣りを握らせてくれた。これは初めてここで買い物をした時からの習慣で、そのためにわざわざぼくは大きなお札を出すのである。
品物をていねいに紙袋に詰めてから、ルイーズはぼくを見送るためにカウンターから出てきてくれた。必然性は分からぬけれど、彼女はいつも黒い網目のストッキングを履いている。必然性はもっと分からないけれど、ピンヒールの黒いパンプスを履いてもいる。160センチにも満たない背丈で、ひどく華奢でありながら、その脚線美は見事だった。
彼女の姿を前にして、ぼくはつねになくどぎまぎした。どういうわけかわからない。昨日の夜、眠れぬままに、寝床で甘ったるい恋愛小説を読んだせいかもしれない。古来より、騎士道小説だの恋愛小説だのを読んで幸福になった者などいないのである。
で、気が付くとぼくは、こんなことを口走っていた。
「あのさ」
「何かしら?」
「今さらだけど、ほんとにつくづく、たいへんなことになったもんだよねえ」
「まったくだわ」
「最近ちょくちょく考えるんだけど」
「はい?」
「たとえばだよ、たとえばの話ね、すでに世界が滅びちゃったとして、そこにこの、まあそのね、一対の男女が取り残されたとしたら、それはいわばもうアダムとイブみたいなもんで、やっぱりそれは、あるていど親密になるべきじゃないかと思うんだよね。なんというか、それはもう個人の思惑を超えてさ、人類としての義務っていうか」
ルイーズはぼくの言葉に答えず、ぼくの目を正面から見つめ、濃いまつ毛で2、3度まばたきしたあとで、向かって左手のカウンターの奥へと目をやった。誘導されるかのようにその視線を追ったぼくは、思わず一歩うしろに下がった。薄暗がりになっているうえに、コーヒーミルやらアンティークドールやら、色んなものがごちゃごちゃ置かれてるので、そんなものがあるなんて、今の今まで気づかなかったのだ。
「ああこれ?」
ルイーズはそのものに近寄り、無造作に、しかし明らかにわざとらしい仕草で手に取った。
「何だと思う?」
「実際に見るのは初めてだけど、ぼくには猟銃にみえるね」
「正解よ」
「で、それって弾出るのかな?」
「弾の出ない銃なんて、中身の詰まってない缶詰みたいなもんでしょう?」
「いやでも威嚇用のイミテーションとかさ」
「いえ。正真正銘のホンモノです。ちなみにわたしは、10メートル離れた地点からクレイの中心を撃ち抜けるほどの腕前だったりもします。試してみましょうか?」
「あーなるほど。それはそれは。いえ結構です。試すには及びません」
「ほら、なにかと物騒じゃない? 何が起こるかわからないものね。やたらと口説いてくる男がいたり」
「まったくだね、うん。それは気をつけなくちゃだね」
ぼくは急いでカウンターのうえの紙袋を手に取った。
「毎度ありがとう。またいらしてね」
「それ本気で言ってる?」
「もちろん、お客としては、いつだって歓迎してるのよ」
「なるほど。お客としてはね」
「ええ。お客としてはね」
「それじゃあね。また来るよ。お客としてね」
「お待ちしてます」
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