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「後悔」の仕組み〜今から何とでもなる〜

「後悔」は望む未来への「ヒント」です。
何に後悔し続けることで、自分の本当の願望を隠していますか?


誰でも多かれ少なかれ「後悔」はあるかと思います。

お昼ごはん肉にすればよかった
昼寝せずに勉強すればよかった
あの洋服着てくればよかった…
といった日常の小さなものから

あの仕事をやっていたら
あの人と共に過ごしていたら
〇〇の道を選んでいたら
人生が大きく違ったのかもしれない…
といった大きな岐路への想いまで

「後悔先に立たず」なんて言葉もありますが。
実はこの「後悔」っていうのは認めてあげないと無くならないのです。
見ないフリ無かったフリをしても、心の奥底には残っている。
「こっちで良かった」と心からそう思っているのか、「本当は後悔している」のに自分に言い聞かせているのかでは、未来への影響が全く異なってきます。
だからこそ「後悔してもはじまらない」なんてスルーせず、その感情に寄り添って自分の本音を理解してあげたいのです。


「後悔=失った(と思い込んでる)望む未来への未練や執着」です。
その後悔する出来事によって、本当は何が得たかったですか?

例えば
五感への満足感
日常への充実感
豊さや喜び
社会への貢献
愛のある日常
やり切る達成感…

「こちら」を選んでしまったがゆえに得られなかった、感情や感覚や在りたい自分の未来の姿はどんなものだったのでしょうか?

「後悔」するということは、「あちら」を選ばなかったためにもうそれを得ることはできないと考えているのです。だからこそ私たちは過去に未練を持ち、過去に執着をして「得られなかった何か」に思いを馳せます。

しかしですね
この「得られなかった何か」はこの先にも得ることができるのです。
同じ環境や同じ人や同じ状況を作ることは不可能かもしれません。が、感情や感覚や在り方にフォーカスしたとき、それらを別の現実として創造することは可能なのです。
なぜなら私たちの本当の望みは「そこで得られる感情や感覚」。
それを得る現実は一つではない、そこに気づいた瞬間に別の選択肢が現れます。


でね
ここで登場するのが「思い込み」「ブロック」「固定概念」「バイアス」などと呼ばれる右脳の真面目思考たちです。

一度決めたことは変えられない…
だってもう年齢が…
体力が衰えてるし…
普通は無理でしょ…
私にそんな価値ない…
もう手遅れだわ…
失敗したら何か失う…
〇〇でしか叶わないはず…
あの人とじゃなきゃダメ…

これら一般的な考え方によって、失うことや失敗することや傷つくことへの「恐れ」が勝ってしまい「現状維持」を選んでしまう。
他者や社会に与えられた概念によって、自分の望みを諦めてしまっている。
これだと後悔が後悔のまま残ってしまいます。


・・・・・・・・・・・

「図に乗る」
仏教用語で、声明(仏教の儀式において経文に節をつけて朗唱する声楽の総称)の転調を「図」といい、難しい転調が成功することを図に乗る(上手くいく)と言う

変化へのチャレンジ(転ずること)は難しいと皆どこかで思っています。
ですがまず「図に乗ろう(チャレンジしよう)」としないことには、本当は得たい体験が得られる可能性すらも失ってしまうことになります。

「後悔」は、ただ自分の望む方向に乗れなかった一度の経験というだけです。
その経験があったからこそ、別の方法で何度でもリトライすることができます。

どんな感情や感覚を得たかったですか?
今から望んでください、現実に投影され始めます。


チャンスは何度だっていつまでだって訪れます。
諦めないでください。叶えてあげてください。
難しくないです。失敗も成功もありません。
頑張らずともただ時が来たら乗っかるだけです。
ただ経験したいことに向かっていて
ただ感じたいことを味わっているだけ。
その叶ってない現実ですら、後悔ですら、本当は自分が望んだ貴重な経験です。
だから恐れず、リラックスして、ただ楽しんで、図に乗っちゃってください。


「内側=外側」
自分を理解できたなら
人生は楽しい、それだけなのです。
enjoy♡

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