58.ジャイアンリサイタルの名残 ~成仏させたい~
(成仏させたい!!)
〈だれか、わたしの『手のような雨』を成仏させてください〉。
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『ドラえもん』に登場するジャイアンは、聞くに堪えない拷問レベルの音痴なのに、そのことが見えていなくて、自身の歌を空き地で披露する「ジャイアンリサイタル」に、同級生を強制参加させている。
〈わたし、すごい。わたし、うまい。見て! 聴いて! ほめて!〉
この経験が大事なのだと、スピリチュアル・プロフェッショナル養成講座の最終日に、本郷綜海さんがおっしゃった。
このことを聴いたとき、過去に私が行ったジャイアンリサイタルのあれこれが、絵巻物が転がるように、流れでてきた。
(わたし、ジャイアンだった!)
最初の記憶は、小学2年生のときだ。短い物語を小さなノートに書き綴り、大人の人(主に先生)に見せまくっていた。
どんな話を書いていたのか思い出せないが、ジャイアンのように、自信満々だったと思う。
ほめられて、さらに調子に乗って、毎日書いていた。
その後も、あれもこれもといろいろあるが、わたし史上最高のジャイアンリサイタルは、短歌だと思う。
短歌など創ったこともないのに、初めて創った短歌をほめてもらって、調子に乗った。
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突然、短歌に目覚め、毎日、歌を詠み、処女歌?から半年後の誕生日には、五十歳記念のミニ歌集『手のような雨』を創った。
自分で撮影した写真と短歌を組み合わせ、編集し、出逢った人たちへの感謝をこめて、フェイスブックで告知し、欲しいと言ってくださった人に送付した。(ジャイアン!)
その年の9月に開催される「文学フリマin大阪」に参加することを決め、増刷した。(ジャイアン!)
4月から短歌の会に入り、歌会に参加するようになった。(ジャイアン!)
仲間たちとフリマに参加し、短歌みくじや、グッズを作って販売した。(ジャイアン!)
『手のような雨』も、ダメもとで置いてみたところ、買ってくださるかたがいて、目の前で、自分の作品が売れていくのを観るという体験ができた。(ジャイアン!)
ところが、理由は忘れたが、文学フリマには出なかった。(ジャイアン撤退。インナージャイアン?)
短歌が創れなくなり、短歌の会もカルチャースクールもやめた。(ジャイアン撤退。インナージャイアン?)
(在庫)
何冊残っているのだろう。
父の介護のため実家に単身赴任中なので確認できないが、数十冊は残っていると思う。
ぎっしりと『手のような雨』が入っている箱を見るたびに、いたたまれない気持ちになり、胸がうずく。
それが、文学フリマに出なかったことからなのか、短歌から離れたことからなのか、よく考えもせずフライングしたことへの自戒なのか、販売するという機会を避けたことからなのかは、わからない。
おそらく、すべて少しずつ、うずいていて、それが、短歌以外のことにもつながっていると感じる。
しかも、当時はビビッドで美しい色をしていたが、そもそも、家庭用のフォトブックなので、創ってから五年以上経つと、写真の風合いが落ちている。がっかりだ。
時機を逃すことへのうずき。
ああ……。
(成仏させたい!!)
再び、ジャイアンリサイタルを発動し、もらってほしいとお願いすれば、お嫁入先は見つかるかもしれないが、それでは成仏できないだろう、と思った。
「無料という名の傲慢さ」こそが、最も成仏させたいうずきの一つではないかと感じるからだ。
物々交換はどうだろう?
そのかたのジャイアンリサイタルの産物との交換。
あたたかな循環!
〈だれか、わたしの『手のような雨』を成仏させてください〉。
そんなお願いを、落ち着いたらしてみよう。
ということを思いながら、目をつぶって、ページをひらいてみたら、こんな歌が載っていた。
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〈リトルミィ〉
誰でもない 私は私に参加する 優勝しよう 努力賞じゃなく
宇宙では またたきひとつ なんもかんも そうだよやばい もう負ける気がしない
バケの皮 はいでみようか その下に隠れた私と今、逢いたい
“やりきった”なんてありえない うそぶいて満たされたふりをすることの罪
今だれを演じていますか その役は何度目ですか『はだかの王様』
いい人をやめたい夜のリトルミィ 貫きたいからその表情(かお)貸して
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浜田えみな