497.【魂活】「第2回 直観の回復-できすぎた母親を死なせること(『狼と駈ける女たち』第3章)」レポート
私に足りなかったのは、「決める」こと。
なんとなく、なしくずし的に、
何もかもをはっきりと決めないまま、
波風が立たないよう、
波風が立たない人が歩み寄る方を選び、
これまで、低きに流れてきたのだと思う。
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「わたしがお願いしているから」
というセリフを読んだ瞬間、
何かが突き抜けたように、はっとしたのは、
自分に欠けていた振動だったからだ。
(本文より)
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NPO法人 Umiの家主催 越地清美さんの「野性の女を呼びさますお話し会」連続講座 オンライン 第2回目。
お話し会は、各回において、クラリッサ・ビンコラ・エステス氏の『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』の、1章~2章分の内容をテーマに、こっしぃさんが本文の読み語りをしてくださり、資料によるレクチャーと、参加者全員のシェアタイムで構成されている。
書籍では、どの章にも、女性から女性へと、口伝によって伝えられてきた短い物語が掲載されていて、その中にぎっしり詰め込まれたエッセンスを、クラリッサ・ビンコラ・エステス氏が、さまざまな方法でひもとき、解説している。
丁寧なあまり、修飾語や比喩が多く、文章が長いので、自分ひとりで黙読していると、知らず知らず読み飛ばしていて、何が書かれていたのかよくわからなかったり、書籍そのものが700ページ、3.5センチもある、厚くて重い本なので、ひらくのも気合がいる。
だけど、こっしぃさんの声で語られる物語は、とても魅力的で、すぐにひきこまれ、いつのまにかその世界に入っている。
そして、レクチャーが始まると、現代の日本に生活している私達に即した事例を、あたたかな口調で伝えてくださるので、今の自分が体験していることに、響きあう。
多くの参加者がおっしゃっているように、物語で注意喚起されたことが、現実の世界でシンクロするのを、実感している。
習ったばかりの魔法をおさらいするように、呪文を唱えている
(このタイミングで、お話し会に参加できることの奇跡)
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第3章でひもとかれるのは、『ヴァサリッサ』という物語だ。
ロシアの少女の名前だ。
【『ヴァサリッサ』あらすじ】
昔々、瀕死の若い母親が、亡くなる前に、幼い娘に、「迷ったり助けが必要なときは尋ねなさい、お腹がすいたとと言ったら食べものをあげなさい、肌身離さず、誰にも話してはいけません」と、母親から譲り受けた小さな人形を娘に託す。
やがて、父親は、2人の娘を持つ未亡人と再婚する。
継母と姉は、父親の前では仮面をかぶっているが、美しい妹 ヴァサリッサが妬ましく、奴隷のようにこきつかう。
ヴァサリッサは、文句も言わず尽くしていたが、ある日、継母たちの策略で、炉の火が消されたため、森に棲む魔女 ババ・ヤーガのところに、火をもらいに行くことになる。
継母たちは、森の中でヴァサリッサが死ぬことを期待していたが、分かれ道にくるたびに人形に相談したヴァサリッサは、迷うことなく、ババ・ヤーガの家に着く。
ババ・ヤーガの外見は、奇妙で醜く異形だったが、ヴァサリッサは全て受け入れ、敬意を表す。
ババ・ヤーガから、どんなに無理難題と思えるいいつけを課されても、そのたびに人形に相談し、手伝ってもらってやり終える。
ババ・ヤーガは恐ろしい魔女だが、敬意を表する者に対して公正で、ヴァサリッサを傷つけない。
ついに、ババ・ヤーガから、火を噴く頭蓋骨を渡されたヴァサリッサは、怖くて投げ捨てたくなりながら、人形の言うとおりに道を進み、家に帰る。
すると、その火が継母と2人の姉を焼いて、3人を灰にし、その後ヴァサリッサは幸せに暮らす……というお話。
作者は、この物語のことを、こんなふうに書いている。
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『ヴァサリッサ』は、女の直観力という恵みを、母親から娘へ、上の世代からつぎの世代へと引き渡す物語です。直観という偉大な力は、電光石火のごとき内的眼力、内的聴力、内的感覚、内的知力で成り立っています。
話を構成する要素はすべて一人の女のこころを表象する、と理解できます。
物語のあらゆる面は、イニシエーションのプロセスをたどっている一人の人の魂から生じているのです。
ヴァサリッサの物語は、魂がなしとげるべきイニシエーションの課題が9つあります。
(110~111ページより)
★第1の課題―できすぎた母親を死なせること
★第2の課題―影を明るみに出すこと
★第3の課題―暗夜行路
★第4の課題―山姥に立ち向かう
★第5の課題―非合理的なものに仕えること
★第6の課題―分別する
★第7の課題―謎を問う
★第8の課題-四本足で立つ
★第9の課題―影を退治する
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お話し会は録画されていて、何度も学ぶことができる。
今回は、録画ボタンが早めに押されていたのか、再生すると、こっしぃさんの姿がない。
ただ、部屋の窓にかけられたカーテンの布地が、静かに揺れていて、窓があいていること、窓から風が入っていることが感じられ、届くはずがないのに、からだに風を感じた。
無音の画面で、やわらかなカーテン生地が波うち、しだいに揺れが大きくなり、ふくらんでいく様子に、何か安らぎ、なつかしい気持ちになり、ふれるはずがないのに、さわさわと感じる風の気配が心地がよくて、その部分だけ巻き戻して、何度も観たりした。
また、レクチャーの中で、「心に風が吹かない」状態のことを話してくださる場面があり、冒頭のカーテンのシーンを思い出しながら、心の中を風が吹きぬける感じを、しっかり体感できた。
ということで、ヴァサリッサが成し遂げていく9つのプロセス。
さて、何から書こうか。
まず、登場人物がすべて自分の「内なる存在」だという衝撃。
これは、第1回の『青ひげ』の時に教えていただき、最初は茫然としたけれど、多重人格者になったように、自分の中にいる登場人物を感じることができ、「アニムス」が助けにきてくれる勇壮さを体感できた。嬉しかった。
『ヴァサリッサ』の話でも、第3章に、
【話を構成する要素はすべて一人の女のこころを表象する】
【すべての出来事がイニシエーションのプロセスをたどっている魂】
と書かれている。
〈亡くならなければ、創造性、可能性、冒険心の芽を摘み取ってしまう過保護な母親〉も。
〈嫉妬深くて、イジワルで、人を利用し、貶めるような義理の家族のような影の側面〉も。
〈人がよすぎて、悪意に無頓着で、直観力を育てていない父親〉も。
〈直観の象徴である人形〉も。
〈野性の女の象徴であるババ・ヤーガ〉も。
〈何もかもを見通す慧眼を持ち、火を噴く頭蓋骨〉も。
(すべて自分の「内なる存在」)
【死ぬべきものを死なせることを学ぶ】ことが、この物語のテーマだという。
やさしい母親が死ぬときに、ヴァサリッサのイニシエーションが始まり、プロセスを終え、影の存在である継母家族が死ぬ。
直観的自己、野性の女的自己を誕生させるには、〈死なせるべき古い自己〉がある。
レクチャーを聴いているときに、
【やさしく、善良であるからという理由で人生が開花するわけではないと知ること】
【ヴァサリッサは(継母家族の)奴隷になるが、それは何の役にも立たない】
という言葉を聴いて、はっとした。
私は、今、認知症の父の介護で、実家に単身赴任をしていて、数えてみると8年近く、夫と子供たちと離れて暮らしている。
(やさしく、善良? 奴隷?)
単身赴任当初は、病気療養中の母もいたのだけど、6年前に亡くなった。
〈母親が死んでイニシエーションが始まった!?〉
と思ったとき、いまさらだけど、冷静に、
(なぜ、私は、自分の家族を置いて、封建的で専制君主的で暴君の、好きでもない父の介護を、〈認知症で理屈が通らず、施設に入りたがらなかった〉というだけで、続けているのだろう?)
と考えた。そして、ふと思った。いま暮らしている、この家は……?
(継母と姉たちに奴隷のように労働を強いられている家?)
(学びを重ねて、直観と野性の開花につながるババ・ヤーガの家?)
継母の家でも、ババ・ヤーガの家でも、ヴァサリッサが命じられたのは、掃除や、洗濯、分別などの家事労働だ。
父と生活しているこの家を、「継母の家」にするのも、「ババ・ヤーガの家」にするのも、「私が決める」のだ。
私に足りなかったのは、「決める」こと。
なんとなく、なしくずし的に、何もかもをはっきりと決めないまま、波風が立たないよう、波風が立たない人が歩み寄る方を選び、これまで、低きに流れてきたのだと思う。
ヴァサリッサがババ・ヤーガの家を訪れ、「火をいただきに来たんです」とお願いしたとき、「どうして、わたしがあんなに火種をやるなどと思うんだい?」と言われて、人形に相談したヴァサリッサは、「わたしがお願いしているからです」と答えて、ババ・ヤーガを満足させる。
「わたしがお願いしているから」というセリフを読んだ瞬間、何かが突き抜けたように、はっとしたのは、自分に欠けていた振動だったからだ。
この言葉で、ヴァサリッサは、自分の尊厳とババ・ヤーガの尊厳を、大事にして、守った。
第3章の最後に、作者はこう書いている。
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〈野性的なものとのつながりを維持する方法は、自分が何をもとめているか、問い続けること〉
〈本能的自己と、自然的、野性的な女性の魂がつながっているとき、「わたしは何が食べたいのかしら?」とまず自分に問いかける〉
〈外観に目を奪われずに、内に向かって、「わたしは何を求めているのか。今は何がほしいのか」と訊ねる〉
〈もしくは「わたしは何を望み、何に憧れているのか」〉
〈内なる耳、内なる眼、内なる存在に注意を払い、それに従う。つぎにどうするか知っている〉
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これをやることにした。
父の介護で、自分がやっていることの一つ一つに。
(境界と限界を決める。きっぱりと)
すると、本当に、変わってきたのだ。とりまく状況が。
風が動いている、と感じる。
継母や義理の姉たちのような影の自分の出現も、冷静に受容する。
善良で優しくも、なれる。
(その都度、境界と限界を問いかけ、決めている)
父とすごす家が、ババ・ヤーガの家だと決めたら、日々起こることが学ぶべきこと。
野性の女へのイニシエーション。
「第5の課題―非合理的なものに仕えること」の中で、
【雑事を通して、大きなもの、終期的なもの、予測つかないもの、思いがけないもの、宇宙の大きさの絆、奇異なもの、なじみのないもの、非日常的なものからひるんで逃げないことを、ヤーガは教え、ヴァサリッサは学ぶ】(134ページより)
と書かれている。
認知症の父は確かに「非合理的」
上記文中の「雑事」を「介護」に変えて、名前を替えたら、ぴったりすぎてびっくり。
【介護を通して、大きなもの、終期的なもの、予測つかないもの、思いがけないもの、宇宙の大きさの絆、奇異なもの、なじみのないもの、非日常的なものからひるんで逃げないことを、認知症の父は教え、えみなは学ぶ】
予測つかないもの、思いがけないもの、奇異なもの、なじみのないもの、非日常的なもの三昧。
特に排泄関係―――!
ひるんで逃げたいことばかり!
浜田えみな
越地清美さんのHP
。マガジンで連載しています。
【第0回】〈序文〉〈第1章〉から書いています。