471.ほんとうのなまえ(りゅうの子どもがやってきたよ!)
飛んでいるりゅうの子どもの下に広がる森の様相に心を奪われ、
白抜きで色のついていないからだに、
これから成長し、変容していく、未知の可能性を感じるとともに、
(名前は、なんていうのだろう?)
と思った。
(本文より)
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◆りゅうの子とエルマーの物語
尾道在住のイラストレーター 高垣真理さんから、りゅうの子を受け取る。
レターパックでやってきた。
真理さんは、ドラゴンちゃんと呼んでいらっしゃるのだけど、私の中では、りゅう。
なぜなら、子どものころ、従妹のおさがりでもらった大好きな本「エルマーと16ぴきのりゅう」を思い出すから。
初めて読んだのは、小学校の低学年だったと思うけれど、私の物語の原点として、根付いていると感じる。
何度読んでも楽しくて、ハラハラドキドキの冒険があり、友情があり、ユーモアがあり、臨場感たっぷりで、食べ物がみんなおいしそうで、夢中になって引き込まれていく。
強く心に残っているのは、りゅうの名前が明かされるシーン。
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「でも、きみのかぞくがぼくのことを、どうしてきみのともだちだとわかる?」
「ボリスからたのまれたといえばいいんだよ。」
「ボリスだって! きみのなまえが?」
「うん。」
と、ボリスは、もじもじしながらこたえました。
「いままで、はずかしくていえなかったんだ。」
(『エルマーと16ぴきのりゅう』
ルース・スタイルス・ガネット 作
ルース・クリスマン・ガネット 絵
わたなべしげお 訳
福音館書店 P86~P87より転載)
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私は、本名は「弓代」と言う名前で、幼少のころ最後の「よ」がうまく発音できず、何度も聞き返されるのでトラウマになり、自分の名前を言うのが苦手だったので、〈もじもじしながら〉〈はずかしくていえない〉という、りゅうの心情に共感し、〈じぶんだけじゃないんだ!〉と感じたことで、強く印象に残ったのだと思う。
あらためて本を読み返して気づいたのは、『エルマーと16ぴきのりゅう』が、3冊シリーズの完結編だということ。
『エルマーのぼうけん』『エルマーとりゅう』という2冊分ものぼうけんの間、どうやって名前なしで会話していたのだろう?
当時、図書室になかったのか、3部作だということを知らなかったのか、この2冊を読まないまま、現在に至っているので、物語がどんなふうに展開していたのかがわからないけれど、3冊目にして、はじめて、りゅうの名前が明かされた意味。
名前のもつ不思議な力と、その封印が解けるエネルギーを、それが何かはわからなくても、幼少の私は感じたと思う。
そういえば、エルマーが飼っていたカナリアには、フルートという名前があるけれど、ぼうけんが始まるきっかけとなる、ともだちのねこは、最後まで「ねこ」のまま。
2009年に、山下弘司先生が創始された「名前のことだま®」に出逢い、ライフワークにすることを決めるまでも、それからも、物語は、「名前」からのメッセージを、静かに送りつづけてくれる。
……というわけで、私にとっては、ドラゴンではなく、まだ幼くて、白いからだのりゅうの子ども。
初めて出逢ったのは、真理さんの2024年の年賀状で、原画をみせていただいたのは、1月20日。「天王寺の人々」というグループ展の会場だ。
まさか原画に出逢えるとは思っていなかったので、とても嬉しかったことを覚えている。
飛んでいるりゅうの子どもの下に広がる森の様相に心を奪われ、白抜きで色のついていないからだに、これから成長し、変容していく、未知の可能性を感じるとともに、(名前は、なんていうのだろう?) と思った。
タイトルを見ると、「見つけた!」と書いてあったので、
(この子は、なにをみつけたのだろう?)
と、わくわくした。
原画なので、1点。
展示販売なのだから、申し出ることは可能だけど、まだ、私には受け取る準備も、迎える場所もないと思い、怖れ多くて展覧会では言い出せず、帰宅。
ところが、帰宅してから、どうしてもどうしても気になり、翌朝、真理さんにメッセージしたところ、私に向けて原画を描いてくださったとのこと!
なんとなく私の元へ行くような気がしていたと話してくださり、でも、売れてしまったとのこと。
(躊躇せずに、画廊で申し出ればよかった……)
メッセージには続きがあり、
「待てますか? 2月にもう一枚描いてみましょうか? きちんと下絵があるので、ドラゴンちゃん、生まれると思います」
と言ってくださった。
(2度も、自分に向けて描いてくださるという幸せ)
私の中で、りゅうの子は、好奇心いっぱいの瞳で、いろんな森をとびまわっている。
実際、その森の中を歩くことができる展覧会の様子まで、イメージできた。
その子がやってきたのは、3月2日。
◆はじめまして
封筒をあけると、やや厚手のトレーシングペーパーにつつまれていた。
それは、繭の中にいるようで、これから生まれようとする鼓動が感じられる。
この子が生まれる瞬間を、大切にしたいと思い、ひとばん、そのままの状態で飾る。
(最初の出逢い。ビューティフルミーティング)
それは、名前が生まれる瞬間でもある。
オジャさんのノベルセラピーに出逢ってから、「直感」が連れてくるものが、どれだけ「ほんとう」かを実感している。
常識とか、制限とか、整合性とか、損得とかにとらわれない、「真に魂が伝えようとしていること」
(その刹那に、心を澄ます)
翌朝。
いよいよ、誕生のセレモニーだ。
この子は、どんな名前を受け取るのだろう。
絵のタイトルは、「見つけた!」
森の中に、何かを見つけて、近づいていく、りゅうの子ども。
トレーシングペーパーをとって、絵と向かい合った瞬間、りゅうの子どもの心の中とシンクロした。
何を見つけ、何に近づいていくのかが、わかった。
「トモダチ!」
(「トモダチ」になる予感の何か)
(これから、一緒に、冒険したり、創造したりできる仲間)
(サイズは、りゅうの子どもより、とっても小さめ)。
そのもののかたちはわからず、ただ、存在のバイブレーションを感じる。
(仲間に出逢うんだ! というワクワク)
(舞い降りたりゅうの子と、トモダチの出逢いのトキメキ)
(新たな冒険の物語が、始まっていく予感)
この森を出て、2人はどこに行くのだろう。
◆名前をつける
トレーシングペーパーにつつまれた、りゅうの子どもをちらっとみたときに、浮かんできたのは、「ピコ」
何かわくわくすることが点滅しているみたいな、バイブレーション。
でも、トレーシングペーパーをとって、りゅうの子どもと対面したら、「ピコ」ではない、と感じ、(ちがう!)と思った瞬間、「直感」の回路がとじてしまい、思考が入りだしてわからなくなったので、名前のことだま®で使っている「50音カード」に訊くことに。
名前のことだま®では、名前の音には「使命」があり、名前の音連れ(人との出逢い)は、メッセージだと伝えている。
名前の持つことだまの力は、その名前を呼ぶ人に還っていく。
まだ、名前のないりゅうに潜在している、ことだまの力を、カードに尋ねたのだ。
「せ」
カードをみた瞬間、「せ」のことだまの振動が伝わってきて、たしかに、「せ」だ! とおもった。
(この子の持っている力)
(この子が押してくれる、ことだまスイッチ)
カードに、「背中に乗る」と書いてあって、まさにぴったり。
りゅうの子どもの背中に乗って、飛んでいる自分が想像できた。
「せ」のつく名前…… を思い浮かべようとしたけれど、思考がジャマをするので、ぜんぶ、カードに訊いてみようと思った。
「か」
(なるほどーーー)
「る」
(わー。やはり、ら行かー)
ひいているうちに、この子の持っている潜在的を、もっと知りたくなり、せっかくなので、7音ひくことに。
「せ」「か」「る」「た」「め」「も」「ほ」
だんだん、わかってきた。
せっかくの、りゅうの子の誕生日なので、ひめカードの祝福も受けようと思い、ひめ神さまにも尋ねてみる。
「あまてらすおおみかみ」
(日)
宇宙からもと思い、スターコードアストロオラクルにも尋ねてみる。
「ヴェスタ」
(かまどの火)
(暖炉の火)
(中心の火)
(内なる神殿の聖なる火を抱く)
やはり、「ひ」だったのか…… という思い。
最初に「ピコ」という響きがやってきて、りゅうの子と対面したときに、「ちがう!」と思ったのは、名前のことだまの「レイヤーがちがう」というワーニングだったとわかる。
最初に私が感じた「ピコ」という響きは、伝令的な、水星的な、素早く、軽い、瞬時にアイデアが降りてくるような、いろんなところに飛んでいき、往き来して交流を図るような、ちょこまかとしたものだった。点滅する光のような。
ところが、りゅうの子どもは、「日」と「火」を持っていた。
それは、自分の中心の火であり、不動不屈の火であり、わかちあう火であり、ともに創造する仲間と、世界を照らす火であり、太陽。
名前のことだま®では、濁点や半濁点は、「力が2倍」とされている。
「ぴ」は「ひ」よりも、さらに強い力で、燃えて、照らす。
(すごいなー)
まだ、子どもだけどね。
りゅうの子どもの名前は、「ぴこ」
たくさんの力を秘め、名前を呼ぶ人のことだまスイッチを押す。
◆この子とやっていくこと
Osho禅タロットに尋ねてみる。
火3 「体験している」
大アルカナ1 「存在」
水7 「投影」
火6 「成功」
水3 「祝祭」
水エース 「流れのままに行く」
虹3 「アウトサイダー」
大アルカナ11 「突破」
大アルカナ15 「条件付け」
水ナイト 「信頼」
自分の存在を知る。
本当の自分をみる。
本来の自分を生きる。
自分を信頼して飛ぶ。
(そういうことかーーーー)
そして、そして!
このブログを書くために、「エルマーのぼうけん」を検索していたら、びっくりすることに、3月23日から、明石市文化博物館で、「エルマーのぼうけん展」が開催されることを知る。
すでに、東京では展覧会が終了していて、展示の様子なども知ることができ、実際に物語の中に入っていくような展示もあり、今から楽しみでたまらない。
奇しくも、毎月1枚、対話して絵を描いていただいている、野村佳代さんから、2月のセッションの絵を受け取ったのも、同日。
(火が燃えていて、シンクロ)
たくさんの応援を受けて、2月の誕生月を終え、春分に向けて、エネルギーを整えている。
年度末で仕事が繁忙すぎて、今は仕事のことしかできないけれど、還暦に向けての助走期間を、流れに乗って、楽しみます!
ぴこといっしょに。
***
真理さん ありがとうございます!
浜田えみな
はじめて会った日のこと → つづき書けていません
エルマーのぼうけん展
高垣真理さん ご夫妻のアート工房 クアトラ
初めて出逢った