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536.【ソロ活】「生誕140年記念 石崎光瑶 大規模回顧展」(2024.10.23)

 たとえば、私は、石崎光瑶氏の作品をみて、はじめて、鳥の羽一枚が、数えきれないほどの一本ずつでできていることを体感できたし、一羽の鳥の身体に生えている羽根が、部位によって、長さも形状も質感もちがうことを体感できた。隠れている場所に生えている羽根までも感じられる。
 
こんなにうまい人が、こんなにうまいのに、こんなにもスケッチをするのだ! と思ったし、完成するまでに、こんなにさまざまな表現を試して、こんなにも目指すものを追求するのだ! と、感銘を受けた。
 
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川の奔流を描いた作品では、音が聞こえ、画面が動き、流れ続ける水の帯の中に巻き込まれている身体を感じた。
大輪の菊を描いた作品では、その色に心をつかまれ、丸く盛り上がる花を形作る、何百枚もの花びらの、一枚一枚の存在と息づきを感じて、動けなくなった。
襖絵を見たとき、部屋の中にいながら、別の世界に行けることを感じた。
 
体感があるのは、線が全部生きているからだ。
 
(本文より)
 
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京都文化博物館本館で開催されている「生誕140年記念 石崎光瑶 大規模回顧展」を訪れた。
FBに投稿されている記事を見て、観たい! 行く! と決めた。
 
京都文化博物館別館は、東京駅舎を設計した辰野金吾氏とその弟子の設計によるもので、何度来ても外観にみとれる。その内部にいるだけで、ためいきがもれる。

本館では、各階に展示会場があり、シアターまである。大規模回顧展は、本館の3階・4階で開催されていて、受付で、4階は全て写真撮影OKだけど、3階は不可だと言われた。
 
名前すら知らなかった近代の日本画家。和服姿の、いかめしい重鎮を想像していたら、会場入り口で、ご本人(の等身大パネル)が、笑顔で迎えてくれた。

白のシャツにズホン、笠を持ち、御座を背負い、わらじを履いて、ポーズを決めた姿は若々しく、これから昆虫採集にでも出かけそうに見えるのだけど、登山に向かう前の姿だそうだ。
 
大規模回顧展ということで、初期のころからの細密なスケッチや、旅の行程、習作、下絵などが展示されていて、一つの作品ができあがるまでに、どれほどの試行や、修練が重ねられているのかに圧倒される。

たとえば、私は、石崎光瑶氏の作品をみて、はじめて、鳥の羽一枚が、数えきれないほどの一本ずつでできていることを体感できたし、一羽の鳥の身体に生えている羽根が、部位によって、長さも形状も質感もちがうことを体感できた。隠れている場所に生えている羽根までも感じられる。
 
こんなにうまい人が、こんなにうまいのに、こんなにもスケッチをするのだ! と思ったし、完成するまでに、こんなにさまざまな表現を試して、こんなにも目指すものを追求するのだ! と、感銘を受けた。
 
(生きている!)

と思った。
 
(いのちや、動き)
(ムービーのようだ!)
(絵が動いている!)

 
その世界に、入っている。体感があるのは、線が全部生きているからだ。

4階作品を見終えて、3階作品の前に立つ。
 
(ちがう!) 
 
と感じた。ぜんぜんちがう。なんと表現したらよいのだろう。作品が存在する境地がちがう。
日本画の技法など、よく知らない私でも、ちがうと感じる。
品格がちがう。マチエール(絵肌)がちがう。二次元から三次元へ、さらにその世界に引き込まれる。
 
(色)
(線)
(音)
(感触)
(動き)

 
川の奔流を描いた作品では、音が聞こえ、画面が動き、流れ続ける水の帯の中に巻き込まれている身体を感じた。
大輪の菊を描いた作品では、その色に心をつかまれ、丸く盛り上がる花を形作る、何百枚もの花びらの、一枚一枚の存在と息づきを感じて、動けなくなった。
襖絵を見たとき、部屋の中にいながら、別の世界に行けることを感じた。
 
(いのち。呼吸)
(ダイナミックで勇壮なものも、かすかで繊細なものも、生きている)
(みえるものも、みえないものも)
(絵に描きとめられた刹那に続く、過去も未来も)
(一枚の作品に紐づけられた、いのちとの対話と、表現することへの追求)

 
作品をすべて観て、もう一度、3階に戻って、最初から、絵の前に立っていく。
 
***
 
作品展の公式グッズも、どれも素敵で、ふだんは、本物を観たあとは、印刷されたものや二次作品は絶対に見ないようにしているのに、手にとってしまう。
 
カレンダーに目が留まる。小さいのだけど、作品が放つ色彩やたたずまいは静謐で、心が洗われるし、日付部分の背景に使われている伝統色から目が離せなくなる。
色がもたらす心地よさにノックアウトされ、2025年は、石崎光瑶氏の世界とともにすごすと決める。
 
作品を完成させるまでの、膨大なスケッチや、下書き、習作。
本物にふれること。いのちを感じること。この目で見ること。この手で書くこと。足を運ぶこと。
そのことを、思い出せるように。

館を出ると、5時をまわっていた。雨模様の一日だったので、あたりはすでに暗い。
このあと、6時から京都市立芸術大学で開催されるイブニングテラスへ。
版画家の山本容子さんの話が聴ける! と申し込んだ。
 
つづきます。

浜田えみな

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