493.【魂活】「第0回 野性の女を呼びさますお話し会」レポート
魂の声で歌うとは、魂で生きること。
夢でなく、妄想でなく、現実の、日常に、足をつけて、肉体を使って、学んだことを表現し、感受したものを、生きること。
骨は、自分の中にある。
今、そんなふうに感じている。
魂の砂漠を旅して、探しに行く。骨を拾い集めにいく。
(本文より)
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【連続講座「野性の女を呼びさます」 @おんな塾槻の屋 オンライン】(第5期)を受講している。
参考文献で使用する本のタイトル『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』を見た瞬間、身体を突き抜けた振動!
〈どんな文化の影響を受けようとも、女は野性、女という言葉を直観的に理解する〉
〈太古の記憶がざわめき、蘇ってくる〉
〈野性の女の絶対的で、否定できない、とり消せない血縁関係の記憶〉
〈骨の中でわたしたちは野性の女を知っていて、それに憧れている〉
〈野性の女と深くかかわり合っている〉
本書の序文14ページに書かれているこの言葉が、その振動の答だと実感する。
〈狼と駈ける〉〈野性〉〈女〉、これらの文字を目にした瞬間、言葉でなく衝撃として、頭ではなく、四肢のすみずみに、振動や感情が突き抜けた。それを「直観」というのなら、「記憶」というのなら、そのとおりだと感じる。
5期の開催を知ったのが、全12回の連続講座のプレ講座として企画された〈第0回〉が開催された4月17日の夜。
すでに、お話会は終了していたけれど、「アーカイブ受講可」と記載されていたので、主催の「umiのいえ」齋藤 麻紀子さんに問い合わせをして、アーカイブ受講と共に、連続講座の申込みをした。
月に2回、約半年の講座で、講師をしてくださる越地 清美さんが、どのような方かも、講座がどんな様子なのかも、わからなかったのに。
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『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』は、1998年に出版され、全16章、厚さ3.5センチ、700ページもある本で、章題を眺めているだけで、心のあちこちが反応する。
だからこそ、1人で読むのではなく、〈導き、灯りをともしてくださる人〉がいてほしいと感じた。
この感覚が、実は、とても大切だったことが、後にわかる。
物語は、1人で黙読するのではなく、「語られる」こと、「聴く」ことが必要だった。なぜなら、【「野性の女」元型の神話と物語】は、作者のクラリッサ・ビンコラ・エステス氏が、さまざまな地域にルーツを持つ、さまざまな人たちが語るお話を集めたものだったからだ。
「語り部」によって、口承されてきた物語は、「耳」で聴くことが大切。それも、「魂を聴く耳」で聴くことだと、作者は教えてくれる。
【「語り部」の声を通して、物語の真の扉がひらく。時空を超えて、語られる物語の「源泉」は、語り継がれてきた人間のやぐらによる、長い連鎖からあふれだす】
そのようなことが、序文に書かれていた。
だから、語り部によって語られる物語は、聴く者の魂をゆさぶる。「野性の女」の魂を、呼び戻す力がある。
講師の越地 清美氏……こっしぃさんの「語り」を聴いていると、本当に引き込まれる。
◆「序文」骨を歌う
講座の受講が決まったとき、毎回、感じたことを書き留めておこうと思った。
初めての体験は、一度だけだ。どんな自分であれ、もう戻れない。だから、記録しておきたい。
情報量が多すぎて、まとまらないなら、そんな自分も。
……と、思っていたのに、本当に、まとまらなくて、既に第2回目も終了し。1ヶ月以上経ったのに、何も書けていない。
(なぜか?)
まず書くのが、アーカイブ受講した「第0回」についてだったからだ。この回では、『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』の「序文」と「第1章」についてのお話だった。
「序文」について書こうと思ったら、書けなくなった。
講座は、こっしぃさんが用意してくださる資料があり、「骨」を「集める」ための「物語」は、語り部として読んでくださるので、手元に本がなくても、受講できる。
むしろ、初めて受講する時は、まだ本がないほうがよかったのかもしれないと、今は思うけれど、冒頭で書いたように、本のタイトルを見た瞬間から、読みたくてたまらなかった。
本は絶版になっていて、古本も数万円。地元の図書館には置かれていなかったので、娘の大学の図書館で借りてきてもらった。
20歳前後で、この本を手にする子がいるのだと思うと、感慨深い。娘は、特に読みたいとも言わず、関心がない様子だ。ともかく、娘のおかげで、本を手にすることができた。
さっそく読み始めた「序文」のタイトルは、【骨を歌う】
「まえがき」とか「始まる前のごあいさつ」のようなものだと思って読み始めたら、35ページもあり、16章に渡って書きあげるに至った、作者の(というよりも「女」の)切なる叫びと思いが凝縮されていて、一度読んだだけで、それについて文章を書くなんて、無理だった。
何度か読んでいるうちに、ようやく、「骨」とは何か、「歌う」とはどういうことなのか、「野性の女 元型」とは何のことなのか、ということが「書かれている」と、わかってくる。
「書かれている」ことを文字として認識するのと、その「扉がひらく」のは、まったく別の次元だ。
一つの言葉に、何層ものレイヤーがあり、受け取る私の段階にもレイヤーがあるので、読めば読むほど、見えるものや、感じるものが増えてきて、どんどんまとめられなくなってきて、いつのまにか、1ヶ月以上経っている。
とりあえず、いったん、先に進もうと思う。
12回の連続講座を終え、もう一度「序文」を読んだとき、きっと、今とは違うステージにいるはずだから。
また、序文に書かれていることは、これからの章で、何度も登場すると思うから。
備忘録として、『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』序文に書かれていた、「心の中の野性の力との関係に破綻した感情に影響を受けた症状」の例、「野性の女」について書かれたいくつかのことを抜粋して、記載する。
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自分自身のテンポで生きられず、自意識過剰で、自分の神様から遠のいて、元気快復ができず、本能を失った者には何より安全な場所だから、という理由で家庭や知性第一主義、仕事、惰性にのめりこむ。
一人で冒険したり、自分をさらけ出したりすることを怖れ、完成しないうちに自分の不完全な作品を世に出すことを恐れ、旅に出ることを恐れ、人を好きになることを恐れ、走り続けることを恐れ、権威にはいつくばり、創造的な仕事にかかる前にエネルギーをなくし、いざとなっても何もできず、新しいものを試すことがこわく、果敢に立ち向かうことを恐れ、止まることを恐れ、行動することを恐れ、優越感はたっぷりあって、なお揺れ動いていて、そのくせ十分能力があって、やれば十分にできる。こうした分裂は、野性の本性が罠にかかるたびに、流行する病。
(20ページより)
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「野性の女」とはいったい何か。女の魂そのもの。女性的なものの源泉であり、本能のすべてであり、基盤そのもの。生きるために必要な本能や智慧のすべてを含む輝かしい細胞。
理念であり、感情であり、衝動であり、記憶。厳選、光、夜、暗闇、暁。
(23ページより)
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わたしたちの一人一人が「野性の女」の存在証明であり、状況証拠
(24ページより)
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わたしたちは、自分の魂に、生まれながらの道を与え、生まれながらの深さに向けて成長させてやらねばならない。
(34ページより)
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「野性の女」はあなたのもの。みつけるためには、本能の生活、深遠な知へと立ち返る必要がある。
「野性の女」の魂を呼び戻し、彼女の生身を私たちの骨へと歌いもどす。
魂の土地に足を踏み入れる。
(35ページより)
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わたしたちがいなければ、野性の女は死に、野性の女がいなければ、わたしたちは死ぬ
ほんとうに生きるには、どちらも生きなければならない。
(35ページより)
◆第1章 叫び―「野性の女」の復活
第1章からは、具体的に、どのように「野性の女」が戻ってくるかと、その方法が語られていく。
「砂漠」が何を象徴しているのかも。
どの地域の、どの民族にも、骨と化した死者を蘇らせる老人の伝承があり、その1つである「ラ・ロバ(狼女)」という物語が紹介される。
ラ・ロバは、狼の骨を選り分け、探し、全部揃うと、火のそばに座って、「どんな歌を歌おうか」と考え、そのそばにかがみ、両手をかざして歌い始める。すると、狼の肋骨と足の骨に肉がつきはじめ、全身に毛が生えてきて、さらに歌うと、ますます生気を帯びてきて、さらに歌うと、息をし始め、なおも歌い続けていると、砂漠の地面が揺れ始め、瞳が開き、飛び上がって、走って峡谷を下っていく。走り続けるうちに、狼はとつぜん笑う女に変身し、地平線に向かって駈けていく、というのだ。
【骨1本ずつ、髪の毛1本ずつ、野性の女は。物語を通して戻ってくる。
砂漠には女たちの精神と狼たちの精神が時を越えて出逢う場所がある】
と、作者のクラリッサ・ビンコラ・エステス氏は教えてくれる。
「女たちが狼とともに駆けるところ」だと。
「古代の人々は砂漠を、神の啓示の場所、と呼んだ」と。
「砂漠とは、生が煮詰まった場所。砂漠の植物は色鮮やかで、生の作用の大半は地面の下で行われる。地表ではとても小さいけれど、地下ではとてつもなく大きい」と。
骨は「壊すことのできない生命の力」「破壊することのできない力」で、「ばらばらの骨を取り戻す」のがわたしたちの仕事だと。
そして、骨を取り戻したら、「魂の声を使って、歌い、魂を吹きかける」と。
「魂にとって価値あるものは、蘇ることができる」と。
こっしぃさんは、この作業を「他人に求めてはいけない」と教えてくださった。
助けを求めてはいけないということではなく、「自分の力を信じて、自分で歌う」のだと。
魂の声で歌うとは、魂で生きること。
夢でなく、妄想でなく、現実の、日常に、足をつけて、肉体を使って、学んだことを表現し、感受したものを、生きること。
骨は、自分の中にある。
今、そんなふうに感じている。
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備忘録としての抜粋(『狼と駈ける女たち~「野性の女」元型の神話と物語』第1章)
私たちの内部に、骨を拾い集める老婆がいる。わたしたちの内部に「野性の女」の魂の骨がある。
ふたたび生きた肉をつける可能性のある、わたしたち自身や世界を変革する骨があり、息とわたしたちの真実と渇望があり、それらが一つになって、わたしたちがずっと歌いたいと願ってきた歌、創造の賛歌となる。
(51ページより)
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人は魂を整えるすべを得るために瞑想する。夢を分析し、芸術をやるのはそのため。すべての骨を一つに集める作業。骨にむかって歌う歌を考える。私たちが語る真実こそ、その歌になる。
(52ページより)
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女の魂は、砂漠への道を、共鳴からみつけることも、過去の残酷な経験や、地上のもっと大きな生をゆるされないがゆえに見だすこともあった。
自分が色鮮やかな花を。たった一つつけたサボテンでしかなく、500マイル四方何もない空疎な土地に生きていると感じるとしても、501マイル進む女には、それ以上のものがある。
(54ページ)
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魂の砂漠を旅して、探しに行く。骨を拾い集めにいく。
浜田えみな
越地清美さんのHP
マガジンで連載しています。