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450.ひかりの子

(創造性の子どもと遊ぶ)
 
ノベルセラピーを体験してから、ほぼ毎夜、お話作りにダイブしていて、ちいさいころにやっていたような、「勝手に出てくるストーリー」に夢中になっていると、「創造性の子どもと遊んでいる」という気持ちになる。
 
その子は、いろんな姿になれると思うけど、2022年1月20日の夜、やってきた姿は、むちむちで、すべすべで、金太郎みたいな髪をして、ぽんぽこりんのおなかをした、赤ちゃんみたいな、ひかりの子だった。
 
あまりにまぶしく、初めて体験した、陽だまりを抱くような、ぽかぽかのハグが、すごくすてきだったので、前に「月のしずく温泉~じぶん温泉かけ流し~」の絵を描いてもらった、旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子ちゃんにお願いして、画材も、サイズも、おまかせして、受け取ったのが、2023年8月26日。


なかなかお披露目する機会がなかったけれど、
 
(私は、本来、こういう感じなんだな)
 
と、あらためて思い(実感とともに!)、小学生のころまでは、たしかにこんな感じだったと振り返る。
 
息子と娘の小さかったときの、もはや、もとの顔が破壊しているめちゃくちゃな笑顔を思い出し、それぞれのひかりの子がスパークしていることを思い出し、ホロスコープのネイタルチャートで、太陽と水星が「5ハウス」に(ついでに土星とカイロンも)位置していることを思い出し、そのことを受けとり、世界中の「創造性の子ども」と手をつなぐ気持ちになる。
 
2022年1月20日、ひかりの子と出逢った夜に、すぐに書いた文章が残っているので、備忘録として転載する。
 
**********
 
とつぜん、まばゆい光の玉がとんできたように、目の前の世界が明るくなり、その黄色い光の円の中に、金太郎みたいな髪の、まあるい、ぽちゃぽちゃした、赤ちゃんみたいなぷにょぷにょな肉付きの手をふりまわし、見かけは乳児のような、でも、しっかり立って、純真で、無垢で、まっすぐなエネルギーを発している、ひだまりみたいな子が見えたので、驚いた。
何かの間違いではないかと、目をこらし、その輪郭を観察する。
 
まぶしくて、目を閉じてしまいそうなのに、瞑想の世界だから、目を閉じても、みえるのだ。
 
(なんで?)
 
というのが第一声で、
 
(これは、なんだ?)
(わたし、なのだろうか?)
(本来の姿、なのだろうか?)
と思いながら、まばゆいその子をみていると、どうやら言葉は発しない。
何か言っているような気がするけど、わからない。
光。太陽。源。
輪ゴムがいくつも入ったような、腕や足。
ぽんぽこりんのおなか。
むちむち、すべすべ。
やわらかそう。
 
(かわいーーーーっ)
(はぐーーーーーっ)
 
 
(かわいーーーーっ)と、その光の子に、思わず言ったとき、気がついた。
 
(言ってほしかったのかもしれないな)
 
(かわいい)とか。
(ハグしたい)とか。
 
心の底からの、あふれだしてくる言葉で。
 
***
 
ハグしたとき、全身が、吸い付いてくるようだった。
あたたかく、やわらかく、すきまなく、どこまでもフィットする、波打つ鼓動。
いっしょに、発光しているようだった。
 
(その体感)
 
私は、自分は、「水」の質だと思っていた。
すみずみにまでとどく。
どんなでこぼこも、どんなすきまも、潤し、満たす。
 
自分のエネルギーは、温泉のようだと感じていた。
あたたかく、ゆっくりと、治癒力を引き出す。
 
ところが、現れたのは、光だった。
 
赤ちゃんのような姿をしていたから、抱くことができた。
光を抱いた。
 
(感じる)
 
はだかになって、はだかの赤ちゃんを抱くように。
 
(全身で)
 
やわらかで、あたたかで、吸い付くようなエネルギーの塊に、すみずみまでつつまれる、ハグ。
(陽だまり)
 
そう、感じた。
抱いたのに、抱かれていた。
 
光の温泉。
セルフヒーリング。
いつでも、繋がれる。
いつでも、思い出すことができる。
 
それは、魂の鼓動。
魂の、ぬくもり。
ひかりの、温泉。
 
(転載終了)

***********************

 
「ひかりの、温泉」という言葉にあるように、
 
〈じぶん温泉かけ流し〉
 
というのが、私が、できることを使って伝えたいテーマだ。
旅する絵描き 木の葉堂 白澤裕子さんに、初めてオーダーして描いていただいた絵。


そのときに綴ったブログから、転載する。
ノベルセラピーと繋がることも書かれている。
 
****************
 
〈じぶん温泉〉というのは、十数年前に、アロマテラピーやオステオパシーなどを学んでいる時に知った、「内在力」や「自然治癒力」のことだ。
 
生きているものはみんな、自分で自分のことを大丈夫にする力があり、それを湧き出させたら、いつでも湯治ができる。
 
私は、子どもの頃から本を読むのが好きで、物語の力で、いろんな〈じぶん温泉〉に入ってきた。だから、自分でも、ことばによる表現で、温泉掘削師になりたいと思っていた。
 
自分の中からあふれだした治癒のエネルギーに包まれる体感。
 
それぞれに、それぞれの湯治場があるのだと思う。
海かもしれない。空かもしれない。草原かもしれない。
 
じぶんの温泉に出逢う。
 
出逢ったら、尽きることのない、かけ流し!
 
***
 
(中略)
 
そうして、次に、私が以前から抱いている、とても癒される光景が見えた。
 
深い森の中、まるく差しこむ月の光に、静かに浮かび上がる小さな湖。
道とわかる道はついていなくて、たどりつける人だけが見つけられる、森に護られた場所。
蒼い夜と、月の光と、森の呼吸と、湖面のまたたきが、ひっそりと誰かを待っている場所。
 
その湖が、温泉になった(!)
 
いきなり、白い湯気があがってきたので、そうだとわかった。
あまりにも衝撃的で驚いたが、いつのまにか、温泉になった湖(かなり小さくなっている)に、はだかで飛びこんでいた。
 
あたたかいお湯につつまれ、深い場所までもぐっていったり、浮かび上がって背泳ぎしたり、ただ、浮かんで、月をながめていたり、ふたたび、頭からもぐっていったり、手足を動かして踊ったり。
 
〈かけ流しというのは、こういう感覚なんだ……〉
 
と、わかった。
 
***
 
すると、温泉になった湖に、動物たちが入ってきた。
対岸から、ぞくぞくと、熊とか、いのししとか、きつねとか、りすとか。いろいろ。
いつのまにか、人間も。
 
〈深い森の中、まるく差しこむ月の光に、静かに浮かび上がる小さな湖〉
〈道とわかる道はついていなくて、たどりつける人だけが見つけられる、森に護られた場所〉
〈蒼い夜と、月の光と、森の呼吸と、湖面のまたたきが、ひっそりと誰かを待っている場所〉
 
それが、ほかほかと白い湯気をあげる湖面に、わいわいがやがや、森の動物と人間がたわむれ、温泉を楽しんでいる光景になっている。
 
誰もいなかった森が、活気にあふれている。
 
それは、信じられない光景だった。
そんなことを、想像したこともなかった。
秘められた森の奥は、聖域だと思っていた。
 
湖が、温泉になった。
人も、動物も、誰もが、争わず、笑顔で、白い湯気につつまれ、月の光を浴び、森とともに共存できる。
誰もいなかった湖に、ほかほかした湯気と、ほとびた笑顔と、活気と生命力が満ちている。
 
〈ひとりじゃない〉
〈わかちあい、共存する世界〉
 
その光景を見たとき、自分の中にあったバリアみたいなものが、解かれていることに気がついた。
 
壮大な「ゆるし」が、降り注いで、鳴り響いている感覚。
 
(転載終了)
 
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裕子さんに描いていただいた、月のしずく温泉は夜だから、ひかりの子が登場したとき、「朝が来た」ことを感じた。
 
〈温泉から出る〉


ほかほかのからだで、ぴかぴかのこころで。
 
(さあ、どこに行く?)
 
浜田えみな
 
 
 
 

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