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【今すぐ気づいて】『いい人』とは誰かの都合のいい人間になる行為。
『いい人』だと思われたい・・
他人や周囲からの『自分の評価』って気になりますよね。
職場の人、趣味での交流のある人、友人、ママ友・・・などなど
「自分と関わりのある人から『いい人』『よさげな人』だと思われたい」
そう思ってしまうのは人間として自然な事なのかもしれません。
でも、その考えがあなた自身を苦しめているんです。
なぜなら『いい人』『よさげな人』だと思わるようになるには「相手にとって都合のいい人間」になることだから。
もう『他者からの評価の奴隷』になることはやめませんか?
『いい人』ってなに????
ではまず最初に、
あなたが思う「この人・・いい人だなぁ~」って思う人はどんな人でしょうか?
例えば私の場合だと・・
挨拶をするといったそういう常識を持ち合わせている人、というのはもはや当たり前の条件だとして、
私をほかっといてくれる人(笑)が良い人だなぁ~と感じます。
反対に、私にとっては
車で一緒に乗り合わせて『コストコ』いこう!とか
一緒に温泉に行こう!とか
頻繁にラインでどうでもいいことをやりとりするとか
家族ぐるみの付き合いしよう!一緒にご飯・一緒におでかけ等々
こういった距離感近めな付き合いとか一緒に遊ぼう!行動しよう!なんて人は苦手です。
そういう人は私にとっては『煩わしい人』以外のなにものでもありません。
でも、じゃあ他の人に「いい人ってどんな人~?」と聞いてみたところ、
色々しんどい事があった時に一緒に買い物とかカフェとか言ってストレス発散に付き合ってくれる人
(人には話せないような)プライベートな話をしあえる人
といった回答がきました。(私はどちらも受け付けないタイプです 苦笑)
つまり、いいひと・・というのは
「その人にとって都合のいい人=良い人(だと感じる)」
という事なんです。
100人いれば100通りの良い人がいる
つまり、「良い人」の定義って人それぞれなんです。
100人いれば100通りの良い人像が存在する・・といっても過言ではありません。
この理論にあてはめると、ちょっとむちゃくちゃな言い方ではありますが、
もしもあなたの職場の人全員に『いい人』だと思われたい、と思った場合
職場にいる人数分の良い人・・もし、職場に30人いるなら、30通りの自分を演じ分けなければいけない、ということになります。
相手がどう感じるのか、その決定権は相手にしかない
あなたがどんなにその人に好かれようと色々頑張っても、結局相手がどう思うのかは『相手次第』です。
例えばあなたが仕事中、手が空いたからホコリがたまっている場所をなんとなく掃除したとして・・それを
「あ、そこ前から気になっていたんだよね、掃除してくれてありがとう」
とか
「手が空いたからって掃除するなんてえらいな~私なら仕事さぼるのに全振りしちゃうわw」と思う人もいれば
「は??私へのあてつけ??」(その人がホコリがたまってた場所の掃除担当だから)
はたまた
「はいはい、上司へのアピールね!」
と思う人もいます。
結局、なにをしたところで、言ったところで
「どうとらえるか」
「どう評価するのか」
「どう思うのか」
の決定権は相手にしかないのです。
だから、あなたができる最大限のこと
礼儀(挨拶・感謝・謝罪)
笑顔や清潔感(お風呂に入る・歯磨き・洗濯された服を着る等といった当たり前のこと)
明らかに相手が不快になるだろうなぁということは絶対に言わない・やらない
(デリカシーのない発言:子供産まないの?なんで結婚しないの?など)
(悪口:バカかよ!とか、ブスだなぁ!とか、クソかよ!とか)
(悪態:ガンとばす、わざとぶつかる、持ち物を隠すなど)
これらのことは常に意識する程度で大丈夫なんです。
自分が常に他者に不快感を与えるようなことはしないようにしようと『あり方』・『振る舞い』に気を付けて、
そこから先のことは、相手の課題・領域なので、あなたのコントロール外のことだからあなたではどうすることもできないことを肝に銘じておきましょう。
コントロール内なのは『あなた自身』のことだけなんですから。
相手からの評価なんて『参考資料』程度
相手に良い人と思われるために相手の都合に合う人間になろうとし、自分をすり減らすことは『自分自身を全否定』しているのと同じです。
自分自身をもっと大事にしましょう。
あなたも、私も、自分自身にとって『いい人』でありたいですね。