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「わたし」がいない

わたしは自分が人と違うことに、
いつも恐れていた。


顔では笑っていたけど、
心のなかでは、いつも泣いていた。


心がしめつけられ、
息ができないほどに苦しい。


いくら考えてもわからなかった。


自分で自分のことがわからない。


この長い道のりから抜け出すには
どの道を選べばいいのか。


淋しかった。
切なかった。
苦しかった。


両手で顔を覆う。
身体は温かいが、心の涙は冷たい。



ふと顔を上げた。

東京の冬はいつだって青空だ。

気づけば、青空を見つめていた。



わたしは、
「わたし」と向き合って生きているだろうか。


決して逃げてはいない。


ずっとずっと
「わたし」と向き合って生きてきた。


「わたし」という心と
自分自身という身体との距離が近すぎるせいか、なかなか客観的に見れない。

そして、よくわからなくなってしまった。


自分の気持ちを大事にしてこなかったから、自分の気持ちがわからなくなってしまった。




でも、

ある時、


すべてがどうでもよくなった。




もう、いいや。




みんながラーメンを食べていても、
私はうどんを食べたい。


みんながタピオカドリンクを飲んでいても、
私は普通のミルクティーが飲みたい。



「わたし」を守るために、
必死に同調してきたけど、
それは、つかのまの安心感であるだけだった。
最後は、いつも不安になる。




それならば、



素直に生きてみよう。



だって、
「わたし」の人生なのだから。



「ガイジン」と小学生の時によく言われた。


私は「ガイジン」だから、
仲間外れにされないように、
まわりにいつも合わせて生きてきた。

私は「ハーフ」だから、
みんなと違う、出る杭は打たれる。
目立たないように生きてきた。


自然にそうなった。
 


「ガイジン」や「ハーフ」であることが、
不安でたまらなかったから。



もう、いい。



自分の気持ちに素直に耳を傾けよう。
自分の気持ちを大事にして生きてみる。


世界でたったひとりの「わたし」
なのだから。


 


こんな簡単なことに、
どうして今まで気づけなかったのか。


素直な気持ちで生きることが、
自然なことのはずだ。



そして、

素直な生きかたをしてみたら、

もうひとつわかったことがある。



自分が一体何者であるか。
ずっと考えてきた。


父親の転勤であちらこちらに住んだ。

どうせ「ふるさと」などない。

日本にいれば、「ガイジン」や「ハーフ」などと言われる。
欧米に行けば、アジア系としか見られない。

「国籍」すら、どうでもよくなった、





そう、

「わたし」のアイデンティティは、


国家に依存しない。





このかけがえのない私の命は、
自分の存在は、
「わたし」という魂は、
唯一無二の存在なのだ。



私は、国家のために生きているのではない。




「わたし」という、


魂は、


国家とは関係がないもの、


だということだ。