【ASD】人の気持ちに同調しすぎる特性を知る【AC】
こんにちは、えみりーです。
今回は、ASDの特性『他人への怒り言葉、他人の悲しみなどが、まるで自分へ向けられた怒りや悲しみの気持ちであると勘違いしてしまう』ことについて、自分の経験も交えてお話ししたいと思います。
『同調しすぎる」とは?
私は高校生のころ、重度の知的障害をもつ11個歳上の姉の介護について同級生に相談したことがありました。
その時の友人の顔にはとても困った顔をしていたのを今でも覚えています。
そこで私の中にルールが追加されました。
「友人に込み入った相談をなるべくしない。自分のことを話す際、友人を困らせる線びきがわからないため、あまり身内の困りごとは話さないようにしよう」
なぜこのようなルールが追加されたのか?
それは、私自身が人の悩み事がまるで自分のことのように感じ、同じ目線で悩み苦しむことが当たり前だったからです。
毎回友人の相談を聞くたびに苦しかったです。
この苦しみを友人にさせたくない。
その思いが確固たる確信となり、マイルール(私が誓ったことと日頃言っています)が追加されました。
さて、いかがでしょうか?
この話はASDの特性が強く影響されていそうだなと感じました。
『人の気持ちに同調しすぎる』というASDの特性は、私にとって当たり前のことだったのですが、最近20年来の付き合いがある友人にこの話をすると、友人はそこまで人の悩みは心に残らない、「そうなんだ〜、大変だね」ぐらいで終わると聞いて、大変驚きました。
友人曰く「気にしすぎだよ(笑)」というのです。
友人「むしろ、うつ病だったことを1年もしらず過ごし、私の悩みばかり聞いてもらったりしてて、逆に申し訳なかったわ〜」
とのこと。
加えて驚いたのが、この友人には、過去に何度も介護のことや、母の束縛が辛いなどの愚痴みたいなのは言っていたのですが、うつ病になるほど深刻なものだと思ったことがなかったそうです。
私の愚痴や相談を聞いていたはずなのに、そう思われていたことにとても驚きました。
*お酒を飲むと情緒不安定になり暴力的になる父に毎回夕飯時は気を張っていた
*母の遠回しの介護の強要がつらかった
などと改めて辛い気持ちを話したら、「とても円満な家族だな」と思い、鬱になる程辛かったとは思わなかったといっていました。
ああ、人に話しても深く考え、同調するということはしないのだと改めて感じました。
私にとっての当たり前が崩れました。
またASDの特性が昔から現れてたんだなと感じた瞬間でした。
他人は私の思っている以上に、人の悲しい気持ちや相談ごとに同調しないということです。(同じ境遇や当事者であればまた別かもしれませんが)しかし、そういうこと関係なしに同調してしまうのが私の性格、ASDの特性なのです。
ASDの方でこんな方はいませんか?
ASDの方で、他人が叱られているのにまるで私が叱られていると感じてしまう人はいないでしょうか?
ASDの方で、相談されたときに同じぐらい悩み暗い気持ちになってしまった人はいないでしょうか?
主治医によると、それはASDの特性の一種だそうです。
では「同調」は避けられないことなのでしょうか?
いえ、まずこのことに気づくことが、避けるための第一歩なのだと私は思います。
人の話を聞いたときに、「この話は他人の話であり、感情移入はしないぞ!!!!」と自分と切り離して考えるよう意識することができるようになります。まず一息いれましょう。
他のASDの方がどうか分かりませんが、人に相談することが苦手な方はいますでしょうか?
・同じ相談することが苦手だ。
・人を困らせてしまいそうで言いにくい。
などと思う方がいましたら、これを思い出してください。
他人はあたなが思っている以上、いえ100倍い以上、他人は怒りや悲しい気持ちに同調はしていません
相談することにためらいを感じる方がいたら気にしないでほしいと伝えたいです。
(私自身に言い聞かせている言葉です)
まとめ
ASCの特性で、「気持ちが同調しすぎる」
「コミュニケーションが苦手」
加えて、ACの考えで、「人に頼ることが苦手」
以上の特性が融合し、人に相談することが苦手、人に相談されると気持ちが同調しすぎてその人の気持ちに引きずられてしまう、などという特性を私はもっていることが分かりました。
まずこの特性の気づきによって、今後の行動において気持ちのコントロールができると思います。
自分分析をすることは大切だなと思った経験でした。分析により自分の精神コントロールができるようになるのです。
この分析は続ることが大切だと主治医に言われました。今後も気づきがあれば発信したいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
えみりー