ハリー・ポッターと呪いの子 ロンドン パレスシアター 観劇録
1.ホグワーツな劇場
2.魅力的なキャラクター描写
3.アルバスとスコーピウス
4.スコーピウスとドラコ
5.アルバスとハリー
6.魔法な舞台
1.
赤い煉瓦の壁、ガーゴイルのランプ。吊り下がるシャンデリア。扉の前には子供の頃に憧れたホグワーツの4つの寮の色を模したマフラーの案内係。
古い貴族の館を改築したパレスシアターでは、入場した時から魔法の世界に飲み込まれる。
2.
ロンドンに来たら絶対に観たいと思っていた「ハリー・ポッターと呪いの子」。パフォーマンス・アーツとして、トニー賞6冠に輝いた超人気作品。
映画や小説でお馴染みの魔法が目の前で繰り広げられるのに心踊らせるのはもちろんの事、キャラクターの描写がとても魅力的でハリー・ポッターという作品の世界観、ドラマ性に改めて惚れた。
3.
「呪いの子」のメインキャラクターは、37才になったハリー・ポッターの子供、アルバスとハリーのライバル、ドラコ・マルフォイの子供、スコーピウス。アルバスを演じるのはJoe Idris-Roberts。がっしりとした骨格にしっとりとしたバリトンヴォイスが特徴で時々どこを見ているのか分からない、挑戦的な灰緑色の瞳が印象的だった。スコーピウス役には、Jonathan Case。細身の白皙の美少年。困り眉に黒目がちの瞳が笑うと垂れるのが可愛いらしい。ジョーと反対で声のトーンが高く、早口でハイテンション。(しかし、映画のハーマイオニーよろしく、英国のハイクラス育ちな役だけに、台詞はかなり聞き取りやすい)
芝居の主題の一つが親子の対立と和解。筆者のJKローリングが「呪いの子」は、芝居が最もふさわしいと話していたそうだが、それは単に活字上で表現が困難な魔法の描写のリアリティーを出すだけでなく、キャラクターの会話の温度感、という事もあるかもしれない。
魔法界のヒーロー、ハリー・ポッターを父親に持つアルバスと、闇の魔法使いドラコ・マルフォイの子供で更にヴォルデモートが本当の父親ではないかと噂を立てられるスコーピウス。二人の父親にコンプレックスを持つ少年が互いにひかれあっていく様子が自然に描かれていた。
9と3/4線列車のシーンでは、ホグワーツの生徒達の持つトランクが列車そのものになり、鮮やかに出会いのシーンを作る。それは映画で、ハリー、ロン、ハーマイオニーの出会いのシーンを彷彿とさせた。メインキャラクターとアンサンブルによる美しく手際の良いムーブメント(劇中のモダンダンスや場面転換)により、あまり沢山の舞台装置が無いのもテンポの良さとキャストの演技を際立たせていた。
個人的にお気に入りは、タイムターナーで時が歪んだホグワーツでの動く階段のシーン。スコーピウスが闇の魔術の根源と思いこんでしまったハリーの監視下に置かれたアルバス。スコーピウスと会うのを禁じられるが、事態が上手く飲み込めないスコーピウスは、無邪気にアルバスに話しかけようとする。しかし、無視して動く階段で去ってしまうアルバス。アンサンブルにより動かされる階段の装置が二人の間に距離感を作り、やっと近づいたと思ったらまた、離れてしまう。とうとう階段の上で踞ってしまうスコーピウス。舞台全体のアーティスティックな動きが絶妙な切なさと二人のプラトニックな関係性を作り出していた。この階段のシーンでは、ロンとハーマイオニーの会話があり、大人になってもプライドが邪魔してなかなか素直になれないハーマイオニーと相変わらずひょうきんなロンが並んでいるのが微笑ましかった。(ハーマイオニーとロンは動く階段の上で並べるけど、アルバスとスコーピウスは隣に行けない、という処がミソ!)
4.
作品の見所の一つがタイムターナーを使って、小説、映画の世界のパラレルが見られるということ。一部の終盤直前にタイムターナーで闇に支配された世界に飛ばされてしまう、スコーピウス。ハリー・ポッターがいない世界のため、当然アルバスもいない。
劇中は、楽しいシーンばかりでなく、二部からはダークな描写が多い。特に不気味に揺らめくディメンターが襲いかかってくる場面は、客席がざわつく程。しかし、イギリスらしい皮肉のきいたユーモアな台詞もあり、まさかのスネイプ教授が真顔で冗談を言うというレアなシーンもあり、笑いを誘う。
闇に支配された魔法界では、マルフォイ家が強大な力を持っている。ドラコは高い地位についている。このシーンのドラコ、スコーピウスの衣装がノーブルで格好良い。ドラコは、映画のルシウスの様な高襟のビロードのロングマント。ハーフアップにしたシルバーブロンドが動く度に揺れてドラコ役のジェームズ・ハワードの一挙一動に一幕より優雅さが増す。スコーピウスは同じく高襟で裾の広がった黒で統一された上着。スコーピウスもホグワーツでの地位が高くなり、周囲からちやほやされる。しかし、いつも一緒の親友のアルバスを失い、始終不安げな様子。ジョナサンのオリジナルの仕草かもしれないが、スコーピウスは不安な時に口に手を当てたり、爪を噛む。その様子が、スコーピウスの甘ちゃんな性格や情緒不安定な処がよく現れていると思った。
同シーンで挙動不審なスコーピウスにいらつく、ドラコ。机に息子の頭を叩きつけたり、怒鳴りつけたりするが最終的にスコーピウスの言葉に耳を傾ける。ジェームズ・ハワードのドラコは太い眉に高い鷲鼻、鋭い灰色の瞳で優雅で堂々とした見た目、所作はエレガントなヴィランだが、亡き妻と息子への愛情は深い。スコーピウスとの会話の際に視線をきちんと合わせたり、タイムターナーで別世界に飛ばされて、戻ってきた息子を離さないとばかりにしっかりハグしたり。しかし、一番感動したのは、ゴトリック谷での悲劇を目の当たりにするシーンで、うちひしがれるスコーピウスの首を包みこむ様にして抱き締めていた事。劇中に母親を亡くしてからスコーピウスと上手く話せないとドラコが溢す台詞があった様に、ハリーとアルバスの様に真正面から対立こそしないが、本音を話せないスコーピウスと息子にぶつかっていけないドラコのわだかまりが消えたシーンになっていた。
また、闇の世界でスネイプに出会うスコーピウス。歴史ヲタクのスコーピウスは、スネイプに会っておおはしゃぎ。若干ひくスネイプ。スネイプ教授はやはり人気キャラクターの一人で、振り返った瞬間から客席は大喜び。スネイプとの別れでは、スコーピウスがハリーが息子のミドルネームにセブルスとつけた事、いかに尊敬していたかを告げる。スネイプのはける演出は、美しく悲しく、しかし感動的なものになっていた。
5.
ハリー・ポッターそして、ファンタスティックビーストと、JKローリング作品の魅力は、特別な魔法使いの世界を描きながらも各キャラクターに読者、観客の共感を呼べる処だろう。
ハリーとアルバス親子の会話は、より観客の共感を誘うのではないか、と思える所が随所にあった。思春期、反抗期、中二病真っ盛りのアルバスと仕事に追われてなかなか家族を省みず、妻のジニーに任せっきりのハリー。出来の良いグリフィンドール生の長男もいる為にスリザリン生になってしまった事で更にこじれるアルバス。
ジェイミー・バラードのハリー・ポッターは線が太く、真面目で頑固。でも、興奮するとすぐ赤くなるのが、個人的にちょっと可愛く思えた。力強い物言いが魔法使いのリーダーとしての風格があるが、どう接したら良いかわからない次男の前ではあたふた、あたふた。乾いた笑いしか出せないギャップがいかにも仕事一本お父さんで、魅力的。
スコーピウスに比べれば、恵まれた環境にいるものの、日頃から父親や長男へのコンプレックスまみれのアルバス。しかも妹までグリフィンドールになってしまってからは、「もうやってられない!」状態。ジョーのアルバスは、鬱屈しながらも冷静で、表情が静かなだけにスコーピウスとふざけている時は頭の悪い顔をするので、等身大の少年という感じ。厳しい父親よりも、話やすいロンおじさんに「親父をなんとかしてくれや」と言ってしまう処も納得。
物語のミステリー的な部分を解決していくのは、基本的にアルバスとハリーの役割。その説明に地元のポッタリアンも嗚呼、と感嘆をもらす。
6.
そして、やはりポッタリアンもそうでない人も観客は全員、ハリー・ポッターが魔法を使うシーンを期待している。全編を通して目を見張る魔法の仕掛けの数々にただただ驚くばかり。
入学したばかりのアルバスとスコーピウスが菷を浮かせるという可愛いものから、ハリー、ロン、ハーマイオニー、ドラコが闇の魔法を倒す為の派手で大がかりな戦闘呪文まで。
とにかく、長いマントを翻しながらキャラクターの個性にあった杖を振り、ポーズをつけながら呪文を唱えるキャスト達が最高に格好良い。また、イモジェン・ヒープ手掛ける舞台音響は、所々に伝統楽器的な音を挟みながらも不思議な揺らめきをもつ、モダンなファッションショーに使いそうな響き。映画でお馴染みの曲を使わないのが、逆に音が邪魔にならず、自然に役者の心情描写に溶け込んでいた。
一部、二部あわせて約五時間の大作だが、一日中、現実を完全に忘れて魔法の世界に浸る事がこんなにも快感だとは。