95歳、何が好きでどう生きているのか?
95歳まで生きたら、私はどうなっているのだろうと考える。
最近、実家の母方の祖母が95歳で亡くなった。
お嬢様がそのまま年をとったようなお上品と、急にくだを巻きだすやくざがそれぞれ半々。我が家の女性たちのDNAの根源というべき、不思議なブレンド感を持った、おもしろい性格だった。
祖母は、造り酒屋の次女として生まれて、材木商を営む祖父の元に嫁いだ。若いころは、奥様業だけではなくて、取引先との交渉などもやっていたようで、朝ドラのヒロインを地でいくような人生だった。
色が白くて、まつ毛が長くて、骨っぽいすっとした指を持っていて、おいしいものと着物が好き。贅沢品ではなくても、少しひねったおしゃれを好む人だった。
野菜の皮をむくのが大変だとブツブツ文句を言いながら、恩着せがましく山ほど作ってくれた煮豆や煮物は、出汁が利いていてものすごくおいしかった。何も言わないで出してくれたら、もっといいのに、残念なところも多いキャラクターだった。
祖母は、祖父亡きあとは叔父たちと暮らしていて、最後の数年はほとんど入院していたようだ。聞いた話では、最近、一時退院して好物のうなぎ、とんかつ、大きな海老フライ、そして和菓子を連日たらふく食べ、そして病院に戻って、眠るように亡くなったそうだ。
母には相当前から、自分がお棺に入った時の髪型やメイクについて、指示を出していて、ことに前髪のバランスを非常に気にしていたという。
母たちは、祖母が好きな和菓子を、山ほどお棺の端にいれていた。向こうで、皆さんに分けるだろうから、手はずよく必要な物を入れていないと後で怒られると言っていた。
いろいろな糸の色が入ったジャクリーン・ケネディ的なツイードのスーツを着て、ショートカットの前髪はふわりと横に流れていて。軽いピンクのグロスをつけて百合の花に囲まれた祖母は、今まで見た老齢女性のお葬式を振り返ると、間違いなくいちばん洒落ていた。
八千草薫のようにお上品に笑っていたかと思えば、極妻のようにたんかを切ってパンチの効いた物言いをしていた祖母。話しているとあっけにとられることが多かったが、いなくなったら本当に寂しい。
最近、こんな本を読んだ。
瀬戸内寂聴さんの美人秘書、瀬尾まなほさんの著作だが、大作家との日々について書かれた、語り口の切れ味がよい、情にあふれた楽しい本だった。
瀬戸内寂聴さんも95歳。
さまざまな病気を抱えたり、治療しながらも、今でも講話をして、現役で多くの連載を持ち、執筆しているという。
書くという仕事は、頑張れば95歳までできる現実に驚きを感じつつ、将来への可能性を大きく感じた。
それはもちろん、大作家だからこそのことではあると思うが、書く場は昔と違って間違いなく広がっている。
2人の95歳の女性の生き方を見ているうちに。好きなことを大事にして生きる、というあり方は、どういうジャンルにしても、生きる活力になるのでは、感じた。
好きなように生きるという言葉は、意味をはき違えるととんだ大間違いにもなりかねないが、好きなものはこれ、だから好き、という感覚をうやむやにしないでポリシーとして貫けば、それは自分の人生を長く支えてくれるのかもしれない。
そういえば、ある65歳の女性の友人がこういっていた。
「聞いて!はじめて年金もらったの。これ、私、人生で初めての経験!目が見えにくくなったりとか、老いるって何かと初めての経験じゃない?年をとるって初めてづくしのことばかりなのよね。」
なるほどなー、と思った。年をとるとは、若さを失う、ということではなく、初めてのことがじゃんじゃんくるということなのかもしれない。
40代になって、私も実感として少し理解できることがある。年をとるのは、20代や30代の頃に想っていたよりも、意外とけっこう悪くない。
好きなことを軸に生きていけば、きっと50代も60代も、その先も。なんだか、おもしろいのではないかと感じる。
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