<おとなの読書感想文>くまとやまねこ
出先から戻ってきて、朝出かけたときと同じようにちゃんと家が建っているのを見ると、奇妙な気分になることがあります。
通常は、自分の不在時に火事が起きていたり、どろぼうが入ったり、川があふれて水浸しになったりしている可能性は、それほど高くありません。
まず起こり得ないだろうと思う気持ちを担保に、戸締りだけ確認して気兼ねなく家を出て行きます。
それでもふと、こうしたことが「あたり前」ではないんじゃないかと感じることがあるのです。
奇妙な気分はこういうときに現れます。
日常は、あるとき突然失うかもしれない奇跡の集合なのだ、と。
「くまとやまねこ」
(湯本 香樹実 文 酒井 駒子 絵 河出書房新社、2008年)
何年か前にこの絵本を読んだときには、わたしはくまの気持ちに寄り添っていたように思います。
人生で、身内や知人と別れる瞬間は必ずやってくるものです。
昨日の朝一緒に過ごしていた人が、今日の朝にはいなくなっている。
ことりを喪失したくまの悲しみや苦しみは、自分の体験と重なって沁みるものでした。
ところが先日このお話を読み返したら、自分の中にまた別の感情が生まれているのに気がついたのです。
くまを残して旅立ったことりは、どのような気持ちだったのだろうかと。
思うにこのペアは、体の大きさも違えば時間の流れ方も違う。
ことりは、くまよりも先に自分の寿命が尽きるであろうことを予測していたのではないでしょうか。
そのときくまは、どうなってしまうのか?
世の中に、何かを喪失することのおそれがあれば、誰かに何かを喪失させることのおそれというのもあるのです。
もうひとり、このお話の重要キャラクターはやまねこです。
ことりのことを「忘れなさい」と言ったほかの動物たちとは違い、これからもくまの心の中に生き続けることりの存在を認めます。
彼もまた、過去にくまと同じような喪失を味ったらしいことがわかりますが、詳しくは語られません。
以前と異なり、ことりややまねこの感情に思いを馳せられたのは、読者であるわたしが年を重ね、立場を変え、様々な経験をしてきた証なのだと思います。
絵本の文章は一般に短く、簡潔にまとめられていますが、すばらしい絵本は書かれていない時間や感情の奥行きを感じられるし、それは読むときや状況によって変化します。
バイオリンを奏でるやまねこの、悲しげとも満足げともとれるなんとも言えない表情が忘れられません。
繰り返し読みたい絵本です。