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<おとなの読書感想文>ことり

たとえばどこかの神社で、拝殿に向かって柏手を打ち、目を閉じる人。
あるいは七夕の短冊を書く人、泉に向かって後ろ向きにコインを投げ入れる人、卒業文集に「10年後のわたし」を書く人。

子どもの頃「ねがいごと」や「ゆめ」をたくさん持っていることはよいこととされ、将来は科学者になってロボットの開発をしたいなどと言うと、大人たちの賞賛を浴びたものでした。
やがてその「ねがいごと」を叶えるために、周囲は具体的なプロセスを要求します。
科学者になるためには専門の教育機関で学ぶ必要があるから、受験勉強をしよう。
足を速くしたいのなら早朝にトレーニングをする。
結婚したいのなら、結婚相談所に申し込むのがいいかもしれない。
目標に向かって努力を積み重ね、やがてねがいごとを成就させた人は、成功者と呼ばれます。

いくらパワースポットを巡って神頼みをしても、自己研鑽に励まない人は怠け者扱いされるし、努力をせずに何かを得た(ように見える)人は疎まれます。
成就のためには決まった手続きが必要なはずで、それを省くことは反則だと考えられるからです。
努力が与える成果は誰にも平等で、そもそも努力によってねがいごとの成就を試みることこそ人間の幸福だと信じているからです。

「ことり」(小川洋子 朝日文庫、2016年)

兄は周囲とは異なる独自の言語を操り、唯一そのことばを理解する弟(のちの小鳥の小父さん)とコミュニケーションを取ることができます。
毎日決まった時間に、ふたりはサンドイッチと缶入りスープとりんごの昼食を食べ、夜はラジオの音に耳を傾けます。
年に何回かは空想旅行を楽しみ、兄は毎週水曜日に薬局で棒付きキャンディーを買うほか、幼稚園の鳥小屋や庭の小鳥を相手に日々を過ごしています。
彼らが願うことはただ一つ、今日もまた昨日と同じ日を送ることでした。

過不足なく調和のとれたふたりの生活は、安全な鳥かごの中のように穏やかで、読んでいるとそれぞれのモチーフが紡ぎ出す素朴で美しい空気に引き込まれていくようです。
しかし、安全なはずの彼らの生活も外からの影響を完全に免れることは難しく、やがてはいびつな形に作りかえられていきます。

ねがいごとの成就へ至るプロセスが生きることなのであれば、兄弟の生活は世間一般の認識からズレていることになります。
周囲は彼らを浮いた存在とみなし、やがては拒絶するようになります。

ねがうわけでもゆめを見るわけでもなく、兄亡き後も小鳥の声にじっと耳を澄まし続ける小鳥の小父さん。
彼はさみしく、かわいそうな人なのでしょうか?
わたしはそうは思えませんでした。
成就の形をとらない生きる形もこの世にあると、この本を読んで思うのです。

静謐で美しい、絵画のような物語をぜひ。

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きよはらえみこ
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