私が着物を作ろうと思うまで 〜着道楽編②〜

グーテンターク、こんにちは。

さて、前回の続きで着道楽編②でお送りします。

急にファッションに目覚めたかのような私ですが、そう言えば小さな頃からきせかえ遊びが好きでした。
幼稚園時代はショウワノートやセイカノートのボール紙の着せ替えにハマり、自分で描いた服を着せたりもした。絵心を遺憾無く発揮。

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こえだちゃん人形も大好きで、着せ替えできるタイプもあったが、こちらはそのクオリティがあまり気に召さず(何様)、人形のかわいさを楽しむに終了。
第二期小学生時代は意外な事にリカちゃんやジェニー人形はスルー(これも個人的に顔の作りなどが気に入らず)、シルバニアファミリーや3年2組のなかまたちのような、動物系が好きだった。

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平面きせかえも子ども用ドールも服は既にセットアップで、自分なりのコーディネートができないのが不満だった。
そう、与えられた選択肢に充分満足がいかなかったものの、自分で創り出せる技術もなかったのです。
気に入る選択肢がないと思っていた事により、興味があまり湧かなかった。これが高校時代終盤までおしゃれにあまり興味がなかった原因だと思います。
子ども時代は、友達や姉と主にシュミレーションで遊ぶのがメインでしたが。

20歳前後で色々な服の種類やブランドがある事を知ってからは、自分で着せ替えを始めた感じです。
特にテーマカラーやコンセプトを決めてコーディネートするのが好きで、常に手持ちのアイテムに合わせるものを探すアンテナを張ってました。

ロリータ友達はライブの時だけロリータ着る人が多かったのですが、私はむしろ日常で楽しむタイプでした。
ライブの時は黒一色またはモノトーンのゴスロリ、日常にはタータンチェックやフルーツ柄なども着ました。
文字通り、好きな物に囲まれて日々過ごしたかったのです。「装う」事による自己主張。若気の至りです。

しかしその時の私がどんな見てくれだったかと言うと、今よりもずっと太っていました。
当時は吉川ひなのさんがモード系雑誌のトップモデルとして君臨していて、もちろんかわいいし素敵だなあと思いました。
私が大好きだったのは鈴木蘭々さん。人形のように大きく魅力的な瞳は、本当に羨ましかった。
Judy and MaryのYUKIちゃん、Charaさんなんかのおしゃれなミュージシャンにも憧れました。あんな風になりたいなと。

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しかしこれは反面「おしゃれするならかわいくなくちゃダメ、スタイルが良くなきゃダメ」という、特に日本ではとてもありがちな「厳しい集合意識」に繋がってると思います。
それこそが、やりたい事があっても叩かれるのが怖くてみんなできない原因ではないでしょうか。
ハイレベルに達していなければ「好き」という主張さえ許さないという、厳しめの風潮があるのは何なんでしょう。

そこで私の勇気となったのがCandyさんだった訳です。
「かわいくないから」「太ってるから」「もう歳だから」「それを叩かれるのが怖いから」理由をいくらでも作って、自分が本当に好きな事や、やりたい事から逃げるのは簡単です。
しかしそれで自分に嘘をついて、死ぬ時後悔しないのか?一番幸せにしたいのは自分自身なんだから、何を言われようとその時自分がやりたい事をさせてあげるべきなんじゃないのか?Candyさんは男性な上、中年だけどロリータ服を着て自分を積極的に露出する事で、「自分は自分の好きなものに正直に生きるぜ」という究極の形を見せてくれたのです。偉大。

私が何故ロリータファッションに強く惹かれたのか、はっきりとした理由はわかりません。Candyさんのインパクトは確かに凄かったですが、それだけではないと思います。
昔からアニメキャラが着ていたフリフリしたかわいい服に憧れ、もらい物の服でちょっとフリル付きのものがあると、そればかり着ていました。

一方母は割とミニマルなファッションが好きで、姉と私にお揃いで服を縫ってくれたりもしましたが、リバティ調小花柄のシンプルなスカートとかそういうのが多かったです。

そして姉と私の待遇にあからさまに差をつける父親と折り合いが良くなかったので、男性や両親に対する反発心や、不幸だと思っていた子ども時代をやり直したい、またはまだ子どもでいたい気持ちとかの表れだったのかもしれません。


さて、高校を卒業した私は短大へ進学、そこでは迷わず軽音楽部に入り、特に楽曲が好きだったThe Yellow Monkeyを中心にコピー演奏するバンドを組みました。
私の担当はベース。理由は当時好きだった数あるバンドの中で、一番好きな人の多くがベーシストだったから。単純。
他にも小さい頃からリズム感あるね、とよく言われてたからとか、ギターより弦が少なくて簡単そうだから…とかありますが、そんな事言ったらベーシストさんに怒られますね。

短大時代は勉強は最低限に(国分学科)、バンド活動と着道楽を楽しむ日々でした。
もちろんオタクなので文学は好きなんですよ、特に平家物語とか源氏物語とか。やーでもあの頃はアホな格好してバンドやるのが楽しかった。
GacktさんがMalice Mizerとしてデビューした時期でもあり、彼に強烈に憧れた私はギタリストのmana様になりたくてコスもしました。まさに黒歴史。

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しかしそんな楽しい日々も長くは続かない。
私が短大を卒業した1998年春、日本は就職氷河期真っ只中であった。
着道楽を極めていた私は就職相談役の先生の言う事も聞かず、「アパレル会社に勤めたい」の一点張り。
その時は不況も不況、アパレル会社はどこも正社員など募集してない。あって「契約社員」という名のバイト。

かくして私は卒業後、「子ども服ショップの店員」というバイト生活をする事になる。ちーん。

つづく

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恵美子@ドイツ暮らし
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