アフターコロナにおける地域ってなに、地域振興ってなんなんだ。(前編)
人の移動と交流が制限されているwithコロナ時代。「地域」というものの枠組みが益々揺らぎ、「地域振興」の定義も益々曖昧になっているような気がしています。
「地域振興」:産業が盛んになることで雇用が増え、人口が増え、経済が潤い、地価が上昇、税収が上昇するということ。
地域づくりの様々な取り組みの実績や効果を伝える指標は「来場者数」が基本中の基本。様々なイベントも、多くの来場者の報告=成功という図式は当たり前になっていますし、行政等の委託事業の場合、必ず求められる数値ですね。
盛ん。増える。たくさん。上へ上へ。上昇。といった数字が増加することが「振興」することだと誰もが思っているのだと思います。
コロナ以前に、私はこういう指標がすごく疑問でした。
人がたくさん来るのは素晴らしいこと。でも大事なのは来た後なのでは?人がたくさん来ることを目的にするなら、パンダ呼べばいいんじゃない?とひねくれものの私はずっと思ってきました。
来場者数を価値にするということは、今までいかに「人の移動」を目的にしてきたかということ。
withコロナの今、それはまったく持って意味のない指標になってしまった。改めて、地域の指標は「量より質」を見ていくべき時代に入ったのだと感じます。
(見えない誰かを移動させるために)「このまちいいよ!」と叫ぶのではなく、「このまちいいよ!」と住んでいる人が自分自身に宣言できること。
それができたら、地域は継続、存続する。そこに住み続けるのだと思います。
だから。
コロナにより、オンラインが当たり前になって、遠くの人と一気につながれるようになった反面、「地域」という枠組みは、私は行政区よりももっとせまい範囲で見るべきなのだと思います。ミクロとマクロ。このミクロの視点は今こそないがしろにしたら重要なことを見落とすと思います。
今、コロナにより行動に制限があるから、人はマクロの視点ばかり急ぎすぎているような気がします。オンラインもそう。
経済的な効率主義は、これからの時代通用しない。それはコロナが今後収束することがあったとしても不変なのではないか。環境、温暖化、など様々な面で言えることだと感じます。
誰だかわからないたくさんの人が移動したという数値測定より、顔の見える数十人の熱量が勝る、価値ある時代に入ったのではないか。
こういう指標は数値化しづらいけれど、まずは数値ではなく、小さなものがたり、エピソードをいかに発掘できるか、なのではないか。そして、そのためにどんな取り組みが有効なのか。あるいは、どういった指標が有効なのか。
地域の個性をふくよかに、多面的に外に出していく。ということが可能になれば、それこそがその地域の個性であり、都市部の真似ではない、まちとしての自立につながると思います。ということは、たくさんのお金を(外向けの人のために)使って、外の人に来てね!と叫ぶことより先に、今、この地に住む人が「ここ良いよ!」とちゃんと思えているのかどうか。それをどういう形で、何の取組によって外に伝えるのかなのだと思います。
オンラインよりオフラインの価値。AIより生身の人間とコミュニケーションする価値。そう考えると、豊かで本来のコミュニケーションが取れるかどうか、という観点からも都市部よりも地方に価値が感じられる時代が来るのかもしれない。
盛ん。増える。たくさん。上へ上へ。上昇。といった数字が増加することよりも、1人1人の地域への熱量(思いや行動)。1人1人が地域を語れるパワー。住んでいなくとも、地域に関わった深度。こうやって書くと、なんだかとっても暑苦しく感じるけれど、ミクロの視点でこういうところを見ていくことが大事だと思っています。
従来の上へ上へという、矢印でいうと「↑↑↑」の方向から、より深く下へ下へという「↓↓↓」の軸、指標が重要なんじゃないかな。
withコロナ時代の地域振興ってなんなんだ。次回、私たちが主催する「UNMANNED無人駅の芸術祭」を軸に具体的にもう少し紐解いてみたいと思います。