戦後80年談話

与野党共に総裁、代表選びが行われているということで、今後数年にわたる各政党の方向感が議論されて定まってゆくと思われます。その中で、とりわけ来年は戦後80年目に当たる年となり、様々な議論やアクションが起こってくると考えられます。その中で、10年ごとの節目には、国の代表として、内閣総理大臣が談話を出すということが行われてきたので、それについて与党である自由民主党に対し、ぜひ総裁選において議論をすべきではないかとの提言を以下の通りしました。

来年は戦後80年の節目の年となります。10年ごとの節目に総理大臣談話が出てきたことを考えると、今回も当然それが出るのだろうと想像しています。
そこで、今回の総裁選において、御党の党是である憲法改正の議論を話題に組み込むためにも、それぞれの候補者が考える戦後80年談話の内容を示すことは、総理総裁候補者を見極める最も重要な国家観を表すものとして非常に大きな選考要素となると考えます。
とりわけ憲法9条という安全保障に関わる問題を議論するには、第二次世界大戦・太平洋戦争というものをどのように考えているのかについて示すのは、避けて通ることはできません。国家観・歴史観を示すこともなく、勇ましく自衛権について語られても、では一体あなたは、御党は何から何を自衛するつもりなのか、ということが示されていなければ、安心してその議論を委ねることはできかねます。
九人もの総裁候補が立候補した今回、それぞれが自らの国家観・歴史観を明確に掲げて議論することで、御党の考え方の多様性を示すこともできるし、またそれを通じて活発に議論がなされることで、党として重要な議論をオープンの場で行うのだ、という大きな前例を打ち立て、それは国民投票を伴う憲法改正への見通しをかなり良くするのでは、と考えます。
今回の総裁選が日本を過去の呪縛から解放し、新たな未来を切り開いてゆく一歩となることを期待しています。

個人的には、国は国として、それとは別に地方からそれぞれの地方個別の戦争体験をもとにして戦後80年の見解を提示し、それをベースにそれぞれの地方がその反省なり経験なりを生かして未来に向けてどのような地域を作ってゆくのかという個別の方針やルールのようなものを議論し、それをもとに2027年の地方自治法公布80年に向けて地方自治の望ましい姿を示してゆき、そこへ向けて2026年の憲法公布80年に向けて起こるであろう憲法改正の議論に、いかにして地方の視点を反映させて行けるか、ということを提示し、それを梃子にして地方分権をすすめてゆくのが良いのではないかと考えています。

その立場から国政を見ると、まずは小選挙区比例代表並立制というあり方が、地方をあまりに細切れにした上、選択肢を狭めているという気がします。小選挙区のために基本的には一つの選挙区から一人しか代表を選ぶことができず、そして惜敗率による復活を考えると野党の中でも最大勢力に票が集まるようになり、地方の多様な意見が表現しづらくなっていると考えるからです。これは中央政界においても明らかに二大政党制に近いものになってゆき、様々な問題が是か非かのデジタル的な判断を求められるようになり、ゆっくり考える、あるいは多様な選択肢を考えるという余裕のある議論ができにくくなっていると考えます。与党である自民党においても、派閥が解体されることで、派閥によってそれなりに個性が出ていたものが、ますます中央集権的な政党になってゆくのでは、という危惧があります。憲法改正の議論が出始めているときに、このような集権的なやり方で押し切ろうという流れは、私には非常にファシズム的な感覚を覚え、少し恐ろしいな、と感じます。

憲法のような大事な問題は、もっとじっくりと議論する必要があると考えます。だから、私は、憲法問題については、国民からの発議がしやすくなるようにし、国民投票の要件を下げることで、議論そして国民投票自体もしやすくするようにし、議論に基づく改正の習慣が根付けば、と考えています。そのような制度論を最優先に考えた上で、改正の内容については、一つには地方自治についてもっときちんと憲法に書き込み、地方の権限を強化し、国の権限を基本的には外交安全保障といった対外的なものに絞る、ということが必要ではないかと考えています。具体的には、現状の国の内政への関与は地方からの権限委譲に基づいてやっているのだ、という形式を整え、地方でできることについては基本的に地方が委譲を取り下げて自分たちでできるようにするというのが良いのでは、と考えています。もう一つには、個人的に大きく気になっている労働の義務という条項を外す、ということです。日本国憲法自体が第二次世界大戦後の共産主義の高まりの中で作られたということもあり、労働というものをどう考えるのか、ということについてしっかりと議論する余裕がなかったのではないかと感じます。労働三法があるとはいえ、憲法が法律に優先することを考えると、労働の義務を根拠にしてスト権の剥奪ということも考えられないことではないと思います。そのような暴挙を許す根拠をなくしておくためにも、憲法という国の制度、権力を縛るべきもので、国民の労働を義務付けるなどという本末転倒をなくしておく必要があると思います。

その上で、2027年の地方自治法80年にどう対応するか、ということで、大きな焦点は、国が外交安全保障に特化するときに、それに対する地方による統制をどのようにするのか、ということになると思います。それに対して、道州制が良いのか、もっと進んで連邦制なのか、あるいはもっと他に可能性はあるのか、様々な議論があると思います。私は基本的には地方自治体(その規模については議論がありましょうが)による外交・安全保障条約機構のようなもので基本方針を条約化してそれを各自治体が批准、人員についても各自治体からの出向という形にすれば、国の負担はほぼ無しで実現できるのではないか、と夢想しています。あとは地方自治の本旨を地方の判断に任せ、地方自治法で定めることをできるだけ小さくする、というのが望ましいのではないかと考えています。

このように、今後数年間は大きな節目が続くので、それに対する方向感を定めるためにも、戦後80年談話について総裁選の段階で議論するということは非常に大きな意味があると考えます。

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