早速大正時代についてみてゆきたい。その前史を追うために、まずは大正天皇がご即位されるまでの事績を追ってみたい。
誕生
明治天皇の唯一の成人した男子である大正天皇の母親は柳原愛子で、明治12(1879)年8月31日の出産時に体調が悪かった彼女はヒステリーを起こし、かつ難産となり、のちに大正天皇となる嘉仁親王は全身に発疹がある虚弱状態で生まれたという。この辺り、真偽関係もわからないし、あるいは愛子の兄で明治維新の時に東海道鎮撫副総督を務めた柳原前光が抱える維新時の秘密が少なからず影響しているのではないかとも感じられるが、維新の時の話は、むしろ大正天皇の伯父に当たる前光の処遇のためにつけられた話が多いように感じるので、ここで深く触れることはしない。
結婚
さて、大正天皇は明治33(1900)年に、九条節子と結婚した。元々は伏見宮禎子女王との結婚が模索され、明治天皇も皇族との結婚を望まれていたとのことだが、結局は九条家からとなった。細かな事情に触れることはしないが、時代背景については、大正時代というものを見るのに重要になってくるのでみてみたい。この結婚問題の推移は、大陸清の情勢に大きな影響を受けていたと言えそう。
西太后
そのころ清では西太后を軸に政治が動いていたと言える。
西太后は清の初期から皇后を輩出していた葉赫那拉氏出身で、その家系は女系によって清を支えていたと言えそう。
葉赫那拉氏