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【Lonely Wikipedia】ユリウス暦

先日暦のことを少し書いたので、それに関わってユリウス暦を少し調べてみた。

ユリウス暦(ユリウスれき、羅: Calendarium Iulianum、伊: Calendario giuliano、英: Julian calendar)は、共和政ローマの最高神祇官・独裁官・執政官ガイウス・ユリウス・カエサルにより紀元前45年1月1日から実施された、1年を365.25日とする太陽暦である。もともとは共和政ローマおよび帝政ローマの暦であるが、キリスト教の多くの宗派が採用し、西ローマ帝国滅亡後もヨーロッパを中心に広く使用された。

ということで、実はユリウス暦によれば、紀元は今の紀元前45年になるという、何とも不思議なことになっている。もっとも、カエサルはその翌年には亡くなっているので、現在の紀元に合わせるのならば、そもそもユリウス暦という言葉自体が少しミスリードであると言える。

ユリウス暦は「紀年法」ではなく、「暦法」である。ユリウス暦が採用されていた時代の紀年法には、4、5世紀頃、アレクサンドリアのキリスト教徒が用いたディオクレティアヌス紀元(皇帝ディオクレティアヌスの即位(284年)を紀元とする)、それを6世紀のローマの神学者ディオニュシウス・エクシグウスが525年頃の著書『復活祭の書』(復活祭暦表)でローマ建国紀元754年をイエス・キリスト生誕元年とするキリスト紀元(いわゆる西暦)がある。キリスト紀元は10世紀頃に一部の国で使われ始め、西ヨーロッパで一般化したのは15世紀以降のことであるという。ユリウス暦における置閏法の成立は、キリスト紀元の考案に先行するものであるが、閏年は偶然にも同紀元が4で割り切れる年と一致しており、グレゴリオ改暦の際にもこの法則が使われている。

ということで、そもそもが紀年法と暦法は別のものとのこと。

紀年法は、元年と1年経過するごとに加算する原則があるのみで、元日は定義しない。これに対し暦法は、月や太陽の運行に従って1か月ごとの日数を定めてから1年の長さと元日を定義する。つまり年月日で暦を表すには紀年法と暦法の両方が必要となる。したがって改元により新しい紀年法を採用した日が必ず元日になるとは限らず、あるいは暦の月日が不連続となることがある。
日本においては、暦法と同様に、紀年法も「○○暦」と呼称されたり、紀年法が暦法の一部と認識されてしまうことも多く、両者が混同されることがある。西暦は、かつて紀年法としては「西洋紀元」「西紀」という語で区別されていたが、やがて混同され、どちらも西暦とよばれている。現在の西暦は、暦法としてはグレゴリオ暦を指すが、紀年法としてはキリスト紀元である。

共和制ローマ時代では、執政官の名前と何年目、という具合に定められていたから、それを暦ができたから、と言って変える必要はなかったのだろう。

ヨーロッパ
古代ローマ帝国では、元号(○○皇帝在位N年)、ローマ建国紀元、インディクティオの3種類がよく用いられていた。その後、4、5世紀頃には、ディオクレティアヌス紀元がキリスト教徒の間で最も広く用いられる紀年法であった。
しかし、西ローマ帝国が消滅した後の西ヨーロッパで、イエス・キリストの生年を元年とするキリスト紀元(西暦)が徐々に用いられるようになり(君主の即位年を基準とする紀年法も並行して用いられた国もあった。)、15世紀以降に一般化して現在に至る。
東ヨーロッパの正教圏では、中世から近代まで10世紀以降の東ローマ帝国で使用された世界創造紀元が使用されていたが、現在は西暦が一般的である。
実質的にはユリウス暦であるが、月名がラテン語からギリシア語に翻訳されており、また1年の開始が9月1日に置かれていた(ちなみに、インディクティオは9月始まりであった)。世界創造紀元元年は西暦に直すと紀元前5509年~5508年にあたり、旧約聖書の『創世記』にある天地創造についての年を逆算して設定された。
この算定に使用されたのは、ヘブライ語聖書ではなく、ギリシア語七十人訳聖書である。ヘブライ語本文に基づく算定と七十人訳に基づく算定では1000年以上の開きが生じる。

東ローマの天地創造以来の世界創造紀元、10世紀にできたということで、キリスト暦を強く意識したものだろう。そして、それはギリシャ語旧約聖書に基づいているということで、ヘブライ語旧約聖書よりも1700年以上古いとのこと。そんなことが、ユダヤ人が正教を保ったロシア帝国を目の敵にして共産革命のターゲットにした理由なのかもしれない。旧約聖書の中でもヘブライ語聖書以外にもっと古い記録を残しているものがある、ということは、旧約聖書がユダヤ人の歴史だ、ということを強く否定するものとなる。

月名
現代日本語では各月は1月~12月の数字で表すことが多いが、古代ローマで使われていたローマ暦ではローマ神話やラテン語の数詞に由来する固有名があり、ユリウス暦でも月の名前はローマ暦のものを踏襲した。紀元前44年から、7月はユリウス・カエサルの名に因んで Julius ( Iulius ) と呼ぶようになり、彼を継いだアウグストゥスが閏年の扱いを修正した際に、その名に因んで8月は Augustus となった。その名称は語形変化を被りながらも現代でも英語・フランス語などのヨーロッパ諸言語にそのまま引き継がれている。
尚、アウグストゥス以降も多くのローマ皇帝が月に自分の名をつけようとし、カリグラは9月を Germanicus 、クラウディウスは3月を Claudius、ネロは4月を Neroneus 。ドミティアヌスは10月を Domitianus と改名した。9月についてはアントニヌス・ピウスが Antoninus と改名したほか、タキトゥスが Tacitus と改名した。11月はピウスの妻の名をとって Faustina となったり Romanus となったりした。コンモドゥスに至っては月に自分の名をつけるだけでなく、12の月全部の名を変更した。順に1月は Amazonius、2月は Invictus、3月は Felix、4月は Pius、5月は Lucius、6月は Aelius、7月は Aurelius、8月は自身の名である Commodus、9月は Augustus、10月は Herculeus、11月は Romanus、12月は Exsuperatorius であった。改名の企てはその皇帝の死とともに廃れ、すぐに元の月名に戻った。ユリウス暦で人名が月の名となって残ったのは、結局7月のJulius(Iulius)と8月の Augustus だけだった。
英語での月名 July は、ユリウス暦を創った共和政ローマ末期の政治家、ユリウス・カエサル (Julius Caesar) からとられた。カエサルは紀元前45年にユリウス暦を採用するのと同時に、7月の名称を「5番目の月」を意味する "Quintilis" から自分の家門名に変更した。なお、8月の英名 August はアウグストゥスにちなんでいる(ギリシャ語で Αύγουστος は8月を表す)。

英語で、というのも変な話なので、一応ラテン語では、Iuliusが Gaio Iulio Caesareに由来している、とのこと。7月がもともと五番目の月だったというのが、私に取っては驚きだった。もともと1月から数字で順番に並んでいたのが、7月と8月にカエサルとアウグストゥスが自分の名前を加えたので、9月以降が2月ずれた、と思っていたのだが、もともと3月が一番目の月だったということ。

紀元前753年(紀元前745年説あり)、最初のローマ暦が古代ローマで採用された。この暦法は、ローマを建国したとされる王ロームルスの名をとり、ロムルス暦と呼ばれる。この暦には29ないし31日からなる月が10個置かれ、現在の3月にあたる月から始まり12月で終わっていた。各月の名称と日数は下表のとおり。年始にあたる Martius が1番目の月であり、4番目の Junius までは神の名前をつけている。5番目から10番目にあたるQuīntīlisからDecemberまでの月名は、ラテン語の数詞5-10(quīnque, sex, septem, octō, novem, decem)に由来し、第5月から第10月を意味する。月の順序と月名との間にずれが生じたのは、後述の紀元前153年の改暦による。1年の長さは304日で、12月30日と3月1日の間に、日付のない日が約61日間続いた。農耕暦だったので、畑仕事のない季節に日付は必要なかったとされる。当時のローマ人は1年の長さが約365日であることを知らなかったため、日付のない日は厳密に61日間ではなく、春めいてきた日に王が新年を宣言するという形をとったと考えられる。
この後も数度、改暦が行われた。最も大きな改暦は紀元前153年1月1日に行われた。 この年から、 年の始まりが3月1日(MartiusのKalendae)ではなく、1月1日(JānuāriusのKalendae) に移った。このとき、月の順序と月名との間にずれが生じた。

とのこと。つまり、もともと10ヶ月と農閑期の約2ヶ月の暦なしのカレンダーだったのを、12ヶ月に変えたことで月の順序と月の名前との間にずれが生じた、ということ。

1 3月 Martius マルティウス 軍神マルスの月 31日
2 4月 Aprīlis アプリーリス 美の女神ウェヌスの月 30日
おそらく、ギリシア語アプロディーテを起源とするエトルリア語 Apru より
3 5月 Māius マーイウス 豊穣の女神マイアの月 31日
4 6月 Jūnius ユーニウス 結婚生活を守護する女神ユーノーの月 30日

最初の4ヶ月の名前は大変興味深い。これは、ローマの歴史にも関わるし、そして西洋文明の基本的な略奪性のようなものも示していそう。細かく見るととても書ききれないので詳しくは書かないが、これに比べれば、睦月、如月・・・という名の何と風情のあることか。

暦はとにかく奥が深い。

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