広島への原爆投下
今年も広島に原爆が投下された8月6日がやってきた。
ということで、悲劇であったことは間違いないが、多少なりとも冷静に事実関係は確認する必要もあるのでは、と考え、Wikipediaの記述から感じられることをメモしておきたい。
まず、ずっと感じていたことだが、朝8時15分の被曝ということで、随分と早いな、という気はする。テニアンから日本までは8時間程度(Wikipediaでは7時間程度とされている)なので、夜中に出たことになる。
ということで、日本時間で言えば0時45分にエノラ・ゲイは離陸しているようだ。翌日の愛知県豊川海軍工廠への空襲では8時間程度かかっているが、それよりも速いというのは爆弾が1発のみで機体重量が軽かったからということか。なお、燃料に関しても、エノラ・ゲイは7,000galで、翌日の豊川空襲のテニアン発のものより100gal少なかったようだ。爆弾を積んでいない機体の方が7,400galと燃料を多く積んでいたというのも解せないが、空中給油ということも視野に入れていたのだろうか。それでも満タンとはほど遠いわけで、全体として、なるべく機体を軽くしてスピードをあげようという感じは受ける。いずれにしても、史上初の原爆投下というのを夜中に離陸させるというのも随分冒険するな、という感じはする。
ということで、原料不足で実験すらできていないものを、いきなり夜中に離陸させ、7時間半もの飛行の末落とすというのはかなりの大冒険であり、そりゃとてもではないが大統領も承認印は押せないだろう、という気もする。もしそうだとすると、第二次世界大戦では満州事変での戦争責任が大きく問われたが、最高司令官の命令なき攻撃ということで、それ以上に重大な戦争犯罪であるとも言えそうだ。あるいは極東軍事法廷においては関東軍の独走で始まったとされる満州事変に焦点を当てることで、天皇の戦争責任を回避した、ということを交換条件にして大統領どころか独断専行で大量殺戮をおこなった軍の処分すらも逃れたということができるのかもしれない。いずれにしても、戦争終了間際のアメリカ軍の統制のなさは、日本軍以上であったということを明確に示すものではないかと言えそうだ。もし失敗して途中で墜落し、太平洋上で核爆発を起こしていたら、一体誰がどう責任を取るつもりだったのだろうか。その無責任な計画という時点で人類に対する罪などという言葉で捉え切れるものではないのではないだろうか。
投下の3分前には攻撃始点に到達し、自動操縦となり、その3分後に自動投下したという。この辺りの検証は後ほど。
これもまた恐るべき記述がある。火薬の詰め込みは投下の前に手作業で行い、そしてその爆薬は、普通の爆弾のように着弾の衝撃で信管が外れて爆発するというようなものではなく、上空で自然爆発(?)するものだと読み取れる。あるいは着弾してから爆発するはずだったのが、思いもよらず先に暴発したということなのか。この詳細はさらに調べる必要があろうが、こんな運任せの爆発で史上初の原爆投下がなされたとすると、特攻隊以上の命懸けの仕事であり、よくもまあ別に落とさなくても勝てそうな戦争でそのような役割を引き受ける兵隊がいたものだ、と、その愛国心というか、まあ特攻隊を狂信的というのならば十分にそれ以上に狂信的な行動に、呆れてしまう。
さて、原爆投下の象徴ともなっているきのこ雲であるが、高さが従来約8,000メートルだったものが、のちに2倍の約16,000メートルに変更されたという。これは写真をもとに、ということだが、爆弾投下後に、エノラ・ゲイは急降下しているはずで、そこから写した写真で眼下にキノコ雲が見えるということは、高さは明らかに9,000メートルよりは低いことになる。にもかかわらず16,000メートルに変更されたというのは、投下後43秒で爆発したとされる爆弾とその爆風の影響への整合性が取れなくなったからでは、と疑われる。写真で見る限り、きのこ雲の高さが8,000メートルであったとしても、その直径が200-300mというのはどうみても小さすぎる。7km離れたところから撮った写真を見ても、少なくとも傘の部分は地上の爆風と同じくらい、つまり2kmくらいの直径はありそうに感じる。慣性の法則から言って、投下した爆弾が飛行機よりも早く前に進んでゆくことは考えづらく、にもかかわらず投下直後に155度の旋回を行い、さらに急降下、という行動がとても正気の沙汰とは思えないのだが、とにかくそれが事実ならば間違いなく爆風に巻き込まれていたと考えて良いのではないだろうか。つまり、仮に飛行機から投下して上空で爆発したのならば、投下した飛行機もそれに巻き込まれていた可能性が非常に高いのでは、という気がするのだ。それを隠すための高さの変更か、あるいはそこまでリスクの高いことをするとは思えないので、むしろ地上に置いた爆弾が爆発したと考えた方が合理的なのではないかと感じる。上空にB-29がいたのはおそらくその通りなのだろうが、それは現場検証(?)のためで、実際の爆撃は行っていなかった可能性もあるのではないだろうか。
ちなみに、翌日の豊川海軍工廠への空襲では100機もの戦闘機の護衛がついたが、こちらには全く護衛がつかなかったというのも不審である。豊川へは戦闘機隊は硫黄島から出ているわけで、重要任務ならばテニアンからすると距離も半分なので連日護衛についてもおかしくないと思うのだが、それもされていない。よって、アメリカ軍にとってこの原爆投下はそれほどの重要任務ではなかったのではないか、という疑いも出てくる。
Wikipediaの記述頼りでまともな文献調査もしていないが、広島への原爆投下についても再検討の余地は十分にあるのではないかと感じた。
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