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コ○ナ禍……色々なひとがいる中で🏃🏃わがままになってはいませんか?
この頃、コ○ナが長くなるに連れ、義理の兄から「そのせいで皆、情緒不安定なんだ」と聞いた☆
わたしは、自分の仕事(調理補助パート)や生活インフラが地元半径1キロの半田舎地帯から出ないで済むところにあり、全くと言ってもいいくらい、世間から離れていても不自由しない生活で済むので、情緒不安定については殆ど気づかなかった。
仕事場も、よんふん。買い物も自転車でごふん。あまり、この頃 この辺から出なかった。
その毎日で、1人同僚が大けがをし、全治1ヶ月の戦線離脱。その後、社内でコ○ナの感染が相次ぎ、職場のローテーションを皆で維持するのが精一杯。あまりなことに周りを見回すこともなく、いつの間にかの世間の変化に気がついたのは、この間の姑の年金の受け取りのときの集まりー姑がお昼をご馳走してくれたーで、近隣の都会での集まりの時の義兄の一言で遅ればせ気がついたときだった。
そういえば、ここの繁華街では、いつもだったらもっとのびのびと、人々が闊歩している。なのに、どこか皆ピリピリしているのだ。
私が、二十歳前の姪っ子に、食堂の待ち合わせベンチに私の席を譲ろうと「未来あるワカモノをだいじにせねば」と、繰り返しふざけ混じりに言ったときだった。次に座っていた十代風の少年が椅子を蹴った。義兄が「なんだよ!」と怒鳴ったが、知らぬ振り。
街は、どこかいつもより皆 神経質な感じがした。
ある脳科学者が以前言っていた。
「これからは、他人のちょっとした事が許せない事が増える」
コ○ナのお籠りのせいなのか、どういう脳のメカニズムかわからないが……(ひとのことを科学で分析するのは私はキライだが)
様々な個体が集まって、狭い庭で活動していれば当然のように普段無いようなぶつかりも起こる。
人間も、様々な個性があるのだから、
当然のように、いつもよりぶつかるだろう。
ヒトは、勝手なもので、
自分が充分満たされているときは、他人のシアワセも祈れるのに、
自分が満たされなくなってきたり、
不満が出てくると、他人のちょっとしたしたことも見逃せなくなる。
わたしも、そうだった……
私は、ヒトの分析もじつは、ついついやってしまうタイプで、
道を歩きながらでもやってしまう。
その延長で、占いもやって、
さまざまなタイプがいると感じている。
愉しいのがすきで、人とぶつかるのがいやなタイプ。
理論的だけど、そのせいで人とぶつかるタイプ。
心が広く、穏やかなタイプ。
成績がわるいと言われるが、じつは生活面でアタマのいい人。
やさしいが、傷つきやすい人。
深慮黙考型。
即断即決型。
癒やし系。
賢いが癒やされないかもタイプ。
皆を引っ張ってく系。
常識的。
一見厳しそうで優しい人。
優しそうでそうでない人。
よく付き合えば、じつは頼もしい友になりそうな人。
道を歩いていても観察している私がいる。
けど、自粛生活が長引くせいで、
外へ出て息抜きができないせいか、
いつもなら、ぶつからないでもいい人たちがぶつかっている。
以前は、ストレスの発散も多様にできた。
まだ、明るい未来がみられた。
明るい話題もおおく、
ニンゲン的におおらかな人も多かった気がする。
なのに、
なのに、
マスクをしなきゃならない、
アルコールでよく消毒をしなきゃならない、
咳の仕方、
うがい、手洗い、
そんなことのちいさな繰り返しだろうか……
ニンゲンが動物であることのおおらかさも欠けてきてないか……
ニンゲンのちいさな主義の違い、
ヒトとしての多様さ、
ヌケていてもいいじゃない、……
ヒトとのちいさな違いも見逃さず、
自分との違いも見逃さず、
目に付くようになったのは、
ひとと会わないから…?
自分の家の中の永くなった「お籠り生活」のせい………?
エゴが拡大して、摩擦がおおきくなってる……
そんな、説明を 昔見たが、
人慣れしなくなって、わがままになってない?
そういう事でしょ?
人間らしいやさしさ、
ふんわりしたやさしさ、
ソフトなものがほしい……
と、いうわけ。
画像は、たけさんの
Today's selection #832
です。ありがとうございます。