
【創作小説】漂ってるあのこはボクの恋人
ボクの恋人は、いつも空間を漂っているような人だった。
いつも、教室のひだまりで、うっとりとぼんやりと、揺れる薄緑のカーテンの影に揺れながら、ただ、ぼうっと外を眺めているような人だった。
他のクラスの友だちと話す風でもなく、暇そうでもなく、それでも満たされたように微笑んていた。
彼女の周りは、いつもそれでも暖かな雰囲気だった。
みんな、周りで彼女を気にしながらも、気づきながらも、敢えて何も話し掛けない。
彼女と同じ世界の言葉を知らない。いや、同じ国の言葉は話すのだけど、同じ国の言葉は、話すのだけれど、彼女と同じ世界の言葉は知らなかった。
彼女は、他の子と違う。
テレビを観ない、マンガを観ない、ゲームをやらない。
アイドルの名前も、お気に入りのマンガのキャラクターの名前も、ゲームの種類もなく、推しなんてものもまったく無い。
ただ、ひたすら、彼女の見ている世界を、周りは知らなかった。
彼女は、ただ、そのへんの変わり無い草を愛していた。木を愛していた。森を、自然を愛していた。そして、音楽だけは、よく聴いていた。アイドルは知らなくても、懐かしの昭和の音楽だけは、よく知っていたようだった。それで、クラスの仲間とかろうじて繋がりを持てた。時々、カラオケに行った。それ以外は……
彼女は、クラスの中で、休み時間になると、ただ、ぼんやりと窓から外を眺め、揺れるカーテンの陰で、壁の華になっているのだった。
それでも、周りのクラスメイトたちは、彼女の醸し出す雰囲気が好きで、彼女を、ちゃんと許容していた。
彼女のことが好きだった。
彼女の雰囲気、そしてその醸し出す愛らしい人柄が。
彼女と時々、カラオケなどに遊びに行く時、彼女の性質の良さが出てくるのだった。誠実で、思い遣りがあって、素直で暖かい。ふんわりした柔らかい性格だった。
温和で、草原で草をはみはみしているような、白ヤギのような、牧牛のような、そんな、やさしい目で、教室にいると、窓から階下を見下ろす、細い茶色がかった黒髪の、色白の、透き通った色白の、やさしげな瞳の彼女の雰囲気が、周りに来る皆んなは好きで、傍にいると憩おうのだった。
そんな恩恵にあずかれるから、周りの皆んなは、彼女を大事にこそすれ、決して、嫌がらせをしたり、排斥するなどしたりはしなかった。
まるで、陽だまりの憩おう白いネコを愛でるように、そのまま彼女をそっとして、周りで暖かい気持ちを送るのだった。彼女もそれが、分かっているのだった。そのはずだった。彼女は、寂しそうな顔ひとつしなかった。クラスの者も、その彼女も、それでしあわせなのだ、と、周りもボクも、ずっと思っていた。
ある日、ボクは、学校からひける時、彼女を追い掛けた。その時、ボクは、勝手に彼女の恋人なのだと思っていた。
以前、告白した時、彼女は、何も云わず、じーっとボクを見ていた。そして、俯き、
「うん、いいよ」
と、ひとこと云った。
ボクは、その時から、彼氏なのだ。しかし、デートらしきことも、誕生日さえも、プレゼントも貰えない。本当に彼女が、ボクを彼氏と認めたかは疑問だった。彼女は、こわくて「うん、いいよ」と、云っただけかもしれなかった。ちゃんと、放課後の教室の片隅から帰して欲しくて「うん、いいよ」とだけ、云ったのかもしれなかった。けれど、時々は、彼女は、ボクに微笑みかけるのだから。ボクは、確かに「好き」とも云われぬまま、微かな望みを繋げていた。
ある日の帰り道だった。
雨上がりの緑の映える放課後の昇降口で、靴を揃え、靴を履こうとする彼女に出逢った。ボクは、帰りを一緒に帰ることをすすんで申し込んだ。
「うん、いいよ」
雨上がりの帰り道は、きらきらと水滴がひかり落ちる道ほどだった。両脇に生え登る街路樹の若葉という若葉から、緑を反射させた水の粒が落ちてきて、ダイヤモンドやエメラルドのようにきらきらと見えるのだった。
夏の衣替えの始まった、学校の制服を半袖に替え始めた彼女の、グレーの胸あてスカートと、胸の赤と青のスカーフ、そして、腕の上腕まで覗かれた白い腕の、ふんわりした彼女の姿を、ボクは、目に焼き付けようとした。この時期の、この季節の、彼女を憶えておきたい。なるべく永く、なるべく永遠に、なるべく鮮明に。
ボクは、彼女と、やはり共通の話題がそんなにあるでもなかったが、それでも、何かを探して、同じ季節を過ごそうとしていた。
彼女の好きな歌、好きな季節、彼女の好きな何かを追い掛けて探って質問攻めにしていた。
彼女は、そんな時黙りこくって、下を向いて歩いていた。困っているようでも、照れくさがっているようでもあった。
緑の葉が、揺れていた。
近くの大きな木から、大きな雨の雫が垂れた。
ある日の夜中。宵闇を破って、ボクは、走り続けていた。遠くで朱いサイレンが鳴った。けたたましいサイレンの中でボクは、悟った。
誰かが飛び降りた。
高い、高い、高架下だ。
電車と電車の交差する、線路の中で、彼女の赤と青のスカーフが、深紅に穢れて揺れていた。引き裂かれて揺れていた。
のちのち、クラスの女のコが、葬式の列で泣いていた。
(どうして何にも云わないで逝っちゃうの? これでも、大事に思っていたんだよ? 話さなくても、大事だった。暖かな空気が好きだった。あのコも、私たちの暖かい気持ち、分かってると思っていたのに)
ボクの目にも彼女は、満たされているように視えていた。
道を歩く時も、何処でも、教室の中さえも、彼女の周りの人は、彼女をとても尊いと思っていて、大事な気持ちの、何ていうかオーラを伝えていたんだ。彼女の、物言わぬ、懐かしいような暖かい空気が好きだったから。
皆んな、彼女が好きだった。優しい面立ち、柔らかな懐かしい洗剤の匂い、そして、……、彼女を見ていると、何故か、皆んな、過去の懐かしい風景を視るようだったんだ。
懐かしい、皆んながお互いを信じてた、あの懐かしい頃を……
「彼女は、あれでも、ほんとうは淋しかったのかもしれないね。声を掛ければよかった。もっと、早くにね」
クラスの女のコの誰かが云った。
花の祭壇の、白い菊や、蘭の花に囲まれた祭壇の、彼女は、ボクらの知ってるような暖かい笑顔でなく、ちょっと淋しげな陰をたたえて、憂いをふくんだ微笑が少し泣いているようにも見えていた。空に雲が白く、ふんわりと浮かんでいた。漂っていた。
おわり
©️2025.2.22.山田えみこ