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調理補助とオールマイティー☆ミズさん
ミズさんがいた頃は、ミズさんがどれ程頑張っていたか、価値があったかわからなかった。
ただ、本人は頑張っている……それだけの認識……
ミズさんが辞めて何年か経ったが、その価値がわかる。
ミズさんは、事務員兼、調理士兼、栄養士と3役も買っていた。
私も、今は亡きOさん始め、職場の皆はミズさんがオーバーワークだと感じていたし、それで物を投げるように置くので嫌だった。 あと、当時流行っていた言葉の「やらしい」「やらしい」(ずるいとか計算高いの意)をミズさんが口癖にしていたのでキライだった。
ミズさんの姓名判断をすると画数の一部が22画で、何をやってもダメ……という散々なものだった。この画数の人は、努力をしても海のアワだった。
それを知ってからは、私は少しは同情したが、
なんとなく、ミズさんは私のキライなタイプだった。
ミズさんは、ひょろりとしていて、男なのに髪を切らずに1つに縛り、(まあ、それは床屋に行く暇がなかったからなのだろうけど…)
私が結構な歳のオバサンだと思ってたから、控え室で一緒に着替えようとしてズボンを脱いだのだ…!
そして それはともかく、私が2番目にパートになったK社の社員で
K社が、我がH病院事業所に縄張りを拡げた頃、走り出しの事業所をチーフのサトさんと共に切り盛りした調理士兼、事務員兼、栄養士だった。
最初の頃は、H病院の食事提供のノウハウは、前社のN社からサトさん、ミズさんしか受け継いでいなく、
サトチーフは、休みなく2か月間を働き通した。
ミズさんは、駐車場の車に泊まり込んで、
なんとか、社員3名とマサキさんとで頑張り通した。
パート達は、慣れない仕事の流れにあたふたしたが、
できない私は、相当シゴかれたが何とかついていった。
3ヶ月が過ぎた頃、
ミズさんの頑張りに気が付いた。
私は、生意気にもチーフの清水さん(サトチーフの後任)に
「ミズさん、よくやってますよ」
なんて、発言をしたが、
実際、頑張って、人一倍頑張って働いていた。
パートが仕事しやすいように、
おかゆのフタには、お玉を直接乗せとく事がなかった。(フタを洗うときお玉のおかゆがフタに乾いてこびり付いて洗いにくい為)
麦茶のヤカンにも、注ぎやすいように細工をし、
味噌汁の具を盛り付けやすいように、「玉麩」などをよくメニューに取り入れていた。
盛り付けも、ほぼいつも食べやすい適量。
で、全員が仕事しやすいように無茶なメニューは作らない。
それでいて、季節のもの栄養価の高いものを取り入れ、
重複する食材もなく、
感心するくらいの食事提供だった。
賞味期限切れを出すこともなく、
まるで、スーパーマンのようだった。
なのに理解されないのだ。
可哀想なくらい……
私が、サービス残業をしてるのに気付いて、
ミズさんは、その時間まできっちり給料に反映させていた。
私が子供や学生みたいにフザケても、
付き合ってフザケてくれるのだ……
すごくいい人だったのに………
得意先である 食事を提供する先の、病院側に嫌われて、
トバされてしまったらしい
常々、会社に不満を持っていたミズさんは、
「1番困るときに、1番困る形で辞めてやる!」と、公言していたが、(コロナが流行りだした頃、我が事業所では、ぎりぎりの人員から更に2人の欠員が出て皆ボロボロの目にあった)
あろうことか、新しい栄養士兼事務員さんに、私のことを「人柄はいいが皆に嫌われている」と、爆弾を落としていった。
それで、暫く新しく来た栄養士さんには、私は聞こえるように「嫌われてるくせに」と云われて、苦しまされたが……
さんざん、よくして貰って感謝もしない私が悪かったのだ………
ミズさんは、他所に行ってしまったというが……
どこへ行ってしまったのだろう………
おわり
画像は、Takeさんの
Today's selection #285 です🍀
ありがとうございます⭐