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やりたいではなく、やっておいた方がいいという言い訳

自分のことアマちゃんだなと思うのです。
でも違和感を感じてしまうことをやめていくと
すっかりポワポワのあまちゃんに戻ってきてしまいました。
こうなるのがこわくて、社会に出てたくさんの武器を手に入れてきたのに
それで戦うことはできても、わたしは本当は戦いたくなかったのです。

そこで今は戦わない働き方を模索しているのですが
やっておいた方ががいい!自分のためになる!経験になるし!と
頭で自分に言い聞かせようとしている自分がまだまだ出てくるのです。

やりたいというより、やっといた方がいいという声。

それはなんのために?
それをつかまないことで損したくないのです。
それに、そいつは俗にいうチャンスみたいな顔をして現れて、
断る明確な理由もなかったりするので判断に困ります。
これは頭の声なのか、心の声なのかよくわからなくなるのですが
本当は初めからわかっていたりします。
要は本音を認めるのが怖いのです。
こんないい話、もうこないかもよ?!
てかその違和感って当たってるの?!
逃げてるだけじゃないの?!
てかこんなにものんびりしてていいの?!
こんなんじゃ生きていけないよ!
ていうか生きてる意味ないよ!

と頭の声がわたしを殴り続けます。
生きてる意味なんてそもそもないような気もしながら、
もうすでにあるような気もします。

そうやって何もなさない自分にたまに耐えきれなくなるのですが、そういう時はやりたいこともストップしているのでしょう。
そっちをさっさとやれという話です。
しかしそれは自分にとってはものすんごく怖いもんだから、慣れ親しんだものでそのスペースを埋めようとするわけです。
それこそ自分自身からの逃げ。
そこから逃げ続けると人生はより複雑になってしまいます。

どうしてわたしたちはうまれたのでしょう。

わたしは自分を愛するためだと思う。
人生をたのしむためだと思う。
みんな自分のこと大切だよね。大好きだよね。
何もなさなくて生きてる意味なんてあるのかって声がするんだけど
どうしてそう思ったんだろう。
もっと愛させたいからだよね。
認めてほしいからだよね。
それはわたしがわたしに伝えたい言葉でした。
わたしは誰でもないわたし自身に、愛されたい、認めて欲しいと、いつだって切ないほどに思っているのです。

わたしたちは人生を通して
いったいどれだけ自分のことを愛することができるだろう。
いったいどれだけ自分を許すことができるだろう。

こんなポワポワなあまちゃんで生きていけるのかなぁと思いながら
生まれたての小鹿のように足をブルブル震わせながら
それでもやっぱりもう一度新たな荒野に出てみたいと思うのです。

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