不平等な世界
長年生きてくると、世界が不平等であることがわかります。
わかっているはずなのに、平等にすがりつく。
だから、不満が強くなるのですね。
自分が不利な立場であるからこそ、不平等なことに対して怒り、悲しみ、そして、従わざるを得なくなります。
だから、不平等な世界でも不満をなくして生きていくためには、自分が有利な立場になるしかないのです。
しかし、世界をみたらどうでしょうか。
みんなが平等な世界を望んでいるはずなのに、不平等な世界がなんと多いことか。
パレートの基準を知っていますか?
経済学でよく使われる分配の基準のことです。
ある分配によって誰もが現状より良い状態を実現できるとき、パレートが最適である、ということになります。
たとえば、政府が国民全体にお金を配るとします。そうすると、国民全体が幸せになるので、パレートは最適であると判断されます。
みんながお金をもらえるから、みんなが喜びますよね?
でも、もし、その分配金が人によって違ったらどうでしょうか。
Aさんは1円もらえ、Bさんは1000円、cさんは10000円。
あれ?おかしいですね。みんながプラスになっているのだから、喜ぶべきなのに、これでは不平等だと政府に文句が飛んできそうです。
このように、パレートが最適であっても、人は他者と自分の利益のバランスを重視するので、みんなが幸せな気持ちにはなれないのですね。
では、先ほどの例と同じですが、下記の文言が加えられていたらどうでしょうか。
年収が2000万以上の人には1円、年収が800万以上の人には1000円、年収が800万円以下の人には10000円を配ります。
この文言が入ることで、納得する人が増えたのではないでしょうか。
これを手続き的公正といいます。
同じ結果でも、説明があるとないとでは、受け止め方が違うということですね。つまり、人は結果だけではなく、そこまでの過程も大切にするということがわかります。
この手続き的公正があるとないとでは、受け止め方が全然違います。
この手続き的公正がしっかりなされていないことが原因で、不満度がMAXまで跳ね上がるのですね。
コミュニケーション不足が不満度をMAXまで引き上げるわけですから、何事にも詳細な説明を心掛けたいものです。
不平等な世界は変わらないにしても、不利な立場な人が少しでも納得でき、不平等感が減少したように思えれば、不満も小さくなるのではないでしょうか。