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学校のテストの点数が全てではない

以前、私は教師をしていたため、時々、中高生のお子さんを持つ方から、「うちの子は、全然勉強ができない」というお悩みを相談されることがある。

よく聞くと、「テストの時、親が期待した以上の点数がとれない」ということで、「うちの子は勉強が出来ない」と解釈していらっしゃる様子。

昭和時代に生まれ育った人たちは、

テストの点数が低い=勉強ができない=頭が悪い

という認識の人が多い。周りもそういう人ばかりだから、これが当たり前だと思っている。そのため、テストの点数がとれないと、それだけで「人生の落伍者」だと決めつけて、「うちの子は頭が悪い」と思い込み、悩んでしまうらしい。

確かに昔の価値観だと、「試験結果が全て」の一辺倒なので、そう思い込んでしまうのは仕方が無いのかもしれない。

でも、今は、たとえ「テストの点数が非常に良くて、偏差値の高い高校や大学に進学した」としても、それが【人生の成功】とは決して言えない時代だ。

昔は「厳しい受験勉強を勝ち抜く」というスタイルを皆が目指した時代だったけど、今は少子化で大学全入時代だ。試験も多様化しているし、門戸は昔よりはウンと広がっている。更に、日本を飛び出して他国の学校へ行く子も増えているし、今は、家に居ながらインターネットを通して世界中の人々から自由に学ぶこともできる。学習に関しては、「地域の学校が、知識を得るための唯一の場所」という状況は、今や大きく変わりつつある。

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更に、一昔前まで言われていた「学校神話」も、今は徐々に崩壊しつつあると思う。「学校さえ行っていれば、何とかなる」という思い込みも、もう通用しない時代になってきた。

ちなみに、世間的に良い高校・良い大学と言われる学校に入ったものの、勉強以外のところで大きな問題を抱えてつまずき、途中で行き詰って人生の迷子になった人を、私は過去に何人か見ている。そういう場合、「自分は本当は何が好きで、何がしたいのか?」がサッパリ分からないまま、自分というものを知らないまま、大人が決めた通りにボンヤリと生きてきた人に多いように思う。

ずっと親に逆らえずに良い子で生きてきた人が、途中で「あれ?」と気がついて自我に目覚めたものの、その後、自分でどうやって生きていけばいいのかわらなくなり、社会体験の不足から不安ばかりが募り、やがて情緒不安定へと陥っていくパターン・・・。

これを機に「自分はどう生きたいのか?」を見つめ直して、自分の人生を生き直していくと良いのだけど、できたら、大人になって挫折してから目覚めてそうするより、子供のうちに「自分は何が好きで、何をしたいのか?」をちゃんと見つけて知っておくこと・・・。これが大切だと思う。

その手助けをしてあげるのが、親や先生や周囲の大人達の役目だと思うし、「大人達の生き方」を見せてあげることで、子供達に「自分の人生」について考えさせる機会を与えるのも、大事な使命だ。

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学歴や収入の高さ、見栄えや肩書きの良さ・・・等だけでは、その人の「真の幸福度」は決められない。

昔のように、良い学校を出て安定した職に就けば、あとは薔薇色の人生・順風満帆の生活が待っている・・・なんて保証は全く無い時代なのだ。

それよりも、自分はどう生きたいのか?何をしたいのか?どんなことが喜びなのか?・・・を素直に知ろうとすること、そして、それを明るく追い求めて生きて行くこと。これが本当の幸せであり、真の成功ではないか・・・と私は思う。

大工になりたいという夢があるのなら、大工になるべきだと思うし、農業をしたいと思うのなら、農業をするといい。世界を飛び回る生き方をしたいのなら、そうすべきだし、地元でしっかり根を下ろして生きていく人生を送りたいのなら、そうすることだ。

親や周囲の大人たちが、昔の古い価値観にのっとって「こうしなさい」「ああすべき」と子や孫の人生に口出ししたとしても、そんな助言は今はあまり当てにならない。むしろ老害になる。

ちなみに、親の言う通りに従順に従って生きてきた人で、「今は最高に幸せ」なんて人は、私の周囲で今まで誰一人として見たことがない。大抵の場合は、親を恨み、自分の人生を憐れみ、「自由に生きられなかった」という後悔を抱えている。50、60歳になっても、いつまでも親に対して恨み辛みのくすぶった感情を煮えたぎらせながら生きている人を、私はたくさん知っている。

親の言うとおりにして、後々幸せになるどころか、みんな苦しんでいる人ばかり。

だから、親の言いなりにはならないこと。大人の言うことに黙って従わないこと。どんなに些細なことでも、ちゃんと自分の意思で決める。自分の人生は自分の判断で決めていく。親のアドバイスをもらっても、最終的な決断は自分が下す。自分が決めたことに対して、自分が責任を持つ。人のせいにしない。そういう心の強さと覚悟が必要だと私は思う。

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話を戻して・・・。

先述の「テスト点数が低い」=「頭が悪い」という親たちの感覚だけど、この考え方は大きな間違いである。

テストで高得点がとれる子達は、単に「テストの点数を取る」という能力が人より長けていて、テストが得意・・・・ということだと私は考えている。別に特別視する必要は無く、「このスポーツが好き」「人より秀でた特技がある」「趣味に没頭している」というのと同じレベルのことだと思うべきだ。

彼らは「テスト点数を取る」ためのコツを知っているから、そのコツを使ってテスト勉強をしているのだ。もともとテストは嫌いではなく、どちらかといえば好きな部類に入るだろう。だから、それで無理なく取り組めるし、点数がとれるから、それなりに楽しさも味わっている。

でも、本当にそれだけのことなので、テストの点数だけでその子の「頭の良さ」を測り、良し悪しを決めつけるのは違うと思う。

学校の定期テストに出題する内容というのは、学校の授業で教えたこと&ものを、ちゃんと覚えているか?理解できているか?と確認するためのもので、しかも、今の試験スタイルは、昔ながらの方法で古いやり方でもある。

特に、定期テストは「指導したことを、どこまでマスターしているか」を測るだけのものであり、要は指導要録に記録するために必要でやっていることだ。

ペーパーテストの場合、問題文を読んで「何が問われているか」を理解する→「答え」に該当するものを脳の中にある記憶庫から探しだしピックアップする→記述する・・・ということを決められた時間内に完了させるのが、今の学校の試験のスタイルである。この一連の作業の流れが、他の子達よりも、より早く正確にミス無く出来ると、高得点を取ることができる・・・という仕組みだ。

だから、そんなチマチマした細かいことにエネルギーを費やすことが苦手な子や、視覚からの情報の認知が苦手な子、「読む」「書く」ことが苦手な子、意識が散漫になりやすい子は、当然、点数がとりにくく、テストに対して苦手意識を持ちやすい。

また、脳の発達には個人差があり、早熟な子は、幼い頃から器用になんでもこなして自分の能力を発揮するけど、中には遅咲きの子もいて、思春期以降に学習欲が出てくる子もいる。あるいは、子供時代は学ぶことに全く興味が持てなかったけど、成人して社会人になってから「学ぶ楽しみ」に目覚めてどんどん知識を得ていき、素晴しい能力を発揮する・・・というパターンもある。

だから、まだ子供が小さいうちから周囲の子達と自分の子を比べて、「うちの子はダメだ」と悪く思わないでほしいなぁと思う。

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大切なのは、我が子を、他の子供達と比較する「相対評価」ではなく、その子だけを観察する「絶対評価」で見ていくこと。その子の個性や特徴を見ながら、その子の興味関心を上手に引き出し、それに取り組ませることを通して「学ぶ楽しみ」へと繋げていくということ。

そして、もう一つ。子供の興味関心を引き出す場面で、絶対に親が誘導することがないように・・・。親のエゴの押しつけにならないように自制することが必要。

子供は個々に「好きなもの」「やりたいこと」「興味があるもの」を持って生まれてきている。それが、親の意にそぐわないものであっても、それを子供が求めているのなら、ちゃんと尊重して認めてあげることだ。

蛙や虫が好きな子なら、蛙や虫にとことん夢中にさせてあげることだし、機械が好きな子には、とことん機械をいじらせてあげること。

紅茶や珈琲の淹れ方に興味がある子には、極めるまでとことんやらせてあげると良いし、絵を描くことが好きな子なら、絵を描く時間を保証してあげてほしい。料理が好きな子には、家のご飯づくりをさせてあげてほしい。

その方が、単に机に向かわせて勉強させるよりも効果的に、脳の発達を促し、知的部分を成長させることができるからだ。

また、たまに「勉強がすごく好き」という子もいる。そういう子には、とことん勉強をさせてあげてほしい。

(私の同級生で「定期テストで高点数を取るのが楽しくて面白い」という子がいて、本当に楽しそうに勉強していて、テストになると生き生きしていた。これも個性。「歌」や「お絵かき」や「スポーツ」と同じポジションに、その子の場合は「勉強」があるということ。ただそれだけ。)

でも、大抵は学校の勉強以外のことに興味や関心を持つ子がほとんどだと思う。

そうなると、テストの点数は、むしろ「捨てる」くらいの気持ちが必要だ。

ここは親の覚悟が問われる場面である。世間体を気にする意識や古い価値観の刷り込みが強い人は、「テストの点数が低い」という状況を許している現実に、かなりの葛藤を覚えるだろうと思う。でも、ここは自分の脳に刷り込まれた「毒」をデトックスするような感覚で、辛抱して耐えていくしか無い。むしろ、これを機に自分の価値観を大きく転換させるつもりで、プラスに受け止め取り組むことだ。

こうして、自分の中にある「親のエゴ」と闘いながら、テストの点数より、今、子供が興味を持っていることに、とことん集中させて没頭させるような環境を与えてあげること・子供の好きなもの&ことを尊重し、夢中になってやる時間と場所を確保してあげることである。

◇◇◇

元教師の私がこんなことを言うのは問題かもしれないけど(汗)、点数を採る能力を高めることを「学力をつける」と見なしていた昔の教育観は、もう古い・・・と私は感じている。

今の子達は、昔と違って、天性の能力や才能を持っている子が本当に多い。

だから、子供を、昔の古い価値観で縛り付けて小さな枠の中に収めようとしたり、親のエゴで子供の意欲や生きるエネルギーを削ぐようなことは絶対にしてはいけない。今後は、規格通りの同じ型・同じ思考に揃うように子供たちをコントロールしていくような教育ではなく、人とは違う個性や突出した能力をありのまま認めて尊重し、どんどん認めて伸ばしてあげること・・・これが必要である。

もちろん、人として基本的な部分(道徳観や倫理観)はキチンと守り育てながらも、伸ばして自信をつけさせた力を、社会で生き生きと発揮できるようしていくことが、これからの教育だと思う。

◇◇◇

テストの点数では測りきれない部分を、今後はもっと大事にすべきである。

そういう意味も込めて、最近の私は、子供が勉強しないと嘆いている親御さんに、「学校のテストの点数に、そこまでこだわる必要は無いよ」と話している。

学校が全てではない。学校以外の世界にも目を向けて、いろんな世界があること&様々な価値観や文化があることを親子共々もっと知るべきだ。

親自身も、もっと視野を広げて、自分の世界観を広げることである。昔の自分の体験に基づいて世界を語るのではなく、今の世界の様子を客観的に視た上で、もっと大きな感覚で物事をとらえていくことだと思う。

そのためには、学校のテストの点数だけで、自分の子供の善し悪しをチェックしようとする癖を手放すこと。

大変だけど、それを今はしなくてはいけない時だと思う。

◇◇◇

学校は、社会の中の極一部分でしかない。

学校の点数では測りきれない「我が子の良さ」を、親自身がまずは見つけてあげて、認めてあげること。

それが一番大事なことであり、まさに「教育の原点」だと私は思っている。

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Emiko(シモハタエミコ)
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