自分を癒やすためには、もう自分を傷つけないことです。つまり「人と比べない」

ついつい他人と自分を比較して、ドンと落ち込んでいじけたり、優越感に浸って気が大きくなったり・・・。そんなマウントを心の中で繰り広げてしまう人が多いかもしれません。

特に、昔の古い価値観で生きている人ほど、人と自分を比べて一喜一憂する癖があるんじゃないかと思います。

でも、セルフ・ヒーリングをしていくなかで、「自分への癒やし」を邪魔し、ヒーリングの一番の抵抗となるのが、この「他人と自分を比較する癖」なのです。

今回は、「人と比べない」というお話をしたいと思います。

「相対評価」と「絶対評価」

いきなりですが、皆さんは「相対評価」と「絶対評価」という言葉、聞いたことがありますか?

これは、学校や職場など集団生活の場で、人を評価するときに用いられる方法です。

以前、私が教師をしていた頃、ちょうど生徒の評価方法が「相対評価」から「絶対評価」へと移行する時期で、その当時、評価方法に関する研修がたくさん行われました。

ちなみに「相対評価」と「絶対評価」について、文科省のホームページでは、このような説明がなされてあります。

Q 子どもの評価が「相対評価」から「絶対評価」に変わったと聞きましたが、どう変わったのですか、また、その理由は何ですか。
A 新学習指導要領においては、基礎的・基本的な内容を確実に身に付けさせ、自ら学び自ら考える力などの「生きる力」を育成することを重視していることから、評価についても、学習指導要領に示す目標に照らしてその実現状況を見る評価を一層重視することが重要となります。このため、指導要録においても、これまでの考え方を更に発展させ、従来から「目標に準拠した評価」による「観点別学習状況の評価」に加え、「評定」(各教科の学習状況を総括的に評価するもの)についても、「集団に準拠した評価」(いわゆる相対評価)から、「目標に準拠した評価」(いわゆる絶対評価)に改めたところです。
 その主な理由は以下のとおりです。 (以下略) 

Q 「目標に準拠した評価」「集団に準拠した評価」「個人内評価」について、それぞれどのようなものか教えてください。
A 「目標に準拠した評価」(いわゆる絶対評価)は、学習指導要領に示す目標がどの程度実現したか、その実現状況を見る評価のことを指します。一方、「集団に準拠した評価」(いわゆる「相対評価」)は、学年や学級などの集団においてどのような位置にあるかを見る評価のことを指します。また、「個人内評価」は、児童生徒ごとのよい点や可能性、進歩の状況などを積極的に評価しようとするものです。
 各学校においては、目標に準拠した評価を一層重視するとともに、個人内評価を工夫することが求められます。

文面が堅苦しくて難しく感じるかもしれませんが、要は、

【相対評価】学級や学年など「集団の中で自分はどの位置にいるか」を見るもの・・・他人との比較

【絶対評価】自分の課題をどの程度まで実現できたかを見る・・・他人とは比較しない。自分の達成度だけにフォーカスする。

・・・ということです。

【相対評価】だと、例えば非常に優秀な子でも、その集団全体が優秀な子達の集まりだと、高評価がもらえないことがあります。95点を取っても、その集団に属する他の子達が100点だと、五段階評価で「1」になることもあるのです。でも、これが全国区での相対評価になると「全国の同学年の中で自分は何位なのか?」が分かります。それがそのまま受験に生かされる・・・という訳です。先生も画一的に生徒の成績を管理できるので、とても楽です。

その一方、【絶対評価】だと、「私は〇〇が出来るようになりたい」という目標を掲げたとき、「その目標の何%が達成できたか?」で成績をつけます。だから個々によって基準はバラバラです。90点で「すごーい!私、メッチャ頑張ったわ~」と満足な子もいれば、「これは絶対に100点を取りたい」と取り組む子も居ます。だからバラバラ。他者と比べようがありません。これは、客観的に自分の特徴や能力を正しく理解している上で、自分の中に確固たる信念や目的意識【私はこれが出来るようになりたい。これを学んで習得したい。こうなりたい・・・等】がないと、なかなか難しいものです。

【相対評価】の場合は、自分のことがよく分かっていなくても、数字が自分のレベルを教えてれるので楽チンですが、【絶対評価】だと、いろんな意味で自分をキチンと分かっていないと、適正に使いこなせないです。

だから、【相対評価】から【絶対評価】に教育界が大きく舵を切ったと言うことは、主体的に学習に取り組む生徒・依存から自立へ向かっていく生徒を育てていく・・・、そんな覚悟の表れでもあったのです。

昭和世代は「相対評価」の世界を生きてきた

ちなみに、昭和世代の私たちは、ずっと【相対評価】の世界を生きてきました。

その最たるものが、かつて「受験戦争」と呼ばれたアレ・・・です。テストの結果から偏差値が叩き出され、集団の中での「自分の立ち位置」で自分の価値が評価され、相対評価の結果によって将来の進路が決められていく・・・というものです。

当時は、学校で学ばされる内容も、テストで求められることも、「どれだけ脳に知識を詰め込めたか」「どれだけ早く計算処理ができるか」「どれだけ的確に記憶したことをアウトプットできるか」ばかりでしたよね。

とにかく暗記暗記・・・。暗記することも大事なのですが、詰め込むことが主体で、昔は、表現力を育てる部分は蔑ろにされてきました。ですので、知識のインプットとアウトプットが抜群に速く多量にできる人が「頭のいい人」と言われて勝ち組となり、これらが苦手な人は「勉強ができない人」「ダメな人」と言われて負け組に・・・。テストの点数を競うことが「勉強」だと皆が信じていた・・・そんな時代でした。

それが「ゆとり教育」の導入によって、それまでの「相対評価」ではなく「絶対評価」へと、評価の方法も大きく舵を切っていきました。

ですので、私たち昭和世代の人たちが過去に体験してきた「学校教育」と、今の若い世代の子達が体験してきた「学校教育」は、内容も質も大きく異なっています。

知識の詰め込み型から、自己表現力を育てる型へ・・・。そんな風に教育が大きく変化していったのが平成という時代でした。

(私は平成時代の上半期に教師をしていましたが、従来の「読み取り」重視の授業から少しずつ離れていき、「書く」「話す」の力を育てる授業もたくさん仕組んで実践しました。手応えをたくさん感じて楽しかったです。今となっては懐かしい思い出です。)

集団の中での「自分の位置づけ」に縛られていると・・・

私たち昭和世代は、ずっと長い間、相対評価の洗礼を受けてきたので、感覚的に「相対評価(集団の中での位置を見る)的な物事の見方や考え方」が刷り込まれています。

その感覚で、自己評価したり、人をジャッジしてしまったり、家族や周囲の人に対して自分の意見や気持ちだと言いながら「相対的な価値観」を一方的に押しつける・・・なんてことも多々あります。

あるいは、集団の中での「自分の立ち位置」をすぐに測る癖が出てしまい、他人と自分を比較して落ち込むこともあります。

でも、「絶対評価」を体験してきた若い世代は、古い世代の私たちとはちょっと異なっていて、自分を低く見積もったり、相手を「自分より上か下か・・・」でジャッジすることもなく、割といつも自然体なんですよね。

私の息子やその友達を見ていても、彼らは、私たち古い世代のような「何かとすぐに他者と自分を比較する」ということがあまりなく、自分の気持ちや欲求にすごく正直です。周囲の意見に流されること無く、自分の意見をちゃんと持っていて、自分の思いを大事にしています。「自分」を大切にしているところは、本当に羨ましく感じます。

振り返ると、私たち昭和世代は、幾つになっても「集団」に取り込まるように、そう躾けられてきたんだなぁ・・・と思います。

そういう教育を受けてきたから仕方が無かったのですが、私たちは、子供の頃から、自分の気持ちより「集団の規律を優先する」ことが大事にされ、自分の希望や夢より「大人が期待する進学先や職業に就くこと」が大事にされ、自分の意思より「社会や親が安心できる生き方」を選択することを求められ、自分のことはいつも後回しにされてきました。もしくは、自分の意思など最初から無かったものにされて、どんどん周囲の大人達が勝手に決めていき、それに黙って素直に従うことが「良い子」「孝行」と持てはやされる・・・。そんな時代でした。個よりも集団意識が優先されるという社会の激流のなかを、私たちは溺れないよう、また流されないよう、必死に泳ぎながら生き抜いてきたのです。

昔は、これが当たり前だったので、疑いもせず「右に習え」で従順に従ってきましたが、でも、これからの時代は、こういう生き方も価値観も変えなくてはいけないと思うのです。

もう集団に帰依するような生き方は通用しないのです。

私たち昭和世代も、自分の価値観や感覚(過去に刷り込まれたもの)を改めていく必要があると思います。

「人と比べたがる」癖を手放す

今回は、前置きが長い上に、とても固い話になりましたが(汗)、要は、

セルフヒーリング(自分を癒やす)ために、自分の中にある「古いもの」「もう機能しないもの」を手放す必要がある・・・ということです。

もしかしたら、その「古いもの」「もう機能しないもの」が、今も自分の中では「有効」になっていて、「手放す必要性を感じない」くらい自分の深部にまで浸透し食い込んでいて、自分の一部となっているかもしれません。自覚も無いし気づいていないだけで、実は「そういうことがあるかもしれないよ・・・」ということです。

その一つが、「人と自分を比べたがる」という心の癖です。

人と自分を比較して「どちらが上か下か・・・」と計算してしまう感覚自体が、もう昔の古臭いものであり、もう手放さなくてはいけない古い価値観なのですよ。

今、世界中が「支配」「差別」から脱するための運動で熱を帯びていますが、これは、多くの人々が「自分と他者を比較して優劣を競うことが、もう時代の流れに反することだ」と肌感覚で察知している証だと思います。

それでも、まだ、こうした地球規模の流れに抵抗している人々がいます。今まで築いた「自分の立ち位置」(相対的に優位なポジション)が手放せない人が、世界にはまだたくさん居て、そうした人々の抵抗が続くことにより、新たな摩擦と衝突が生み出されています。

でも、もう変わらなくてはいけません。

全ての人々が平等に、世界の流れに合わせて順当に変化していかなくてはいけないのです。

それは、私たち個人レベルでも同様です。

今年前半に大流行したコロナによって目覚めた人もたくさんいましたが、まだまだ気づいてない人・自分を見失ったままの人はいます。

また、自分は変化した・成長した・・・と思い込んでいたけど、まだ、心の奥に「気づいていない課題」「手放さなくてはいけないもの」を抱えている人もいます。

今後、その「自分の奥深くにまで食い込みすぎてしまい、自分の一部分だと思い込んでいるもの」が、実はそうじゃなかった、もう手放さなくてはいけないのだ・・・ということに気づかせるために、また大きな災害や出来事が起きるかもしれません。

人間の心の奥深くい部分に食い込んいるものが「異物」であることに気づかせ、それを振い払うには、相当大きな揺さぶりを加える必要があります。

そのため、また大きな揺さぶりが次々と与えられるでしょう。

最後に・・・

自分の中に「他者と比べてしまう癖」があると、今後は自分の中に摩擦を抱えることになるので、大変生きづらくなるだろうと思います。

わざわざ自分への癒やしを阻害するものを、自ら腹に抱えていく必要はありません。

できるだけ、自分の中から「人と比べたがる癖」を無くす努力をしてください。これからは、「相対評価」ではなく「絶対評価」で、自分を見つめてください。

そのために、「自分はどういう生き方がしたいのか?」「何をしたいのか?」ということを明確にすることです。自分の気持ちに正直になってください。

そして、自分の人生は全くのオリジナルで、他に比べようが無い・・・ということを固く信じるのです。

私は私。私は他人にはなれないし、他人のようにはならない。

そう自分に強く言い聞かせて下さい。

その上で、自分の生きたい道を突き進むのです。

この突っ切り感が、これからはとても大事になるだろうと思います。

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Emiko(シモハタエミコ)
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