【本当の私を生きる31日間プログラム】Day5:自分の「好き」「嫌い」を受け入れる
先日から始めた【本当の私を生きる31日間プログラム】。今回はDay5に取り組みます。
Day5のテーマ「自分の『好き』『嫌い』を受け入れる」について
こちら↓は主催者であるYumiさんのお題note。
以下、上の記事より抜粋。
5日目のテーマは「自分の好き・嫌い」です。4日目ともこれまた似ているのですが、自分の好きと嫌いを知ること、そして、それを受け入れることって、とっても大事だなって思うんです。
「ネガティブなことを考える自分」「何かや誰かに嫌いという感情を持つ自分」がすっごく嫌で、そんな自分を否定したり、みないフリをしたりして、エセポジティブを頑張っていた時期がありました^^;
でもね、どんだけ否定しようとも、どんだけ見ないフリをしようとも、その感情は出てくる。そして、抑え込んでいるとその反動はむしろめっちゃ大きくなる。だったらもう観念しちゃって受け入れちゃった方が良い。自分で「嫌い」っていう感情にOKしてあげると、不思議なことにすごく気持ちって落ち着いていくんですよね。
私も「嫌いって思ってもいいんだ!」って思った瞬間すっごくラクになりました。
好きって言う気持ちも、嫌いって言う気持ちも、両方あって自分だし、
そんな自分を受け入れて、その後「なにを」選択していくのかがとっても大事だな、と。(好きにフォーカスするのか、嫌いにフォーカスし続けるのか) まずは、自分の感情を受けとめ、受け入れること。ここが「本当の私」を生きる上ですっごく大事だな、と思っています。
わぁ~!「エセ・ポジティブ!」あるある~!です(笑)。
ネガティブな気持ちを「ダメなもの」とジャッジしていると、自分の中にあるネガティブを許せなくなり、蓋をして「なかったこと」にするんですよね…(汗)。それで無理して明るく振舞ったり、ポジティブな振りをしたり…。昔の私もそうでした^^;。
「好き」だけでなく「嫌い」という気持ちもOKにして受け入れること、すごく大事だなぁ~と私も思います。
そこで、Day5のテーマは『自分の「好き」「嫌い」を受け入れる』。質問は次の3つです。
①あなたが「好きだな」と思うことや人は何でしょうか・誰でしょうか?
②あなたが「嫌い」と思うこと・人は何でしょうか・誰でしょうか?
③あなたの中にある「好き」も「嫌い」もまるっとそのまんま受け入れてあげてください。
では、順番に答えていきます。今日も「壮大な一人語り」の超長文です。(すみません~💦。)
①あなたが「好きだな」と思うことや人は何でしょうか・誰でしょうか?
【好きだな♡と思うこと】
・旅行&お出かけ ・散歩
・自分のペースで自由に居られること
・清潔で明るい場所で過ごすこと
・学ぶこと ・研究
・成長・進化すること
・書くこと ・表現すること
・芸術に触れること
・自然の中にいること
これを書き出しながら、私は「自分にとって居心地のいい環境」&「自分が興味を持っていることを追求すること」&「自由に行動・活動していること」が好きなんだなぁ~と気づきました。これが実現している時が、自分の意識が自分の真ん中に収まっているとき…です。つまり「自分らしく居られる時」。
【好きだな♡と思う人】
・自分に正直な人
・嘘や隠し事がないクリアな人
・自分をよく知っている人
・自分の人生を生きている人・人生を謳歌している人
・面白い体験をいっぱいしている人
・ユニークで個性的な人
私は、人目を気にして「模範的な良い人」を装っている人より、ちょっとくらい雑で武骨でも「自分に正直に生きている人」「裏表がない人」「根っこの部分がカラッとしていて明るい人」が好きなんだ…と気づきました。そして、こういう人が好き=憧れ&目標なんだと思いました。そういう人といると、こちらもリラックスして正直な自分を発揮できます。正直なコミュニケーションに心地よさを感じるので、同じように「正直さ」を大切にしている人が私は好きです。フィーリングが合うから安心して付き合えるのでしょうね。
②あなたが「嫌い」と思うこと・人は何でしょうか・誰でしょうか?
【嫌いと思うこと】
・人目や世間体を気にする。
・正直さがない。
・卑怯 ・自分に嘘をつくこと
・ハラスメント ・差別 ・いじめ
・暴力 ・犯罪
・お金の貸し借り ・借りを作ること
・恩にきせること ・義理立て
・共依存 ・歪んだ人間関係
・不潔 ・衛生的ではない
・自分に我慢を強いること
自分の気持ちに反することを強いられたり、無理してでもしなきゃいけないのが「私には苦痛なんだなぁ」・・・と気づきました。また、暴力や犯罪も無理。人を支配したり、逆に支配させられることも嫌いです。あと不潔なのもダメ。自分が居心地悪いと感じる環境や状況が嫌いです。あと、自分の自由が認められず、自由に振る舞うことが許されない状態も、私は苦手。
【嫌いと思う人】
・頼んでもないのに世話を焼こうとする人
・干渉してくる人 ・上から目線で支配欲の強い人
・嘘をつく人 ・人を見下す人
・モラルや倫理観が欠けている人
・境界線がなく、つかつかと土足で人のテリトリーに入り込んでくる人
・ストーカーっぽい人
・人の話を聞かない人 ・頑固で自分の考えを押しつけてくる人
私から自由と尊厳を奪い取ろうとする人が、私は嫌いです。そういう人って、思考が自分中心で、自分で勝手に何でも決めつける傾向があるように感じます。そして自分の主観を押し付けてきます。今ははっきり「ノー」が言えるようになったけど、昔はなかなか「ノー」が言えなくて、いつも我慢していました。我慢して相手に合わせることが大事だと刷り込まれてきたことも一因だと思います。これ、多分、私だけでなく、多くの昭和世代がそうなんじゃないかな?
最近は、境界線を突き破ってこちら側に侵入してくる相手に対して、「境界線を守りなさい」と遠回しにでもハッキリ言うようになりました。
そうそう、自分の気持ちを伝えてあげることって、すごく大事だと思うようになったのです。ちゃんと正直に言うことで、相手に「私の真実を教えてあげる」という感覚。相手も成長過程なので、相手の心の成長のためにも「他者の気持ちや感覚をきちんと教えてあげる」ことが必要だと思うのです。
これを今は大事にしています。すると、嫌いな相手でも、怖くなく対等に向き合えます。結局は「言っちゃいけない」と自分を抑え込むから、ストレスになり、その結果、相手をモンスター化して見ちゃうんでしょうね。
別に「嫌いなもの・人」から嫌われてもいいと思うのです。嫌われることを恐れると、相手はどんどん強大なモンスターになっていくので、怖がらないことが一番です。
結局のところ、「嫌いな人」に力を与えているのは、他でもない「自分自身」なのですよ。
そして、相手が誰であれ「嫌われるのが怖い」というのは「万人から愛されたい」という自分の勝手なエゴ。
「嫌いな人がいても良い」と思うのなら、逆に、「私のことを嫌う人がいても別にいいよ」と、嫌われることを自分に許可しなくちゃいけない…と思うのです。そうじゃなきゃ平等じゃないし、バランスが悪いですもんね。
「好かれたい、でも嫌われたくない」という矛盾した思い&「嫌われたくない」というエゴ、これらを手放すことが、「嫌いなもの・人」から自由になれる一番の方法なのかもしれないなぁ…と思います。
③あなたの中にある「好き」も「嫌い」もまるっとそのまんま受け入れてあげてください。
今回、私の「好き」「嫌い」を挙げてみて、こうして全体を俯瞰してみたところ、私は、
「バランスが悪いもの」に違和感を感じで、その違和感が「心地悪さ」につながり、それらをまとめて「嫌い」と認識している
…と気が付きました。
よくよく考えたら、②で挙げた「嫌いなもの」&「嫌いな人」は、どれもみんなバランスが悪いからそういう状態に陥っている…ってことなんですよね。
干渉してくる人は、その人自身の中に「バランスが悪い部分」がたくさんあって、そのバランスの悪さを胡麻化すために「人に干渉する」という行為へ突っ走っている訳です。そして、干渉のターゲットを決めるときも、その人自身の「人を見る目」が歪んでいるから、支配できそうな相手を見た目で選んで干渉してくるわけです。すべては、その人のバランスの悪さが原因。
ハラスメントもそうです。そういう行為を起こす人も、結局は「認知の歪み」が原因でバランスが悪くなっていて、そのため、空気を吸うように普通にハラスメント行為をしちゃうのだと思います。
ですので、最近の私は、そういう人たちを責めるより、その人たちの問題点「自分の中にあるバランスの悪さを抱えていること」を見てあげることが大事だと思うようになりました。そして、この人たちは、嫌な行為を繰り返してしまうような「バランスの悪さ」を抱えて生きていくことが、今世のテーマなんだなぁ…と、思うようになりました。
◇◇◇
お釈迦さまも、ブッタになる前は、過去世で聖人から犯罪人まで様々な人生を体験されたと聞きます。実際に体験することで、良いことも悪いことも学び、生きることへの理解を深めるのです。
だから、今、私が「嫌だ」と感じることを平気でやらかしている人たちも、今世では、それを体験することが魂の成長に必要なんだなぁ…と、温かく見守るようにしています。そして、私は嫌だけど、私以外の他者にとっては、嫌ではないかもしれない。だから私が勝手に「ダメだ」とジャッジしてはいけない…と気を付けるようにもなりました。
相手も、一通り体験し尽くして飽きてしまえば、正気に戻って「バランスを整える人生」へ自ら大きく舵を切るようになります。それが今世になるのか、来世になるのかわかりませんが(汗)、それまでそっとしておくことです。
多分、みんな多かれ少なかれ、そうしたバランスの悪さを必ずもっていると思うのですよ。
だから、相手の存在を気にしない。そっとしておく。住み分けをして関わらない。相手の生き方尊重する。…それでいいのだと思います。
こうした対応を心掛けていたら、「嫌い」なものを見たり触れたりしても、それほど影響を受けなくなり、大騒ぎすることもなくなりました。
以前は「嫌いなもの・人」を見つけると、戦闘モードになって「敵をやっつけなくては」という感覚に陥っていましたが、別に戦う必要はないんだし、自分を強く見せる必要もありません。ありのままの自分で、相手の前にそのまま堂々といれば良いのです。
つまり、自分を作る必要はない…ということです。
こんな感じで、最近は、客観的に受け止められるようになりました。
◇◇◇
最近感じること。
それは、「嫌いな人」とは、「私は何が嫌いなのか?」を教えてくれる存在・気づかせてくれる存在なんだから、早く気付いて自覚しなきゃいけない…ということです。
そして、教えてくれる相手に対して、ある意味「感謝しなきゃいけない」ということ。
わざわざ嫌なことをして心底嫌われてまで、私の「嫌い」を教えてくれているので、早く「嫌い」と気づいてあげないと、ある意味、可哀想なんですよね(汗)。その人のネガティブな面が早く成仏できるように、早く気づいてあげて、自覚したら「ありがとう」と心の中で相手にそっと伝えてあげる…。
こうして次に、「私はあの人のことが大嫌い!」と心の中で太鼓判を押して決定づけるのです。この人の「どこが嫌いなのか」がはっきり言いきるように「嫌いな箇所」を言語化するのです。すると、自分の「嫌い」が自覚できるにしたがって、相手がどんどん変わっていき、私に対して「善い人」に変容することが多々あるのですよ。
私に「嫌い」を自覚させる…という役目が終わったので、嫌われる必要がなくなり、自然と「元の自分」に戻ったのでしょう。
そういうことも、過去にはありました。だから、「好き」だけでなく「嫌い」もちゃんと認知してくことって、すごく大事です。
不思議ですよね✨
◇◇◇
以上、今日のテーマについては、ここまでです。
最後まで読んでくださり、ありがとうこざいます!
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次はまた明日😊。
☆このプログラムの私の記事を、こちらのマガジンに集めました。覗いてみてくださいませ✨