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「もの」に込められた作り手の思いを受け取り伝える。~カタリベとなった私~

昨年の秋、ふと目について買い求め、使ってみた「もの」。

それは、私にとってずっと探し求めていた「もの」で、あの時の私が最も必要としていた逸品でした。ようやく出会えて、使ってみて、心から嬉しかった…。あの瞬間の感動と喜びをたくさんの人にシェアしたくて、無我夢中でいたのがこの記事。

ご縁とは本当に不思議なもので、この記事を公開して以降、たくさんの方と出会い、新しいご縁が繋がっていきました。

そして、この記事を通して、私は「ものの魅力について語る」ことが好きであり、得意であることに初めて気付きました。

こんな意外な形で、改めて「自分を知る」ってことがあるのですね~。

確かに、振り返ってみたら、私はモノの魅力について書いている時が、一番気分が高揚してワクワクしています。書いていて、とても楽しいのです。

使ってみて、気に入ったもの。好きになったもの。

使ってみて、嬉しかった気持ち。驚き、喜び。感動。…等々。

実際に体験してみて、感じたことや気づいたことを言葉に表していく作業は、今の私にとって、童心にかえり夢中になって取り組める「唯一のお楽しみ」でもあります。

そう、子供の時、初めて開いた本、初めて手に取ったおもちゃ、これから体験するワクワク感、あれと全く同じ感覚なのです。

そんな自分の新しい一面に、自分がたまたま書いた偶然の産物のようなあの記事を通して、生まれて初めて気づき、自覚したのでした。

そんな私に、また新しいご縁が舞い込みました。

2021年5月に行われるバイヤーさん限定の展示会「大日本市」にて、ものづくりの良さを発信する「カタリベ」という大役を、わたくしEmikoも担わせていただくことになりました。


※(2021.4/28追記)緊急事態宣言の発令により、大日本市の開催は6月後半頃に延期となりました。

この「大日本市」とは、中川政七商店さんが開催している展示会なのですが、ご縁があって、私も10名のカタリベの中に入れていただきました。

只今、カタリベとして発信させていただく記事を3本、コツコツ書いているところです。

ありがたいことに、私が担当させていただく「もの」はどれも本当に素晴らしくて、使うたびに「作り手の愛」をひしひしと感じます。

その「もの」を手に取るたびに、この「もの」から、いろんな情景が浮かび上がってきます。

まだ製品化されるずいぶん前のところから、この「もの」たちには、開発に携わっている人々の気持ちが深く込められています。真摯に研究を重ねて、試行錯誤を繰り返しながら、使う人々に寄り添い、人々の暮らしがより良くなってほしいという願いを込めて、丁寧に生み出されてきた「もの」たち…。

このように、一つの「もの」を世に生み出すために、作り手たちは、並々ならぬ情熱と愛を注ぎ込んできたんだなぁ…と、そんなことを感じるのです。

どうして私が、こんなに「もの」に対して愛を感じてしまうのか…というと、私自身が「作り手」を生業としている家で生まれ育ったからです。

実は、私の実家は、家具を作る小さな工場(こうば)をやっていました。そこで父は、一人でコツコツと家具を作り続けてきました。昨年末に、父は体を壊して現役を引退しましたが、父の引退と共に、私の実家の家業は父の代で終わりました。父が長年大切に使い続けてきた道具も、父の仕事を支えてきた機械も、これで役目を終え、いつか工場と共に消えていくのでしょう。

淋しいけど、一つの時代が終わった…ということです。

今、全国を見渡すと、後継者がいなくて衰退し、閉められた工場や工房がたくさんあります。

かつて「金の卵」と言われ、親元を離れて厳しい修行時代を経て、素晴らしい技術を習得し、腕を振るって誠実な仕事をしてきた職人さんたち。様々なジャンルで「職人」と言われる人たちが、日本にはたくさんいらっしゃいました。

しかし、(私の実家も含めて)私の周囲の職人さんたちを見ていると、決して儲かる仕事ではなく、いろいろ苦労されていることが多いと感じます。

私が子供時代、母がよく「この仕事では食べていけない。子供には絶対に跡を継がせたくない」とぼやいていたのを覚えています。

技術立国・日本と言われていた昭和時代においても、丁寧にコツコツ「もの」を作り出してきた職人さんたちは、社会経済の繁栄とは真逆の場所に置かれ、そこでひっそりと地味に仕事を続けながら、誰からも見えないところでじっと「日本人の暮らし」を底辺から支えてきました。

手仕事で生み出される「もの」は、大量生産・大量消費の時代にはそぐわないものです。時には生活のために、自分の技術を叩き売りしたり、身を切るように値を安くしたり、様々な工夫を重ねながら努力もしてきました。しかし、時代のうねりの中で翻弄され、弱り、先細りして、やがて消えていったものもあります。

今も、まさにそんな過渡期ではないかと思います。生き残りをかけて、皆が試練を乗り越えようとしている時。更にコロナで先行きが全く見えない不安定な状況。

そんな中でも、コツコツ真摯に「モノづくり」に励んでいらっしゃる方をお見かけすると、逞しさと力強さを感じます。

最近は、厳しいと言われていた「ものづくり」の世界も、少しずつ形を変え、門戸を広げ、興味を持った若者たちを受け入れ、後継者育成に励んでいる所もあると聞きます。

作り手のかたちも、少しずつ様子が変わりつつあるようです。

激変する社会の中で、「ものづくり」に情熱を傾け、いい「もの」を世に生み出している職人さんたちの作品(製品ではなく、あえて「作品」と言わせてください)を、私は大事にしていきたい…と思います。

モノづくりの厳しさと苦労、仕事の尊さを、父の姿を通して学んできたからこそ、手に取った「もの」を眺めていると、この「もの」を作るのに、どれほどの時間と労力を重ねてこられたのか、また、どれほど努力されてきたのか…が、じんわりわかるのです。更に、「もの」に込められた作り手の喜びや愛情も、ひしひしと伝わってきます。丁寧に作られたものには、作り手の温かな手のぬくもりも込められています。

だから、買い取って、自分の手元に置いておきたくなるのです。そして愛しく大事にしていきたいのです。

こうして出会った「もの」から感じたことを、自分の言葉で表現する。これも、私の「書く」スタイルの一つにしてみようと思いました。

気に入ったものを見つけたら、その「もの」と「作り手」に敬意を払って、きちんとお金を出して買います。そして、使います。使ってみて、とっても心地良かったら「御礼」の気持ちをこめて、記事に書いて紹介します。

これが、私の「名もなき作り手さんたちを応援する」かたちです。


作り手さんや職人さんが、いい仕事を続けていけますように…。

作り手さんや職人さんがご自分の仕事に誇りを持ち、また、世の中の人々が作り手さんや職人さんの仕事に対して敬意をもってくださいますように…。

「もの」の良さに気づき、「もの」の本当の価値が分かってくださる方が増えていくことも、私の願いです。

自分にできることで、「もの」を作る人々を支えていきたいです。

最後に…。

これを機会に、私は「随筆家」と名乗ることにしました。

ものを作る人々を応援するのに、どこの馬の骨だか分からない人間がやったんでは、相手の方に失礼だよなぁ…と思ったからです。

今後は、「主婦」兼「随筆家」でいきます。

まだ始まったばかりで、表向きは何も変わっていませんが、心の中では腹をくくり決意が固まりました。

新しく生まれ変わった気持ちで、これから新しい肩書と共に歩んでいきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。

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